ポスト・コロナの新星たち② 暖簾の牛めし、仕込み中です 林家彦三
きのうから4回シリーズで、今年前半に二ツ目に昇進した注目の噺家さんを紹介します。きょうは、5月下席から昇進した彦星改メ林家彦三さんです。
齋藤圭介は福島の小さな町で生まれ育った。落語に関しての原風景は小学校5年生に遡る。地元の公民館で開かれた落語会に祖父に連れられて行った際、当時の林家木久蔵師匠(現・木久扇)が声をかけてくれた。「落語好きなの?うちに来るかい?」。もちろん、冗談であったが、「笑点」はよく見ていたので、とても嬉しかったという。小噺を絵本にしたようなものを読むのが好きだったくらいだったが、いま、こうして同じ林家一門にいるのも何かのご縁かもしれないと振り返る。
郡山市にある高校に片道1時間かけて通学していた。列車の座席では小説を読むのが習慣となり、自然と芥川龍之介や太宰治が好きになった。文学青年だった。早稲田大学文学部に入学。だが、1年目にして早くも挫折してしまう。慣れない東京での生活に悩み、自暴自棄になった。そのとき、寄席に行ってみようかとふと思った。いつしか寄席の魅力にはまり、中でも物語を語るストーリーテラーのような林家正雀師匠が気に留まった。
寄席だけでなく、寺や国立演芸場で開催される正雀師匠の会に通うようになった。「双蝶々」「塩原多助一代記」「旅の里扶持」・・・。どんどん「聴かせる正雀落語」に惚れていった。終演後の打ち上げにも誘われ、親しくなった。大学生活に半ば幻滅していた部分もあった齋藤青年は「落語家になろう」と入門を志願した。だが、「もう少し考えてみなさい」とやんわりと断られた。いま思えば、あんな中途半端な気持ちで入門していたら、すぐに辞めていただろうと思う。もっと人間的な強さができたら、という師匠の優しさだったのだと述懐する。
一旦、大学を中退した。大阪で松竹座でアルバイトをするなど色々と人生の寄り道をしてみた。そして、再度思い直して早稲田の文学部に再入学。その頃には心の整理ができていたから、勉学に邁進することができた。卒業も決まり、両親にも筋を通し、もう一度、正雀師匠の門を叩いた。末廣亭8月恒例の怪談噺興行のときだった。師匠はすんなりと入門志願を許してくれた。人間的に迷いのなくなった齋藤圭介の成長を、そっと影から見守っていたということを後から知った。
前座時代は「義理と思いやりのある人間になりなさい」と繰り返し言われた。入門して間もなく、ほろ酔いの師匠から「お前は弱い人間だが、優しさがある。だから弟子に取った。人情噺は素直と優しさが大切だから」と言われたことがある。その師匠の言葉は座右の銘としてこれからもひそかに大事にしていきたいと考えているという。
前座時代に覚えた噺は15席ほど。すべて直伝だ。これは師匠の方針で、今年の二ツ目披露でかけた「初音の鼓」「ガマの油」「兵庫船」…前座噺に限らず、寄席のサラ口でかけるネタは全部師匠仕込みだ。二ツ目になったら他の師匠からも習っていいことになっているが、自分は基本的に師匠から師匠の持ちネタを習いたいと考えているという。今後は二ツ目として、中ネタといわれる、ちょっと大きめの演目をどんどん勉強して数を覚えていかなくてはならない。それも、師匠の持ちネタを要に覚えていきたいと考えているということで、具体的なネタについてはここでは書けないが、正雀師匠のYouTubeにあがっているネタを見て頂ければ想像できると思う。
彦三は、前座のとき以上に師匠についていきたい、と言う。そこには、20年後、30年後になるだろうが、自分が憧れた林家正雀の芝居噺、怪談噺をできる噺家になりたいという大きな夢があるということが推し量れる。そのためには、順序を踏んで、一歩一歩、その階段を昇っていこうという思いもあるのだろう。「稲荷町」と呼ばれた林家彦六師匠の名物だった「牛めし」を、正雀師匠が受け継いだのと同じように。今年は残念ながら謝楽祭が中止になってしまって、その味を楽しむことはできないが、彦三は牛めしも落語もこれからどんどん仕込んでいかなくてはいけない。それが二ツ目になって、改めて心に決めるところなのだと思う。
10月にスタートする隔月の勉強会「やっちゃう?!」の第1回では「染色(そめいろ)」をネタおろしする。このネタは二代目圓歌師匠が鳴り物入りで演っていた噺で、もともとは上方種。先代圓歌師匠(三代目)から正雀師匠が勧められ復活させた、珍しい噺である。
二ツ目勉強会「やっちゃう?!」@お江戸両国亭
10月19日(月)19時開演 木戸銭2000円(当日精算)
三遊亭花金「心眼」林家彦三「染色」三遊亭ぐんま「禁酒番屋」昔昔亭昇「ぜんざい公社」
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