一龍斎貞山「怪異談 牡丹燈籠由来噺」 芸人の仕返しは芸でしろ!若き日の圓朝を描いたフィクションに講談の魅力をみた

上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(20320・08・27)

主任の一龍斎貞山先生の「怪異談 牡丹燈籠由来噺」が実に興味深かった。近代落語中興の祖とも言われている三遊亭圓朝は数多くの作品を遺し、それが現代でも数多くの噺家が高座にかけているのは演芸ファンなら説明は不要だろう。その中でも長編の怪談噺である「牡丹燈籠」は傑作中の傑作だ。貞山先生の読まれたのは、その「牡丹燈籠」がどのようにして生まれ、ヒットしたのか、圓朝師匠の苦労を物語にしている。

音曲噺を得意とした圓太郎の息子は小円太を名乗るが、16歳で二代目圓生の門下に。立花屋という寄席に出演していた17歳のある日、から物語がはじまる。「また、あの女(ひと)がいる」。下手の二本目の柱のところで煙管を吸う22、3の女性は、芸人・勝五郎の女房おはつである。毎日なので、楽屋は噂になる。前の出番の馬童が「また、来ていたよ」と言う。下足番の留吉が「おかみさんからです」と言って、簪と書き付けを渡された。そこには「裏木戸で待つ」旨が書かれていた。

師匠の圓生が苦り切った顔で訊く。「会ったのか?どこへ行った?何を話した?」。正直に小円太は答える。書き付けをお返しに会いました。「知っている人があなたによく似ている」と言われ、柳橋へ行こうと誘われましたが、お断りしました。圓生が「間違いないな」と念を押す。はい。

勝五郎が楽屋に押し掛ける。「謝れ」と収まらない。女房のはつとはどういうことになっているんだ!小円太は「破門」の二文字が頭をかすめる。自分は何も悪くないのに、師匠の言う通りに、「金輪際、会いません」と頭を下げた。悔し涙が出た。師匠も「お詫びの言葉もございません」と一緒に謝る。しかし、勝五郎は収まらない。「黙ってろ!このガキが!」と言って、象牙の撥で小円太の額を打った。血が流れる。「まだ女を作る芸人じゃないだろ!悔しかったら、芸をあげろ!」。

芸人の仕返しは芸でしろ!この言葉を残して、勝五郎は去る。そこから、小円太のすさまじい稽古がはじまった。圓生もこれに応え、仕込んだ。翌年、小円太は圓朝と改名し、真打に昇進。しかし、客は不入りで、恩返しができない、ともがいた。先輩の芸をそのまま演じてはダメだ。人のやらない珍しいものを演ろう。20歳で芝居噺を始めると、新演出だと評判となった。寄席は超満員となり、八丁荒らしと呼ばれた。

弟子も増えた。音曲の力を借りるのは邪道だ、本格話芸で勝負しなくては。それには新作だ。22歳から23歳にかけて作ったのが、中国の「牡丹燈記」にヒントを得た「牡丹燈籠」だった。創っても、さらに良い工夫はないか?と常に考えていた。

そんなある日、両国立花屋の出番のとき、高座に上がり、お辞儀をして頭をあげると、下手二本目の柱の前に銀の煙管を持ったおはつがいる。あのときから7年が経っているから、30近くのはずなのに、22、3にしか見えない。高座を終えると、拍手を受けて楽屋に戻る。弟子の円三に「あの女の後をつけろ」と命じる。

円三が戻って報告する。下谷の長寿庵の路地を曲がった突き当り。うらぶれた長屋の三軒目に立った女は、そこで姿を消したという。「なんだか、わかったような、わからないような、妙な感じなんです」。昔、寄席で三味線を弾いていた勝五郎が住まっているはず。患っているとも聞いた。

圓朝はその万年町の長屋に勝五郎を見舞いにいくことに。ツギハギだらけ蚊帳から髭が伸びた病人の勝五郎が出てきた。「恥をかかせにきたのか?」「御礼が言いたくて。何とか独り歩きができるようになりました」。えらい変わり様の勝五郎が言う。「2年ほど、大酒がたたり、声が出なくなった。寄席にも出られない。旅にも出たが、さっぱりダメだった」。「どうしてここがわかった?」と訊くので、「おかみさんの姿を見まして」と答えると、「女房は3年前に死んだ」と言う。

旅先の甲府の小屋の楽屋で病が重くなり死んだと。勝五郎は仏壇から位牌を持ってきた。圓朝は水を浴びるようにゾーッとした。姿は確かに見た。弟子の円三が言うには、カランコロンと下駄の音がしていたという。「それだ!」。圓朝は閃いた。ありふれた幽霊じゃあダメだ。工夫ができる!道が開けた!額の傷はおはつさんの罪だが、許せる。それが下駄の音を聞かせてくれたんだ。

仏壇に線香をあげる圓朝。「おはつ、良かったな!」と勝五郎が言う。圓朝は心をこめて合掌した。その後、両国立花屋で、新たな「牡丹燈籠」が口演され、評判を呼んだという。

フィクションである。だが、圓朝作品の代表である「牡丹燈籠」制作秘話をこのように作りあげると、これは一つのエンターテインメントになる。創作というのはこうやって、創るものなのか。特に講談はノンフィクションにみせかけたフィクションだと言われるが、その魅力がよくわかる作品であった。