「わたし、音楽家なの」5歳の松本優子が、音曲師・桂小すみになるまで(下)
新宿末廣亭で六月中席を観ました(2020・06・17)
きのうの続きです。
東京学芸大学を卒業した松本優子。教育学部を卒業し、音楽教師になることを希望していたのだが、きのうも書いたが第2次ベビーブーマー。横浜市の教員採用試験の競争率が200~300倍で、音楽の勉強ばかりしていたから、数学や社会も試験科目にあるから、簡単ではない。とりあえず、臨時採用教員に登録したら、幸運にも市内の高校の臨時教員が決まり、食い扶持を確保した。その上で、現代の邦楽の作曲を勉強するには、古典もしっかりと勉強しなくてはいけない。大学時代に邦楽研究会の顧問としてお世話になった長唄の野口美恵子先生のところに「もっと勉強したいです」と熱い手紙を書いた翌日、野口先生の訃報が届いた。享年50。哀しみにくれる優子。
だが、くじけず、NHKの邦楽技能者育成会に入会し、勉強した。と、同時に師匠になってもらえる方を探した。すると、ある方から、長唄三味線方の杵屋佐之忠師匠を紹介いただいた。野口先生は日本音楽集団に所属し、邦楽器でオーケストラを組む、五線譜の「現代邦楽」の世界で著名な方だった。一方、杵屋佐之忠師匠は前進座の黒御簾で50年以上、三味線を演奏する歌舞伎音楽の大御所。2年間の教員生活を辞め、弟子として本格的な修行をする。だが、歌舞伎音楽の世界は、御簾内も表舞台も男性しか入れない。ガーン!
でも、そこで諦めないのが松本優子。師匠のお伴で林家正雀師匠の芝居噺の会で鈴本演芸場に伺ったあと、「寄席囃子は歌舞伎の黒御簾音楽と仕事は一緒だが、女性が演奏する」。師匠から聞いた言葉に、知恵の輪がはずれる思いがした。翌日には国立演芸場に電話。すると、今、独立行政法人日本芸術文化振興会の国立劇場養成課で「大衆芸能(寄席囃子)研修生」の募集をしているところだという。早速、応募した。この募集は不定期にされる(10年近く募集がないときもあった)ものであることを後で知った。これまた運命。
そして、その研修生の採用試験。審査員には落語協会会長・3代三遊亭圓歌と落語芸術協会会長・10代桂文治がいた。優子の履歴書を見て、文治師匠がが熱心に勧誘した。「踊りもできるのか?今、寄席に音曲を扱う芸人が少ないんだ。高座にあがる方にならないか?」。しかし、佐之忠師匠が口癖のように言っていた教えは「御簾内と表と両方できないとだめだ」。優子も作曲もできる一人前の三味線弾きとして、御簾内の修行をしたい!と心に決めて試験に臨んでいたので、文治師匠のお誘いは「有難いことではあり、失礼とは思ったが」頑なに拒否。そして、採用試験も何とか合格。2年間の研修期間を終了し、2003年に落語芸術協会のお囃子になった。
お囃子として寄席の楽屋で勉強して、寄席囃子の仕事がどんどん楽しくなった。三味線漫談のレジェンド・玉川スミ師匠(2012年没)が高座で「さのさ」をオーソドックスな本調子ではなく、三下りでいつも弾いている。あるとき、楽屋にいるスミ師匠に、優子は思い切って質問した。「どうして、三下りで演奏なさるんですか」「おお、いい質問だ。ジャズとセッションするときは、こっちの方が手がいいんだよ。だから、こっちで弾くんだ・・・お前さん、よかったら教えてやるよ」。しばらく経って、スミ師匠の稽古場に伺い、師匠のお手本を一回見せて頂いてから、三下りの「さのさ」を演奏した。「お前さん、覚えがいいじゃないか!」。これがきっかけで、何度かレジェンドのスミ師匠に稽古をつけて頂く機会に恵まれた。
スミ師匠にすっかり気に入られた優子は何度も高座に上がることを勧められたが、寄席囃子の仕事もますます面白くなってきた時期でもあった。玉川スミ芸能生活90周年で舞台にあがってほしいと言われ、これは喜んで引き受けた。だが、90歳を超えてもあれだけ元気だったスミ師匠が病床に。何度か危篤状態に陥ったが、持ち直したときに、ベッドの上の師匠は優子に言った。「わたしゃ、お前さんの初舞台を見ないと死ねないよ」。結局、90周年の会をできず、2012年に92歳で亡くなった。
その後も優子はお囃子を続ける。だが、頭の片隅にスミ師匠の言葉が引っ掛かっていた。そして、ついに2017年暮れにお囃子さんから音曲師になることを決断。桂小文治門下に入り、前座修行。およそ1年間の前座修行を終え、19年3月下席から高座デビュー。いま、1年と3カ月が過ぎたところだが、先日、令和元年度の国立演芸場花形演芸大賞銀賞を受賞。その実力が早くも認められた。
桂小すみの音曲師としての活動はまだはじまったばかりだ。だが、洋の東西を問わない、オールラウンドな音楽遍歴を基礎に、その類稀なる才能は寄席にとどまらずに幅広い活躍が期待される。
音曲師・桂小すみ なんじゃあこりゃあ! 10月18日(日)14時開演
@西巣鴨studio FOUR 前売り:2500円 当日:3000円
摩訶不思議だけど、魅力的!三味線とピアノが織りなす桂小すみワールドをご堪能ください。
ゲストの噺家さんの落語もお楽しみに。お問合せ・ご予約は yanbe0515@gmail.com まで。