鋭い洞察力と巧みな構成力、かつ軽妙洒脱 三遊亭兼好の魅力

晴れたら空に豆まいて「代官山落語夜咄 ちきり伊勢屋」(2020・03・02)、朝日カルチャーセンター新宿「三遊亭兼好の噺のはなし」(03・26)を聴いた

兼好師匠黙認(笑)のHPに、「前座・好作時代に自ら執筆したプロフィール」が掲載されている。以下、抜粋。

(大学卒業後)好景気のため難なく就職したが、その後は難続きで職場を転々とする。93年結婚。精力的に活動して二児の父となる。97年、初めて生で落語を聴く。退屈だと思う。その退屈さがよくて寄席に通うようになる。行く度に同じ咄をしている噺家がいて驚く。と同時にうらやましく思う。その噺家は都合により思い出せないことにしている。98年、自宅前を歩いている好楽を発見。即入門を願うが即断られる。四度程お願いして入門を許される。

このユーモアあふれる文章!職場を転々、と書いてあるが、実は噺家になるために生まれてきたのではないか。このプロフィールの前の方に、「中学校在学中に自分が少しお喋りということに気づく」とあるし。ホームグラウンドである「人形町噺し問屋」のオープニングトークの面白さと言ったらなくて、毎日、新聞を読んで興味深い記事を笑いにしてしまい、またその記事の核心を突いているところは、やはり天性の噺家だと思います。

まず、代官山での「ちきり伊勢屋」が素晴らしかった。円生百席のCDだとおよそ2時間かかる噺を60分にまとめ、物足りなさを全く感じさせない。登場人物を必要最小限の人数に削りながらも、場面転換は不足なく、壮大なストーリーの醍醐味を壊さず、わかりやすく再構築し、「人間の運命」という、この噺のテーマを余すことなく、クリアに伝えていた。ご本人も「コンパクトに」と「笑いを多く」を心掛けたそうである。06年に志らく師匠。09年に市馬、談春、三三の3人の師匠によるリレーで。19年にさん喬師匠の「ちきり伊勢屋」を聴いているが、それぞれに特徴があって印象深い。そして今回の口演は新たな発見が多かった。

この会のプロデューサーである広瀬和生氏が「円生ゆかりの大ネタを」とリクエストしたそうだが、実は兼好師匠のこの噺のベースは八代正蔵だそうだ。兼好の師匠・好楽は元々は稲荷町の愛称で呼ばれた(晩年は正蔵の名跡を海老名家に返して彦六という隠居名を名乗った)カミナリの正蔵の弟子で九蔵と名乗っていた。その後、円楽一門会に移籍して好楽となった。わかりやすく言えば、兼好にとって芸の上では稲荷町の正蔵は祖父、円生は好楽→円楽→円生と遡るから曽祖父に当たるわけだ。

高座の後、中入りを挟んで広瀬和生氏との対談が興味深かった。「円生ゆかりの大ネタ」と言われ、最初に「庖丁」を思い浮かべたが、(実際に兼好師匠は、この噺をお持ちになっているし、僕も聴いたことがあって素晴らしい)、円生師匠が落語協会を脱退して全国公演をやっていたときに売り物にしていたが、元々は音曲噺で喉を聴かせる噺であること、そもそも、よく考えると「女房を騙して吉原に売り飛ばそうと友人と企む」嫌な噺でもあり、避けたそう。

でも、嫌な噺だけど芸の力で押し切るのが名人だと言う。「理屈じゃないんですよね。辻褄が合わないものを芸で押し切る」。噺の工夫でなんとかしようという考え方もあるけど、やはり芸の力が一番だと。「柳田格之進」しかり。先代円楽が十八番にしていた「浜野矩随」しかり。近代落語の祖・三遊亭円朝だって、大作「牡丹燈籠」ひとつ採っても、壮大なご都合主義で最後に辻褄が合うけど、「お露新三郎」「お札はがし」「お峰殺し」と一部を切り出して高座にかけると、腑に落ちないところがいっぱいある。

何をもって大ネタというかは難しいけど、兼好師匠は「なるべく30分に収まるように」心掛けているそう。「文七元結」や「中村仲蔵」も持っていることは持っているけれど、それができなくて、なかなか掛けられないと。師匠は聴き手にとって最適な落語とは何かを常に意識しているのがよくわかった。

朝日カルチャーセンターでは前半に「浮世床」のレクチャー。休憩をはさみ、後半に「藪入り」を30分ちょっとの「適正尺」で演じた。前半のレクチャーは大変にわかりやすく、興味深かった。「浮世床」を前座噺として習う意味の一つは、伸縮自在だということだと。時間調整が効く。5分で上がってくれと言われたときも、15分の高座を勤めるときも、たまに前座だけの勉強会で30分以上持ち時間がある場合も、適応できる噺。

1分。床屋の看板の海老が生きている!死んでいる!言い争いの小噺のみ。

5分。蒸しタオル、熱くて持っていられなかったから!という小噺から、将棋へ。持ち駒に王将を持っていて盤にない!負けるのが嫌だから外しておいた!というところまで。

10分。本。「太閤記」を読む銀ちゃん。姉川の合戦、松公と真っ向の取り違え、姉はカワラケで毛深い、真柄十郎左衛門の濁点なし読み、一尺八寸の大太刀など入れて、吉原の格子越しのやりとりまで。

15分。隠し芸。宇治の蛍踊り。戦争ごっこ。大将同士が屁で蝋燭の火を消す争い。兵力を争う。褌と蝋燭から離れられないのか!まで。

30分。夢。芝居見物に行って、音羽屋の掛け声、二十七、八の娘に惚れられ、座敷で盃をやったりとったり。絹布の布団の二枚重ね。緋縮緬の長襦袢を脱いで・・・入ってもいいかしら?で、「半ちゃん、ひとつ食わねぇか」で起こされた、まで。さらに寝小便までしちゃった。床屋の親方に怒られ逃げる半ちゃん。あいつは畳屋の職人、道理で床を踏みつけにしやがった!のサゲまでつけることも。

いやぁ、実に研究熱心というか、そこまで落語を計算して構築するのか!と非常に合点がいきやした。兼好師匠はすごい!で、「藪入り」の最終盤で気が付いた。あ、「ペストが流行るから、鼠の懸賞で当たったんだ!」。現在の新型コロナ感染拡大の時局に結び付けていたのか。師匠は何もおっしゃらないけれど。機を見るに敏。もう一度、兼好師匠はすごい!