【アナザーストーリーズ】日本のゴルフを変えた男『ジャンボ尾崎』伝説

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 日本のゴルフを変えた男『ジャンボ尾崎』伝説」を観ました。

尾崎将司は通算113勝の世界記録保持者だ。だが、そのうちの63勝は40歳を過ぎてからの勝ち星である。113勝目は2002年9月、55歳の最年長記録。その長い足跡を辿った優れたドキュメンタリーだった。

50歳のときに尾崎に密着したドキュメンタリー「300ヤードの冒険者」で、ドライバーで310ヤードを飛ばしている映像を見て仰天した。当時、タイガー・ウッズが平均飛距離294ヤード。尾崎は飛ばし屋を自負し、「300ヤードが自分のノルマ。それをクリアできなかったら、田舎に帰る」と豪語しているのが印象的だ。

1980~90年代、日本人初のアメリカツアー優勝を果たした青木功、そして史上初の獲得賞金金額1億円を突破した中嶋常幸と並び、AONと呼ばれ火花を散らした。

1970年、羽田空港にボーイング747,通称ジャンボジェット機が登場。その年にデビューを飾った23歳の尾崎は身長180センチ、体重80キロの体格から「ジャンボ」の愛称を付けられ、デビュー戦で360ヤードの飛距離を出して、周囲を驚かせた。

徳島海南高校のエースとして、1964年にセンバツ高校野球で優勝。西鉄ライオンズに入団するも、活躍ができずに3年足らずで引退した。68年にゴルフ研修生となり、その規格外の飛距離から「日本のゴルフを変える」と嘱望される。71年に日本プロゴルフ選手権優勝など5勝を挙げ、74年には日本オープンゴルフ選手権優勝。デビュー8年で37勝を挙げる黄金時代を築く。

だが、80年代に入ると、優勝回数が激減ばかりか、予選落ちが続き、長いスランプに入る。自慢のドライバーはOBを連発、パットも不調を極めた。それまでは野球時代に培った体力で勢いで勝てたが、それが通用しなくなった。その間、青木は83年日本オープン優勝、中島は85年、86年と日本オープン連覇。軍人だった父の実の口癖「負けることは死ぬことだ」が身に沁みた。

尾崎は練習嫌いを返上し、肉体づくりに励む。科学的トレーニングも取り入れた。アメリカに行って、ジャック・ニクラウスのゴルフを観察し、新たなスイングを模索した。これまでの力任せのスイングではなく、力学に裏打ちされたボディスイングを研究した。感性ではなく、理性のゴルフを目指したのだ。86年にはドライバーをこれまでの柿の木素材のパーシモンから、メタルに切り替える決断をし、メーカーと共同開発した。

そして迎えた88年の日本オープン。尾崎のドライバーショットがうなりをあげ、首位に立つ。青木も中島も踏ん張り、最終日は1位タイに並んだ。17番ホールで尾崎は10メートルのバーディーパットを決め、単独トップに。青木と中島は1打差の2位でホールアウトした。そして、迎えた尾崎の18番ホール。70センチという微妙な距離を残したパーパット。尾崎はプレッシャーから何度も構えを外す。そして決めたパーパット。強いジャンボが復活した。インタビューで尾崎は「手が震えて動かなかった」と振り返った。41歳にして、ようやく長いスランプから脱出したのだった。

2002年の全日空オープンで、55歳で113勝目を挙げて、世界最多優勝回数を誇った。その後も坐骨神経痛と闘いながら、「選ばれた人間は選ばれた道を全うするしかない」とプレーを続けた。青木も中島も「ジャンボがいたから、自分も頑張れた。思い出は宝物だ」と語る。

尾崎は「海外で勝つ」ことを目指した。だが、一度も優勝はできなかった。次男の建夫、三男の直道の兄弟は口を揃えて、尾崎の繊細な神経を指摘した。徳島県宍喰町で農家の5人兄弟の長男として生まれた。ジャンボ軍団の一人だった金子柱憲は尾崎が「不安だから練習する」、「クラブを抱えないと眠れない」と口にしたのを聞き、王者の孤独と恐怖心を知ったという。グリーンのマークに使う50円玉を握りしめ、般若心経を唱えるという姿に、「俺は歌舞伎役者だ」と豪語して派手なファッションで身を固めた外見とは裏腹のものを感じたと元キャディが語っているのも印象的だ。

1974年にアメリカに設立された「世界ゴルフ殿堂」に、尾崎は2011年に殿堂入りし、愛用したメタルドライバーが「多くのゴルフプレイヤーに多大な影響を与えた」と記され、展示されている。2013年には66歳で18ホール62というスコアを記録し、エージシュートを達成している。「生涯現役」をモットーとした尾崎は25年12月23日にS状結腸ガンで亡くなった。享年七十八。弟の建夫は「生き様も死に様も道標」、直道は「自分の道は自分で作れと教えてくれた」と語っている。

尾崎が2018年に千葉に創設したジャンボ尾崎ゴルフアカデミーの卒業生が次々と活躍している。原英莉花は2020年、23年の日本女子オープン優勝、西郷真央は2025年アメリカツアー優勝、佐久間朱莉は2025年年間女王に。そして、笹生優花は2021年に全米女子オープンで史上最年少優勝を飾った。

8歳でゴルフを始めた笹生は父親と二人三脚で世界ジュニアで活躍、2019年にプロテストに合格すると、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーに入所した。尾崎は独自に開発した素振り棒で「全身を使って早くて良いスイング」を身につけさせた。基本の大切さを徹底に仕込まれたという。その成果はドライバーショットに現れ、21年に続き24年にも全米女子オープンで優勝。世界に通用するプレイヤーを育てることになった。

ジャンボ尾崎。その偉大な足跡を辿ることで、日本ゴルフ界に多大な貢献をしていることがよく伝わってきた。