噺し問屋本所支店 三遊亭兼好「猫餅」、そして三谷幸喜×戸田恵子「虹のかけら~もうひとりのジュディ」

「噺し問屋本所支店~三遊亭兼好独演会」に行きました。「短命」と「猫餅」の二席。開口一番は三遊亭げんきさんで「元犬」、食いつきは三遊亭兼矢さんで「馬のす」だった。

「猫餅」は浪曲からの移植で、おそらく奈々福先生の「小田原の猫餅」の口演を落語化したと思われるが、かなり兼好師匠の手が入っていて、左甚五郎モノだが「いかにも落語」という味わいで、愉しい一席に仕上がっている。

本家猫餅と元祖猫餅が道を挟んで対立しているのを見て、甚五郎は明らかに客足の少ない「本家」を選んで、その店のおばあさんから購入する。一つ六文。そして、この猫餅という名の由来を聞く。

ある嵐の日、一匹の小猫が店に迷い込んできた。おじいさんがタマと名付けて可愛がると、不思議と客足が増え、タマが招き猫になったように繁盛したので、売り物の餅を「猫餅」という名前で売るようになる。そして、買った客が売値の六文をタマの掌の上に載せると、タマは銭函にきちんと納める。これが五文だと応じない。「この猫は銭勘定ができる」と益々評判になった。

向かいの蕎麦屋の虎造がこれを見て、餅屋をやりたいのでタマを貸してほしいと言って来たので、人の好いおじいさんは数日だったらいいだろうと貸してあげた。ところが、タマはあくびばかりして、ちっとも仕事をしない。恩ある人とない人の区別ができるのだ。怒った虎造はタマを殴って殺してしまった。

おじいさんはショックを受けて、代官所に訴えたが、虎造が代官に袖の下を渡していたので、訴えは通らず、おじいさんは「わしが悪かった。すまない」とタマの死骸を抱いて寝込んだが、とうとう死んでしまった。

この話を聞いた甚五郎はおばあさんに「招き猫を彫ってやる」と言って、三日ほど二階に籠って彫り上げた。それはタマの生き写しではないかと思うほどの出来映え。掌は上を向いていて、そこに六文の売り上げを置いてもらうと、ニャーと鳴いて、銭函にチャリンと入る仕掛けになっている。ニャー、チャリン。近所の人たちは「タマが生き返った」と騒ぎ、その評判が大久保加賀守にまで伝わって、「本家猫餅」は息を吹き返した。

これを妬んだ「元祖猫餅」の虎造は代官所に「あの彫物はバテレンの仕業」と訴え、「本家猫餅」のおばあさんがしょっぴかれてしまった。この噂を聞いた甚五郎が「私が作りました」と名乗り出る。大久保加賀守自らが裁くと言い出し、甚五郎に「証拠を見せろ」と言うと、甚五郎は代官に猫の彫物に六文を載せるように言うと、何とその六文が何と袖の下にチャリン!虎造と悪代官が結託していたことが明るみになるという…。

途中に、おばあさんの近所の大工の八五郎が甚五郎より前に猫の彫物を彫ってやるが、それは名人甚五郎作とは比べ物にならなかったが、甚五郎が手を加えることで、この猫(ドラえもんみたいな造作)を見ると皆笑ってしまって幸せになれるというエピソードを挿入した。最後に大久保加賀守が甚五郎作の福猫を譲ってほしいと言うが、おばあさんが「タマが生き返ったので渡せない」と言うと、甚五郎はつかさず「ここにもう一体、笑い猫という猫の彫物があるので、差し上げます」と、八五郎と甚五郎の合作を渡すというユーモアも。さすが兼好師匠らしい創作で、全編を通して愉快な高座になっているところが凄いと思った。

三谷幸喜×戸田恵子「虹のかけら~もうひとりのジュディ」を観ました。

してやられた。これぞ、三谷幸喜である。この一人芝居は戸田恵子さんの還暦記念として三谷幸喜さんが構成・演出を担当し、2019年に初演された。アメリカ・カーネギーホール公演も含め、今回が4回目の上演となる。僕は初めて観たのだった。

代表曲「虹の彼方に」や「オズの魔法使」のドロシー役などで知られる不世出の天才エンタテイナー、ジュディ・ガーランド(1922~69)の波瀾万丈な生涯を、同じ年に生まれて彼女と友人として付き合い、晩年は付き人にもなったジュディ・シルバーマン(奇しくも同じジュディ)の日記「虹のかけら」に沿って戸田さんが歌と語りで描き進めていく演出に90分間引き込まれたと思ったら…。最後になって、「シルバーマンなんて、そんな人物は存在しない、そんな日記もない」と三谷さんのナレーションが流れてビックリするという…。こういうところは本当に巧いなあと感嘆するばかりだ。

「オズの魔法使」「若草の頃」「イースター・パレード」「サマー・トレック」…。20代だったガーランドの出演する映画は次々とヒットした。だが、その陰でハードな撮影スケジュールをこなすために、映画会社は減量効果も兼ねた興奮剤と睡眠薬を交互に飲ませ、ガーランドはやがて精神を病んでしまい、頻繁に撮影に穴を空けてしまい、解雇されてしまう。

一時は再起不能が噂されるが、イギリスや全米本土のコンサートが好評を博し、満を持して、1954年「スタア誕生」で銀幕に復帰する。鬼気迫る熱演はアカデミー賞主演賞の最有力候補に名前が挙がるが、大方の予想を覆し、「喝采」のグレース・ケリーが受賞する。トニー賞、グラミー賞には輝いたガーランドだったが、アカデミー賞には縁がなかった。

私生活では、生涯に5度結婚。2番目の夫が「若草の頃に」のヴィンセント・ミネリで、彼との間に生まれたのが「キャバレー」でスターとなったライザ・ミネリだ。薬物とアルコール依存ゆえ、パフォーマンスにも好不調の波が激しかった。47歳で早逝したのも、鎮静剤の過剰摂取が原因といわれている。

まさに波瀾万丈。暗い影の部分も持ち合わせたガーランドの生涯だったが、三谷幸喜&戸田恵子という最高のコンビネーションで、とても魅力的な舞台であった。