【NHKアカデミア】中村獅童(歌舞伎俳優)

NHK―Eテレで「NHKアカデミア 歌舞伎俳優・中村獅童」を観ました。

二代目中村獅童は八歳で初舞台を踏んだ。既にそのとき、父は歌舞伎役者を廃業していた。世襲制が王道の歌舞伎界にあって、「親がいないのは、首が無いのと同じ」。獅童という名跡は父が子役だったときの名前だそうだ。祖父は名女形だったが、後ろ盾のない孤立した役者人生を歩んできた。

高校時代はバンドブームで、ロックやファッションに夢中になった。だが、十九歳のときに歌舞伎鑑賞教室のチケットを自分で買って、友達と一緒に観た。友達は「歌舞伎、面白い。カッコイイな」と言った。それが獅童の人生を大きく変えた。この歌舞伎の魅力を広げる存在になりたいと思った。

歌舞伎には時代を切り拓くアナーキーでパンクな要素がある。傾奇者(かぶきもの)の精神。ファッションリーダーとして誇りをもって生きていこうと思った。歌舞伎400年の歴史と言われるが。幕府から上演を禁止されることもあったくらい、時代に対する反骨精神が詰まっている。「女殺油地獄」は当時起こった殺人事件を題材にして作られた。時代の最先端をいくのが歌舞伎だと思った。

一度きりの人生、挑戦する精神で生きていきたい。獅童が手掛けたのが、バーチャルシンガー初音ミクとの共演による「超歌舞伎」だ。伝統芸能とサブカルチャーとの融合である。2016年に始め、人気演目になった。オタクは昔は陰に隠れたものだったが、今では時代を動かす存在になっている。そこに目を付けた。

「義経千本桜」というガッチリとした約束事に縛られた古典歌舞伎とデジタルのプログラミングとコラボレートすることで、新しいモノが生まれた。狐忠信の衣裳などはそのままにすることで、舞台映えがする。組み合わせる歌舞伎が古典であるほど「新しい」文化が生まれた。古典で泣いたり笑ったりするのと相通ずるものがあった。

それは古典歌舞伎が生身の人間が与える感動、大太鼓で雨や雪の情景を表現すること等、インターネットでは味わえない「日本人の美」を再認識することに繋がった。古典が逆に新しい、ということだろうか。

獅童がブレイクする転機となったのは、映画「ピンポン」への出演である。後ろ盾がないために、端役しか回ってこない中、いつか一代で大きな名前にしたいと夢を見て諦めなかった。この映画で獅童は第26回日本アカデミー賞新人賞を受賞する。ドラゴンという役に対し、力強い雰囲気を出すために歌舞伎の型っぽく演じたことが功を奏した。そして、次々とオファーが舞い込む。

歌舞伎においても主要な役が回ってくるようになる。それは新たな苦難の到来だった。群衆の役からいきなり、ポン!と主役を任されると、歌舞伎の技術が追いつかない。記録映像を観ただけではわからない、声の出し方、役作り、台詞のテンポなど先輩に教えを請いに行く。いわゆる口伝だ。先輩たちは丁寧に教えてくれた。

十八代中村勘三郎は恩人である。型でやろうやろうとすると、心が入らない。型はどうでもいいから、心でがむしゃらに演じられる役者になれと言ってくれた。思い切りやれと励ましてくれた。魂と型の両方が一致して良い演技ができる。どちらが先行してもいけない。お客様に届くように、がむしゃらに演じた。ライバルは自分なんだ。一つの山に到達すると、さらに高い山を目指す。それもできると、さらに高い山に…。人生というのはそういうものか、と。

映像の世界でも活躍した。映画「硫黄島からの手紙」では、クリント・イーストウッド監督から「役になりきれ」と言われ、役者を信頼する演出に驚いたという。

そして、獅童の代表作ともいえる歌舞伎が生まれた。絵本「あらしのよるに」の歌舞伎化だ。獅童演じるオオカミのガブと尾上松也演じるヤギのメイが「食う、食われる」の関係に葛藤しながら、二匹は友情を深めていくという物語だ。きっかけは「てれび絵本」の朗読を担当したことだった。初めての声優の仕事。プロデューサーに起用の理由を訊いたら、「(義経千本桜の)四の切で狐忠信を演じたのを観て、動物の声を演じてもらうと面白いかもと思った」と。登場人物が全部動物、歌舞伎の世界観に合うと思った。

京都南座で座頭を勤めることになったとき、何の演目にするか?と考えたときに、この「あらしのよるに」が浮かんだ。だが、亡くなった母・陽子さんが生前に既にこの新作歌舞伎「あらしのよるに」の企画書を松竹に提出していたという…。子ども時代に色々なエンターテインメントを観せてくれて「表現者は皆同じ」と教えてくれた母の温もりをそこに感じた。

好きなことが仕事になっている。それが生きるエネルギーになる。努力を努力と思っているようじゃ駄目だ。生きることは苦しいこともあるかもしれないが、観る人に生きる喜びを与えるのが表現者ではないかと語った獅童が印象的だった。