團菊祭五月大歌舞伎 三代目尾上辰之助襲名披露&「助六由縁江戸桜」

團菊祭五月大歌舞伎に行きました。
昼の部 南総里見八犬伝/六歌仙容彩/寿曽我対面
夜の部 鬼一法眼三略巻 菊畑/助六由縁江戸桜
「寿曽我対面」と「鬼一法眼三略巻 菊畑」が三代目尾上辰之助襲名披露狂言だ。三代目尾上左近が「辰之助」を襲名することになった。初代は祖父、初代左近から昭和40年に辰之助を襲名したが、昭和62年に40歳という若さで早逝した。漢気に溢れ、まさに竹を割ったようなシャープな芸風は、同世代の俳優の誰にもないものだったという。平成13年に三代目松緑を追贈されている。
二代目辰之助は父、当代の松緑だ。昭和56年に6歳で二代目左近を名乗り初舞台を踏むが、その6年後に父を亡くしている。平成3年に二代目辰之助、同14年に四代目松緑を襲名。筋書の中で織田絋二氏が「辰之助三代」と題した寄稿で、「当代松緑は一言で云えば直情径行の人だと思う。状況に右顧左眄することなく、脇目もふらずに歌舞伎の道を邁進する姿は、潔くそして今まさに貴重な存在である」と評価している。
そして、三代目辰之助である。平成26年に8歳で三代目左近を襲名し、初舞台。今回、20歳での辰之助襲名だ。織田氏によれば、「妹背山婦女庭訓」における可憐な太宰息女雛鳥の初々しさに天性の花があり、「菅原伝授手習鑑 車引」の桜丸は可憐なだけでなく、しっかりとした基本に裏付けされた歌舞伎俳優の身体を持っている、腰の構えや足運びが、歌舞伎や日本舞踊の理に適っていると高く評価している。
とりわけ、家系に女方の伝統がない中、若さや華やかさを持つ新辰之助は、新たな芸の鉱脈に挑む心意気に期待できる。父親とはまた違う魅力のある俳優として花開くことに大いに期待したい。
「助六由縁江戸桜」。助六が実は曽我五郎時致で、父の仇である工藤左衛門祐経を討とうとしていること、それゆえに家宝友切丸の行方を詮議しているという前提が中盤になって判るところが面白い。白酒売りの新兵衛が実は曽我十郎祐成、助六の兄で「弟が近頃吉原に入り浸り、喧嘩ばかりしている」と知り、諫めようと現れたが、五郎は誰彼となく喧嘩を売っているのは相手に刀を抜かせ、友切丸かどうかを検めているのだと教えられ、納得がいく。
髭の意休はその意味で重要な存在だ。三浦屋抱えの全盛を誇る松の位の太夫職である揚巻花魁と助六の関係に嫉妬し、意休が横恋慕で意地悪をしているわけではないのだ。助六の素性を推測していて、亡き父の仇討をしないで、放蕩の限りを尽くす不孝者に見える助六に魂を入れ替えさせようと考えていたのだ。実際、友切丸は意休が持っていた。だから、わざと悪態をついていたのだと思うと理解がいく。
でも、この芝居の本筋はそこにあるのだけれど、その周辺の部分を滑稽味ある演出で膨らませているところが、この演目が愉しいところだろう。意休の子分のくわんぺら門兵衛も意休同様に廓の女性たちに嫌われるが、通り掛かりの福山のかつぎに言い掛かりをつけると、それを見た助六が割って入り、門兵衛の頭にうどんをかぶせてしまう件。さらに、助六が意休の頭の上に履いていた下駄を載せて侮辱し、「刀を抜け」と喧嘩を吹っ掛ける件。ユーモアに包みながら、助六vs意休の構図を見せる。
ユーモアという意味では、助六の兄にあたる白酒売りの新兵衛に喧嘩のやり方を指南するところも面白い。それを実践しようと、侍の利金太と奴の奈良平、続いて通人の里暁に喧嘩を吹っ掛け、自分の股の下を潜らせて、腰の物を検めるシーンも場内を爆笑の渦に巻き込んでいた。特に里暁を演じた尾上右近は助六役の團十郎と新兵衛役の梅玉にプライベートでお世話になっていることを具体的に述べた台詞になっていて、可笑しかった。
三浦屋から揚巻が侍の客を伴って出てくるところも肝だ。揚巻が自分でない客を取っていたことに腹を立て、助六は悪態をつくが、編み笠の中の顔を見た途端にすごすごと退散してしまう。続いて新兵衛が編み笠の中を覗くと同様に恐縮してしまう。その編み笠の侍こそ、兄弟の母である曽我満江だった…。助六こと五郎の素行を心配した満江は揚巻に手紙を書き、変装して三浦屋にやってきたのだった。その行動が友切丸詮議のためと知り、安堵した満江は「怪我、過ちのないよう」忠告し、守り代わりの紙衣を与える。コミカルの中にも、この芝居の本筋に戻っていくのが良かった。


