百栄てきぃーら 春風亭百栄「一番ベシ」、そして一之輔のすすめ、レレレ 春風亭一之輔「淀五郎」

「百栄てきぃーら~春風亭百栄独演会」に行きました。「バイオレンススコ」「一番ベシ」「引越しの夢」「鰻ねこ」の四席。

「一番ベシ」、10年ぶりくらいに涙を流して笑った。お腹がねじれるという表現があるが、大袈裟ではなく、まさにそれ。百栄師匠ならではのセンスが光るギャグが次々と繰り出され、堪らなく可笑しかった。

末広亭の高座を終えて、「帰りはラーメンでも食べるか」と楽屋を出ると、そこに待っていたのは目付きの怪しい一人の男。直感的に「弟子入り志願だ」と思う。二ツ目だった栄助時代に「強情灸」を演り終えて、今の桂右女助師匠が入門志願に来て、「二ツ目は弟子を取れない」と断り、三升家小勝師匠を紹介したことがあった。また、池袋で「お血脈」を気持ちよく演じた後に一人の男が現れ、「入門志願か?」と思ったら、「あなたに正しい善光寺の由来を教える」と近寄ってきたことも思い出される。そういえば、圓生師匠が落語協会から脱退して三遊協会を設立したときに、静岡清水で落語会があって、圓生が「庖丁」、圓楽が「短命」を演って、たまたま楽屋口からタクシーに乗り込むところで、青木規雄少年が意味不明なことをこの二人に叫んだ思い出もある…。様々な記憶が走馬灯のようによみがえる。

男が「デシ…」と口走る。弟子…いや、待てよ。デシリットル?デシベル?それともベシ?「もーれつア太郎」のキャラクターをこの男がなぜ?それとも若者言葉なのか?「何か、デシだるくねえ?」。「デシうざいんですけど」。

次にはっきりと言った。「弟子にしてください」。取るよ!取るよ!取るに決まっているよ!でも、ここは簡単に済ませてはいけない。質問をする。「落語が好きなんだね?」。すると、男は「モモエのが、モモエのがが、モモエのやっているのがががが…好きです」。緊張しているのは判るが、何か違和感がある。呼び捨て?

そうか。偶像化しているのか。ひろみ、秀樹、五郎。俺はこの男にとってアイドルなんだ。でも、トシちゃん、よっちゃん、マッチは違うぞ。俺は「たのきん」じゃない。新御三家の方なんだ。さん喬、権太楼、百栄か。雲助はあいざき進也か。

年は?「三十四です」。僕だって32歳で入門したんだ。今は落語協会の年齢制限もなくなっているし。取るよ!取るよ!でも、厳しいところを見せなければ。「前座修行は厳しいよ」。すると、「頑張ります。でも、もししくじったときは許してください」。最初から謝るのはちょっとおかしくないか。

名前は?「春風亭かきおです」。???!!!百栄から一字取って、モモ?桃ではなく、柿ということ?じゃあ、昔昔亭じゃないか?あるいは蝶花楼?本名だよ。「イトウノブヒロです」と答えて、舌打ちをした。不機嫌になってしまった。挽回しないと。

面白い子だね。クラスで人気者だった?「モンスター級スーパースターでした。ホームルームではクラス中、笑いで包まれました。クスクスと笑ってくれて」。それは忍び笑い?蔑み笑いでは?「最後に担任がいいかげんにしろ!と言って終わりました」。

向いていない…行くとしても、根岸の林家しかない。断った方がいいだろう。他の師匠へ…というか、他のお仕事の方が…というか、他の施設がいいんじゃないかな。すると、男はキレる。「お前、断るのか!破門にするのか!」。破門も何も入門していないのに…。

「破門はこれを読んでから言え!」。突き出されたのは、彼が書いた新作落語だった。黒人のホワイト君が白人のロサンゼルス市長のブラウンさんを訪ねる形式で、オチは「またドリームになるといけねえ」。男いわく、「モモエチックだろう」。最後は「諦めてやってもいい。ただ、頼みがある。今度、『100人の師匠に断られた僕』という本を出すから、帯に推薦文を書いてください」。

久しぶりに強烈な百栄節を聴いて、幸せな気分になった。

「一之輔のすすめ、レレレ~春風亭一之輔独演会」に行きました。「四人癖」「ちりとてちん」「淀五郎」の三席。ゲストは柳家㐂三郎師匠で「啞の釣り」、開口一番は桂枝平さんで「親子酒」だった。

「淀五郎」。森田座の狂言「仮名手本忠臣蔵」で判官役に穴が空いた。座頭の四代目市川團蔵は相中の淀五郎を抜擢して、名題に昇進させ、判官を任せた。血筋でない大部屋出身の淀五郎にとっては天にも昇る気持ちだったろう。だが、幕が開いた初日、由良之助役の團蔵が花道に出て、舞台にいる淀五郎の判官を見てガッカリする。「拙い判官だ。見込み違いだった」。由良之助は判官に近寄らずに四段目が終わる。

淀五郎が團蔵の楽屋を訪ね、「ああいう型があるのでしょうか」と訊ねる。呆れた團蔵は「五万三千石の判官が腹を切るから傍に行ける。淀五郎が腹を切っていたら、近寄れない」。「どこが悪いのでしょうか」に「それは良いところがある役者が言うこと。悪いところだらけ、まるで駄目だ」。「どのように腹を切ったらよいのでしょう」に「本当に切ればいい。拙い役者は死ねばいい」。

皮肉團蔵、意地悪團蔵と渾名されているが、中村仲蔵の解釈に合点がいった。自分がやりにくい思いをしてでも、淀さんに気づいてほしいと思っているんだ。淀さんに見所があると思ったから、抜擢したんだ。三河屋さんは不器用だから、そういう言い方しかできないが、何か考えがあってのことだと思うよ。

さらに、淀五郎が判官切腹の演技を仲蔵にして見せたときの仲蔵の助言が的確である。酷いね。私が由良之助でも傍には行けない。誰の型だい?誰の型でもない?それがいけない。それを型無しというんだ。型破りは型ができて初めて型破りなんだ。淀さんの師匠の判官はいい判官だったよ。見ておかないといけない。

そして、了見。お前は誰だい?判官が自分の短慮で御家取り潰しになり、なぜ自分ばかり罰せられるのか、悔しい思いと家来に対して申し訳ない気持ちでいっぱいのはずだ。それが淀さんは名題になって「嬉しい」「どうだ、上手いだろう」「褒めてくれ、拍手してくれ」という気持ちが先走っている。お前は判官なんだよ。

技術的な面でも、左手の置き方、九寸五分の持ち方、声が張りすぎるから「寒い」という気持ちで台詞を言え、青黛を唇に塗って顔色を悪くする術…微に入り細に入り指導してあげる仲蔵の温かさが心を打つ。そして、最後に「肝心なのは肚だ。了見だ」ともう一度、言って聞かせるところ、素晴らしい。

一之輔師匠は普段から歌舞伎をよく観ていらっしゃるので、仲蔵が淀五郎を演技指導するところにリアリティがあり、説得力のある高座だなあと感心した。