新宿講談会 田辺いちか「名医と名優」、そして一花繚乱 春風亭一花「三方一両損」

新宿講談会夜の部に行きました。

「クリストフォルス キリストを担いだ男」宝井小琴/「和洋髪型大合戦」神田おりびあ/トーク 春陽・小琴・おりびあ/中入り/トーク 春陽・音助・いちか/「人形買い」雷門音助/「名医と名優」田辺いちか

いちかさんの「名医と名優」。「目が見えなければ、役者は死んだも同然。舞台が命」と覚悟を示す三代目中村歌右衛門に対し、半井源太郎も「この手術が失敗すれば、医者の看板を降ろす覚悟」で臨んだというところに、男と男の気持ちの通じ合いを見る。

果たして、手術は成功し、歌右衛門の目は「見えた」。喜んで、感謝の気持ちから二百両を渡そうとするが、半井はこれを拒む。「医者は人の病を癒す。役者は人の心を癒す。お互い様。医者として当然のことをしたまで」という了見が素晴らしい。歌右衛門は半井の気持ちを汲んで、一大事の際には「歌右衛門、参れ」の手紙を一本くだされば、どんなことがあっても馳せ参じるという約束をする。美しい。

向島上半において、「舞うか、歌うかしろ」という土方縫殿助に対し「私は酒席の幇間ではない」と医者としての矜持を示した半井源太郎。「天下一の踊り手に舞ってもらえばいい」と言うと、土方は「天下一といえば、坂東三津五郎か、中村歌右衛門。お前が呼べるのか」と嘲笑う。半井にとって本当は使いたくなかった「男と男の約束」だったであろうが、抜き差しならぬ立場に置かれ、中村座で興行中の歌右衛門に事情を書いた手紙を書く。この座敷において一差し舞ってほしい…。果たせねば、腹を切る覚悟だ。

この手紙を楽屋で受け取った歌右衛門は残された一幕「熊谷陣屋」を控えて、向島に駆け付けたいと座元に請い願う。「舞台が命ではないのか」という問いに、「その命を私に与えてくれたのが半井先生なのだ」。そして、満員の観客を前に口上を述べる。「今日の歌右衛門があるのは、半井先生があってこそ。駆け付けなければ、人として三文の値打ちもない。一世一代のお願いです」。観客は歌右衛門の漢気に触れ、理解を示す。「行って来い!待っているぞ」。

半井が土方と約束した刻限、五つの鐘が鳴り終わろうとしたとき、「暫く!」という歌右衛門の声。「大変、お待たせしました」。そして、一差し舞った後、歌右衛門は半井を連れて、中村座へ戻る。この評判によって、世渡り下手で貧乏暮らしをしていた半井は名医と呼ばれ、将軍家斉公の目の治療もしたという…。男と男の約束はかくありたい。素敵な読み物である。

「一花繚乱~春風亭一花勉強会」に行きました。「駆け込み寺」「家見舞」「三方一両損」の三席。開口一番は柳亭市遼さんで「初音の鼓」だった。

「三方一両損」は、浅草橋出身の江戸っ子、一花さんの歯切れの良い江戸弁が気持ち良い高座だ。神田小柳町、大工の吉五郎vs神田白壁町、左官の金太郎。吉五郎が「財布を落としてさっぱりして、鰯の塩焼きで一杯やろうとしていたのに余計なおせっかいをしやがって」と言えば、金太郎も「礼が欲しくて財布を届けに来たわけじゃない。親切に困っているだろうと財布を届けたのに、張り倒すとは何事だ」。江戸っ子気質の意地の張り合いが実によく描けている。

その上、吉五郎が喧嘩を止めに入った自分の大家に言う啖呵がいかしている。長屋三十六軒、店賃を払えない奴ばかりの中、俺は晦日にきちんきちんと納めているんだ。それなのに、てめえは盆が来ようが正月が来ようが、半紙一枚、海苔一帖持ってきたことがあるか?!どうして相手の肩を持ち、店子の味方をしないのかというのは、ある意味正論かもしれない。

また、金太郎の大家もいかにも江戸っ子らしい。財布を拾った?「屈み女に反り男」と言うだろう。何か落ちていないかって、屈んで歩くからそんな災難に遭うんだ。男っていうのは、反り身になって歩かなくちゃいけない。なるほど。また、奉行所で大岡越前守に「どうして届ける了見になったのか」と訊かれ、金太郎がブチ切れるのも尤もだ。「財布をネコババしろって言うのか!」。

この落語は大岡政談として「越前守の名裁き」に感心する噺ではないと思う。三両に越前守の一両を加え、吉五郎と金太郎に二両ずつ褒美をやるから「三方が一両ずつ損をする」?金太郎は自分の金など失っていないから、損などしていないし、そもそも越前守がなぜ一両出さなければいかないのか、その理屈もよくわからない。そこに力点を置くと矛盾が多い噺だ。むしろ、吉五郎、金太郎、そしてそれぞれの大家含め、江戸っ子とはかくありたいという江戸っ子気質を表現した落語として楽しむべき噺だと思う。その意味において、一花さんの高座は成功していると言えるだろう。