津の守講談会 宝井琴星「墨染めの桜」神田こなぎ「秋色桜」田辺凌鶴「桜山の花見」

津の守講談会初日に行きました。
「島田虎之助」神田はるまき/「木村又蔵」一龍斎貞昌/「五條橋」宝井優星/「伊達政宗堪忍袋」田辺一記/「伊豆の長八」一龍斎春水/中入り/「祐天吉松 飛鳥山親子の出会い」一龍斎貞寿/「墨染めの桜」宝井琴星
琴星先生の「墨染めの桜」。ゴードン・スミス原作。これも怪談の部類に入るのだろうか。幻想的な読み物である。下総国千葉郡の大願寺の住職、祐天上人は近所にある桜の大木を好み、この木の下で経を唱えたり、本を読んだり、瞑想したりしていた。祐天は墨染めの衣を着ていたので、誰かれとなくその木を「墨染めの桜」と呼んだ。やがて祐天は成田新勝寺の住職となった。
京の都で右大臣の藤原基経が御殿を新築した折、庭に何か植えたいと望み、家来の蔵人が「下総国に墨染めの桜がある」と進言する。基経は祐天のことを教えられ、「ではきっと、その桜の木も仏教の修行を積んでいるであろう」と言って、自分の庭に移せないかと考えた。
徳川家の許しを得て、村長の金兵衛らが協力し、蔵人立ち合いの下、墨染めの桜の掘り起こし作業をおこなうことになる。だが、その前日、蔵人のところに祐天上人が現れ、「掘り起こしはやめてほしい。この桜の木には桜の精が宿っている。源頼朝の時代、為人皇子が植樹した木で、皇子の魂も宿っている。これを無闇に動かすと天罰が下る」と言って、消えた。
翌日、予定通りに掘り起こしの作業を始めると、にわかに雷鳴、そして大地が揺れた。作業を止めると、揺れは収まる。だが、また作業を始めると、また大地が揺れる。その繰り返しだ。と同時に幹に祐天上人が現れは消え、現れては消えた。蔵人は作業を中止させる。そして、徳川家の遣いが成田新勝寺の祐天上人を訪ねると、祐天は「成田に移ってから一度も下総には行っていない。この一カ月は寺を一歩も動いていない」と言う。
祐天上人は遣いに同行し、蔵人に対面。墨染めの桜を久しぶりに訪れる。そして、経を唱えると、幹にもう一人の祐天が現れた。これは一体、どういうことだ?「皇子の魂と桜の精が宿っているのだ」と考えた蔵人は京の右大臣基経に報告すると、「不思議なことがあるものだ。天罰が下ると大変なことになる」と植え替えを取りやめるように指示を出した。そして、蔵人は新勝寺の祐天上人の許、出家をして仏門に入ったという…。幻想的世界観がとても良かった。
津の守講談会二日目に行きました。
「三方ヶ原軍記」神田山兎/「一心太助 旗本との喧嘩」田辺凌々/「千葉周作 幼年時代」宝井優星/「大久保彦左衛門 梅の花の御意見」一龍斎貞奈/「ボロ忠売り出し」宝井琴調/中入り/「山内一豊 出世の馬揃え」神田山緑/「秋色桜」神田こなぎ
こなぎ先生の「秋色桜」。鳶が鷹を生んだかもしれないが、その鷹は親を敬う気持ちを忘れなかった。親孝行と言葉では簡単に言うけれど、大切な心掛けである。宝井其角が自分の住む日本橋の寺子屋で見つけた七歳の才女おあき。「初雪やにの字にの字の下駄の跡」に感心し、弟子にすると、めきめきと上達し、俳号秋色を賜る。だが、父親の菓子職人、六右衛門には何のことやらわからないのも当然だろう。
おあきが上野の山に花見に出かけたときに、酔っ払いの様子を見て詠んだ俳句。井の端の桜あぶなし酒の酔い。この俳句を宮様が見つけ、寺社奉行から町奉行、そして小網町の大家藤兵衛に話が通り、店子の六右衛門とおあきは奉行所に出向く。そして、おあきは宮様との面会を許され、「柳に寄せる車」というお題で詠んだ俳句が、青柳や車の下のこぼれ米。宮様はおあきを大層気に入り、褒美を与えるとともに、度々大名などの宴席に招待されるようになる。ついには家を一軒構え、小網町に俳句指南所を開き、女宗匠となった。父親の六右衛門にはさっぱり理解できないけれど、「うちの娘はすごいのかも」とは思っただろう。だが、おあきはそんなことはお首にも出さないのが良い。
あるとき、おあきは宮様に招待された際に「素敵な庭の眺めを父にも見せたい」と思った。だが、六右衛門は礼儀を知らない。そこで、六右衛門を父としてではなく「伴の者」として同伴した。その帰り道、生憎雨に降られ、おあきは駕籠に乗り、六右衛門は提灯持ちとして後をついた。おあきは「親を歩かせて、子は駕籠に乗るのは間違っている」と考え、仮病の腹痛を駕籠かきに申し出て、薬と湯を用意するように願い、その間に六右衛門とおあきが入れ替わるようにした。その心遣いこそ、親孝行であろう。才女である以上に、孝行を忘れない孝女として、秋色ことおあきの評判は益々高まった。素敵な読み物である。
津の守講談会三日目に行きました。
「島田虎之助」神田はるまき/「山中鹿之助」宝井琴人/「三方ヶ原軍記」神田ようかん/「雷電為右衛門の生い立ち」宝井小琴/「昆寛 狐の鐘叩き」一龍斎貞友/中入り/「大久保彦左衛門 生き肝の御意見」神田菫花/「桜山の花見」田辺凌鶴
凌鶴先生の「桜山の花見」、初めて聴いたが良かった。朝鮮出兵を前にした勢いのある太閤秀吉の奢り昂りを諫める上杉景勝、そのブレーンとなった直江山城守が実にあっぱれである。肥前国唐津で諸大名が集まり、秀吉をもてなす花見の宴が開かれたとき、秀吉は大名たちに「仮装」の趣向をするように命じる。余興とはいえ、秀吉の命とあれば絶対服従。今で言うパワハラだ。
徳川家康や前田利家といった面々が秀吉の傲慢を受け入れて、道化をする中、上杉景勝だけは「平素の姿」で現れた。当然、秀吉は「俺の意に背くのか」と怒る。景勝が「武骨者ゆえ、無作法だから」と言い訳をすると、秀吉は「無礼講だ。どんなことをしてもかまわぬ。何かに姿を変えて出てこい」と無理強いをする。
景勝は一旦幕外に下がると、直江山城守は「これは太閤殿の増長に御意見申し上げるチャンス」だと捉えるところがすごい。そして、肥桶(こえたご)を担ぐ百姓の姿に仮装するように準備をさせる。肥桶には正真正銘の人糞をたっぷりと入れて、傍に寄るだけで臭い。しかも、景勝はヨレヨレの百姓のなりに着替えて、この肥桶を担いで歩く。足の運びも心許なく、人糞がピチャン!ピチャン!と撥ねる。
さすがの秀吉もこれには呆気をとられ、「わかった、わかった。あっぱれである」と退散するように命じるが、景勝はこのまま下がっては面白くないと担ぐ肩を右から左に変える「廻し肩」を披露。すると、秀吉は「見苦しいぞ」と不機嫌になってしまった。景勝はここぞとばかりに、「殿に伺います。太閤様はどのような無作法でも良いとおっしゃいました。約束が違うではありませんか。それを見苦しいと?民は国が富めるために一生懸命に働いています。その民の姿を見苦しいとおっしゃるのですか?畑を肥やす人糞を不潔だとおっしゃるのですか?合点がいきませぬ」。
これを聞いた秀吉は怒りが和らぎ、「さすが、上杉公だ。あっぱれ。秀逸だ。見苦しいと言ったのは本心ではない…盃を取らせよう」。これによって景勝は30万石を賜る。そして、「この思いつきは直江であろう」と推察し、直江山城守兼続を米沢城主に取り立てたという…。大変に興味深い読み物であった。

