松鯉・奈々福二人会 神田松鯉「出世の春駒」玉川奈々福「陸奥間違い」、そして新鋭女流花便り寄席 神田こなぎ「出世証文」田辺一邑「豊竹呂昇」

松鯉・奈々福二人会に行きました。神田松鯉先生が「初夢縁起」と「寛永三馬術 出世の春駒」、玉川奈々福先生が「陸奥間違い」と「ライト兄弟」。曲師は沢村まみさん、開口一番は神田松樹さんで「寛永宮本武蔵伝 狼退治」だった。

奈々福先生の「陸奥間違い」。直参旗本小役人の穴山小左衛門の下男、仙助の田舎者で抜けたところがあるけれど、憎まないキャラクターが良い。穴山が兄弟同様に付き合いをしている300石取りの祐筆・松野陸奥守に三十両の無心の手紙を届けるところ、欠字が原因となり62万石の大大名、松平陸奥守のところに行ってしまう騒動を面白おかしく描いて愉しい。

伊達家の渡辺綱右衛門は「使者」と名乗る仙助を丁重にもてなし、陸奥守も「江戸詰め大名数ある中、大名の中の大名とみこまれた」ことを喜び、三十両の無心は三千両の間違いだろうと受け取り、酒肴で仙助を歓待。仙助が竹に雀の紋の入った重箱を持って帰ってきたのを見て、小左衛門は大慌て。さらに綱右衛門が穴山家を訪ね、小左衛門が「これは間違い」と説明するも、綱右衛門は「それは困る。拙者は800石取りの武士。どうぞ受け取りを」。「直参ゆえ外様の情けは受け取れない」と主張する小左衛門に対し、切腹も覚悟であると綱右衛門は訴え、小左衛門は慌ててしまうところもコミカルだ。

最終的には知恵伊豆こと松平伊豆守が将軍家綱になりかわって、「貧ほどつらきものはない。穴山は三千両を受け取れ。上様からは仙台公に改めて返礼する」という判断。小左衛門はその厚い情けに泣くのも良い。陸奥守は伊達家に限りことにした沙汰を仙台公は大層名誉と喜び、松野陸奥守だった小左衛門の兄弟分も河内守となって300石から一気に3000石に出世するという…。みんながハッピーエンドのめでたい高座を楽しんだ。

松鯉先生の「出世の春駒」。将軍家光が愛宕山頂の梅花を手折ってまいれ、しかも騎馬にて石段を登っていけという無茶振り。側近の紋太郎と清太夫が「にわかの腹痛」になって辞退し、誰一人として名乗りをあげる者がいないことに腹を立てた家光が「では、余が直々に登り参る」と言ったものの…。186段の急勾配。後には退けない、誰か止めてくれないかと困っている家光を見て、松平伊豆守が「ちょうど良い機会。最近、殿のお痛が過ぎる。油を搾ろう」と暫く静観しているところが面白い。

鳥居喜一郎、山本右京らが悉く失敗する中、伊豆守は「ご帰城あって然るべき」と判断し、「還御~」の声が響くが…。そこに名乗りをあげたのが、丸亀藩の家臣・曲垣平九郎。松鯉先生は他の馬術指南役は上手かもしれないが、曲垣は名人と言って、その違いを説明するところ、なるほどと思った。上手は「俺は馬を乗るのが上手い」と思っているが、名人は「俺が登るのではない、馬が登るのだ」と考え、石段を馬に見せ、得心させる。曲垣と馬の会話がとても良い。「一緒に乗り上がろう」「へい、承知しました」。

そして、魔の七合目。曲垣はここで休息を取る。だくだくと流れる馬の汗を手拭いでキュッキュと拭き取ってあげる。そして、懐から一掴みの塩を取り出し、馬に舐めさせる。息遣いが整い、力が湧いたところで、一気に石段を頂上まで駆け登った。曲垣の人間的温かみを感じる高座だった。

新鋭女流花便り寄席に行きました。

「奴の小万生い立ち」神田山兎/「日乃出屋カビ合戦」神田おりびあ/「秋色桜」田辺一記/「大悲千禄本」一龍斎貞奈/コント 平成バブル/「出世証文」神田こなぎ/中入り/「円蔵恋慕唄」東家三可子・伊丹秀勇/「ん廻し」三遊亭こと馬/腹話術 スージィー/「豊竹呂昇」田辺一邑

こなぎ先生の「出世証文」。淡路屋喜三郎の執念の物語だ。おもちゃ屋だったが、肥後熊本への荷物を積んだ船が時化に遭い、150両という大損をしてしまう。問屋衆に借金の返済を待ってもらうお願いに廻っている間に、女房のお市が実家に帰ってしまい、義母や義兄のところに行くと、「甲斐性なし」と罵られ、離縁を言い渡されてしまう。何と薄情なことか。

喜三郎は家財道具を売り払い、25両を拵えると、問屋衆に少しずつ返済し、「あとは出世証文でお願いできないか」と頭を下げる。問屋衆は喜三郎が信用できる人物だったので、それで承諾した。喜三郎は高津の兄のところに行って事情を話し、江戸への路銀三両を貰って出立する。

口入屋の上州屋に神田にある大久保という菓子屋を紹介してもらい、働く。だが、奉公人の寅吉が旦那を騙して小豆二袋分をくすねて自分の懐に入れる不正を目の当たりにして、喜三郎は嫌気がさし、暇を貰った。

続いて、両国の三河屋という鰹節屋を紹介してもらい、働く。一生懸命な喜三郎に一人娘のお絹が惚れ、旦那が「婿に入ってくれないか」と言ってくる。しかし、喜三郎は「125両の借金を返すまでは婿入りできない」と拒み、旦那がそれは肩代わりするからと優しい言葉を掛けるも、生真面目な喜三郎は「それはできない」と言って、居づらくなって暇を貰った。

喜三郎は奉公勤めをやめ、自分で菓子を仕入れて商う出商人になる。そして、その傍ら、練り羊羹の製造の試行錯誤をした。江戸は蒸し羊羹が主流だが、上方では餡に寒天を混ぜた練り羊羹が主流。完成すると、日本橋に店を構え、「江戸元祖練り羊羹 淡路屋」として売り出すと、これが大流行。

この店に一人の尼さんが訪ねる。何とそれは三河屋のお絹、喜三郎のことが忘れられずに出家したのだという。喜三郎は「申し訳ないことをした」と謝る。後日、三河屋の旦那が訪れ、「お絹を嫁に貰ってくれないか。あれは婿除けの出家なのだ」。めでたく、喜三郎とお絹は祝言を挙げ、300両を持って大坂へ。まず、高津の兄に路銀の御礼をし、出世証文を認めてくれた問屋衆にもきっちりと借金を返済した。皆、「真面目な男だ」と感心したという…。素敵な読み物だ。

一邑先生の「豊竹呂昇」。豊竹呂昇の若手時代から当代一の女義太夫に成長するまでをドラマチックに演出しているのが良い。竹本小土佐の弟子で、十九歳の竹本仲路が大須七福亭の楽屋にいると、客席に巾着切りが出た!と騒ぎになり、その巾着切りの男が楽屋に入って、葛籠の中に隠れた。巡査が追いかけてきた。仲路が何もなかったように振る舞うと、巡査たちは出て行った。男は「ありがとうよ。この御礼は必ずするからな」と言って、去る。

三か月後。呉服商・大津屋久兵衛の番頭が仲路のところにやって来て、「若旦那の国三郎さんとは手を切ってくれ」と頼んだ。手切れ金は千円。仲路は「私たちの間には国松という息子もいる。そんなバカなことは受け入れない」と抗弁するも、番頭は「所詮女芸人。身の程知らずなんだよ!」。仲路が直接大津屋を訪ね。「国三郎さんに会わせてください」と談判するも、けんもほろろ。放り出されてしまった。

悔しい。死んでやる!仲路は熱田の海岸へ行き、身投げしようとする。それを止めたのは…「俺だよ。七福亭でお世話になった。巾着切りの電信小僧の万吉だ」。お前さんには大事な芸があるだろう。今は粗削りだが、きっと売れっ子になる。仲路は思いとどまり、「あなたは命の恩人。私が出世したら、あなたを養ってあげる。それまで、お達者で」。

仲路は家に帰り、母親に事情を話す。薄情な若旦那には呆れた。私には芸しかない。本場の大坂で修業がしたい。理解ある母親は「国松は私が面倒を見る。行っておいで」。仲路は豊竹呂太夫の弟子となり、三年後には一本立ちして豊竹呂昇を名乗り、襲名披露興行も成功。さらに二年後には大看板となり、大坂に名古屋の母と息子を引き取ることができた。

住吉の瓢屋という料亭で贔屓客を招いての新年会を開く。贔屓衆は政財界の大物がずらり。挨拶を終え、呂昇が庭で酔いを醒ましていると、「太夫さん!」と呼ぶ声がする。それは電信小僧の万吉だった。「親分!その節はお世話になりました」。万吉はずっと呂昇の高座を見続けていたという。「聴かせてもらった。日の出の勢いだね。俺の目に狂いはなかった」。呂昇に匿名で後ろ幕や見台を贈ったのも、万吉だった。

今は大坂の巾着切りの親分になったが、警察の取り締まりが厳しいので、外国に高飛びしようと思っている、と。そして、「天狗は芸の行き止まりだよ。しっかり、おやり」。すると、呂昇が「あのときの約束が…一人前になったら養うと。今こそ、果たさせてください。どうか、私と一緒に」。だが、万吉は「その言葉だけで十分だよ。辞退するよ」。

そこに万吉を追っていた巡査が「御用だ!」と取り囲む。それを遮るように呂昇が「私はこの人に命を助けてもらった恩がある」。万吉は「何の関わり合いもない」と否定。呂昇は声を限りに呼びかける。二人の目には涙が浮かぶ。「豊竹呂昇は人でございます。必ず御恩報じします。どうか、お体をお大事にしてください…」。呂昇はこの後益々精進を重ね、東京へ進出。名古屋にも錦を飾って、大正13年に50歳で引退したという…。素敵な出世美談である。