【アナザーストーリーズ】岡本太郎、現代を撃つ~“双子の傑作”に秘めた企み~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 岡本太郎、現代を撃つ~“双子の傑作”に秘めた企み~」を観ました。

芸術家、岡本太郎の「誰もが、あえて出る釘になる決意をしなければ、時代はひらかれない」という言葉に深く共鳴するドキュメンタリーだ。番組の最後にテロップで表示された「個性的なものの方が普遍性があるんだ」という言葉にも合点がいった。1970年に開催され、6400万人が訪れた大阪万博跡地に唯一現在も残されているのが太陽の塔であることがこれを証明している。

科学技術の進歩と経済成長をアピールしようとしたEXPO70、いわゆる大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。総合プロデューサーには東京オリンピックの代々木競技場第一体育館で一世を風靡した建築家の丹下健三が就任したが、その丹下が白羽の矢を立てたのが岡本太郎だった。だが、太郎は科学一辺倒は違うのではないかと懐疑し、いわば「高度経済成長への挑戦状」として構想したのが太陽の塔だった。

丹下は「お祭り広場」に3万平米もの巨大な最新式の屋根を作り、空中の未来都市をイメージ、進歩の象徴にしようとした。これに対し、太郎は「進歩の先にだけ調和があるわけじゃない。全く正反対のものをぶつけることで新しい価値が生まれる」と考え、「優雅におさまっている大屋根の平面にベラボーなものを対決させる」ことを考えた。

イメージは「縄文」だという。そこには岡本太郎の芸術家としての歩みがある。岡本一平・かの子という芸術一家の息子として生まれた太郎は18歳でパリに留学。自分にしかできない芸術を探した。同時に、レヴィ=ストロースらと文化人類学を学んだ。1942年に中国に出征、暴力的な軍隊に反発する。戦後、何もなかったかのように豊かさを享受する日本人に違和感を覚えた。

そんなとき、出会ったのが縄文土器だ。そこにエネルギーを感じた。「こちらに迫ってくるような強烈な表情をしている」。日本中を訪ね歩き、土着の文化に触れ、「近代的なメカニズムの悪循環、その負い目をのりこえて行く生命力」に辿り着く。

「縄文の生命力」をこめる。それが太陽の塔だった。しかも、屋根を突き破るという構想。屋根の強度の保持をどうするのか、周囲は困惑した。そして、それは世界建築史上破天荒な1つの事件と称された。華やかなパビリオンを支える電力は原子力発電で賄っていた。当時、核の脅威が叫ばれはじめていた。太郎は太陽の塔の背中に「黒い太陽」を描き、開会式に集まった世界の要人たちを見下ろした。祝祭に対する不気味な演出。外宇宙にあって地球に恵みをもたらすあの太陽ではなくて、人類が作った核エネルギーによって支えられた人類の進歩と調和がいかに危ういものであるかを表現していた。

太陽の塔の内部には「生命の樹」が形成された。これは「人間本位的な考えをいっぺん解消して、我々の不幸は全て人間の卑しさ、人間という意識があるから人間が不幸であり、卑しくなっている。いつも人間は単細胞に還元したい。命そのものに還元したいという情熱がある」という訴えだった。命の無限、永遠性がなくて未来はないぞという警鐘だった。

原爆のキノコ雲や被ばく者を集めた写真のコラージュは進歩に先にいきついた核エネルギーにどう向き合うかを問いかけていた。太陽の塔は進歩する時代を撃つ大いなる問いかけであったのだ。

太郎は太陽の塔と「双子」と呼ばれる巨大壁画「明日の神話」を描いている。高さ5.5メートル、幅30メートル。1968年にメキシコオリンピックが開催されるために建設されたホテルのロビーに壁画を描いてほしいと依頼され、核の脅威を描きたいと取り組んだ。副題が「HIROSIMA NAGASAKI」。

パブロ・ピカソが描いた「ゲルニカ」の影響を受けている。ピカソは母国スペインがドイツ軍によって無差別爆撃を受けた悲しみをこの絵にこめた。太郎は「芸術は歴史的な役割を果たさなければならない」と考え、「明日の神話」を完成させた。ところが、そのホテルが開業直前になって倒産し、この壁画は日の目を見ることがなかった。しかも、その壁画は行方不明になってしまう。

それが岡本太郎が亡くなった1996年から7年後の2003年に見つかったという連絡が太郎のパートナーだった岡本敏子の許に届く。そして、絵画修復家の吉村絵美留へと伝わった。吉村はメキシコに行き、「明日の神話」と対面するが、野晒し状態だったため無惨な姿となっていた。壁画中央には骸骨のレリーフ。原爆を表しているように思った。「なんとか修復したい」と吉村は決意を固まる。

再生プロジェクトが結成され、日本で修復することになった。分厚いコンクリートである。壁画は120枚に切断され、8000個の破片を一個も漏らさずに回収し、愛媛県での修復がはじまった。吉村は「オリジナルに戻す」という一念で作業に集中し、一年をかけて蘇った。

作品には太郎の思いが垣間見える。船の絵があった。モチーフは1954年のビキニ環礁における水爆実験で被ばくした第五福竜丸だ。太郎は1963年に広島を訪れた際に「われわれ自身被爆者」という新聞記事でこう述べている。「新しい日本の現実を作りあげる情熱と力をもった日本人、その意志の中にこそ、あの瞬間が爆発しつづけなければならないのだ」。

修復を終えた吉村は言う。「原爆がテーマなのに、悲惨さを感じない。美しい色、ほほえましい、温かさを感じる」。人間の生命力と核の対峙。そこには人間の命への信頼があると岡本敏子は語った。その敏子も2005年に逝去する。

2008年、渋谷駅に「明日の神話」が公開された。新しい時代に、もう一度「太郎」をぶつけたいという敏子の思いがこめられていたのだと感じた。