立川笑王丸の道をひらく「天神山」、そして新春公演 わが歌ブギウギ―笠置シヅ子物語―

「立川笑王丸の道をひらく」に行きました。「幇間腹」と「天神山」の二席。ゲストは立川寸志さんで「黄金餅」だった。

「天神山」は東京の「安兵衛狐」だが、サゲが「安兵衛はコン!」ではなく、歌舞伎・文楽の「芦屋道満大内鑑」、通称「葛の葉」の歌で終える上方の型だ。

前半の偏屈であることが自慢の源助が花見ならぬ墓見に行く部分が愉しい。一心寺に行って、俗名お染と書かれた墓石の前で茶碗酒のやりとりごっこ。さらに狐拳で献杯負け飲みをするのが、いかにも偏屈を売り物にしているだけある。墓から掘り出した骸骨を懐に入れ、帰宅すると床の間の置物にして、寝入ってしまう。

そこにお染の幽霊が訪ねて来て、「御礼をしたい」。元は日本橋の大店の一人娘だったが、身分違いの恋をして心中したら、男は逃げてしまった。ようやく浮かばれたのも、あなたのお陰と感謝し、女房になりたいという…。源助は幽霊のおかみさんを貰って、幸せに暮らしていた。

それを知った隣に住む安兵衛が「ずるい!俺も幽霊の女房がほしい!」と寺巡りをしたが、なかなか「良い縁」に恵まれず、祠に神頼みすると…。穴蔵で狐を捕まえようと狙っていた男が子狐を捕まえる。聞けば、町に出て売るのだという。皮を剥がされ、肉は食べられてしまうと聞いた安兵衛は1円でその子狐を買い取り、逃がしてあげた。

藪の中に逃げた子狐は十七、八歳の娘に化けて、安兵衛の後をつけ、押しかけ女房に。二人の間には男の子が生まれたが、女房は狐であることがばれそうになり、子供を置いて安兵衛の許を去る。そのときに残した歌が、恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉。

前半の源助パートで大いに笑わせているので、後半の安兵衛パートにハートウォーミングな部分をもっと丁寧に演じると「安兵衛狐」との差別化が図れるような気がする。

新春公演「わが歌ブギウギ―笠置シヅ子物語―」を観ました。

僕の中で笠置シヅ子さんというと、まず頭に浮かぶのは子どもの頃に観ていたテレビ番組「家族そろって歌合戦」のレギュラー審査員である。あの頃は芸能人の家族が顔出しで出場して、歌を歌っていた。素人さんなのだが、中には歌の上手い子どももいて、すごいなあと観ていたが、NHKの「減点パパ」(後に「減点ファミリー」)同様、プライバシー保護に五月蠅い現在では考えられない演出だろう。

あとはカネヨ石鹸の洗剤カネヨンのCMに笠置さんが出ていて、「カネヨンでっせ」という台詞が流行語になっていた記憶がある。それと昭和62年にニュースセンター9時の後に編成されていた銀河テレビ小説で笠置さんの生涯を描いた「わが歌ブギウギ」が20回シリーズでドラマ化されたのを観た。今回の芝居もその小野田勇さんの脚本が基になっている。ちなみに令和5年に朝ドラでも「ブキウギ」を趣里が笠置シヅ子役で演じているが、僕は観ていない。

代表曲「東京ブギウギ」は昭和22年リリースだが、子どもの僕でも笠置シヅ子と東京ブギウギはセットで知っていた。だけど、僕が生まれる前の昭和34年に歌手を引退して、女優に専念していたというのは知らなかった。あまりに「東京ブギウギ」のイメージが強いので、笠置シヅ子さんが歌っている姿を観たような気がしていたが、実際にはそれは過去の映像だったのだ。

笠置シヅ子がこの世に出たのは服部良一という稀代の作曲家との出会いがあったからであろう。大阪松竹少女歌劇団を起点に、東京で結成された東京松竹楽劇団に参加したことで知り合う。(この芝居では大阪少女歌劇団に入団できたのは服部がその才能を見出したからというストーリーになっているが)。昭和14年に出した「ラッパと娘」で脚光を浴びたのも、服部のお陰だ。

そして戦後の昭和22年の「東京ブギウギ」。服部は淡谷のり子に「別れのブルース」を提供しているが、その路線とは180度正反対の明るい曲調がエネルギッシュな笠置にピッタリとマッチし、敗戦国の影を引きずっていた日本国民に元気を与えたことは想像に難くない。奔放で明るいキャラクターを今回、キムラ緑子さんが実によく表現していた。

笠置にとってもう一人大切な存在だったのが、吉本興業創始者の跡取り息子の穎右である。この芝居では花森興業の栄介という役柄に置き換えているが、彼と恋人になったことは笠置を大きく力づけた。だが、穎右の母親である吉本せいが結婚に反対。笠置はすでに穎右の種をお腹に宿していたが…。病弱だった穎右が我が子の誕生を見ずして亡くなってしまう。笠置は産んだ女の子をヱイ子と名付け、育てる。

奔放で明るい笠置も実はこうした苦しみ悲しみを乗り越えて、あの名曲「東京ブギウギ」を熱唱した。そして戦後の日本人の心を勇気づけたことの素晴らしさが、この芝居から伝わってきた。

そして、印象的なのは43歳で歌手を引退し、女優業一本に絞った潔さだ。それは自分の魂であるブギがきちんと歌えなくなったと判断した上での結論だったという。波瀾万丈な笠置シヅ子という女性の生涯に思いを馳せた。