桃月庵白酒一門会 桃月庵白酒「花筏」、そして下北のすけえん 春風亭一之輔「抜け雀」

桃月庵白酒一門会に行きました。
「大安売り」桃月庵ぼんぼり/「浮世床~本」桃月庵白浪/「転失気」桃月庵白酒/「粗忽長屋」桃月庵黒酒/中入り/「加賀の千代」桃月庵こはく/「花筏」桃月庵白酒
白酒師匠の「花筏」。現在の大相撲は1場所15日間で年6場所もあり、怪我が多くなるのは当たり前、人気力士も怪我で泣かされることも多い。それに引き換え、江戸時代は1場所が10日間で年2場所、それ以外は一門別に地方巡業に出て稼いだというマクラから導入するのは、とても良いと思った。
それに加え、昔はメディアが発達していなから、人気力士の顔や体付きも錦絵くらいの情報しかない。花形大関の花筏の代役として提灯屋の徳さんが「花筏でござい」と巡業にやって来てもばれなかったというのも、至極説得力があって頷いた。
提灯屋で一日働いて一分の稼ぎのところ、一日二分貰って、土俵で相撲を取らなくていい、ただ廻しをつけて土俵下に座っていればいい、飲み放題、食い放題とう好条件に徳さんが飛びつくのも当然だろう。
だが、千秋楽結びの一番に素人として飛び入り参加して9連勝の千鳥ヶ浜大五郎との対戦を組まれた“偽花筏”の徳さんは「約束が違う。冗談じゃない。死んじゃう」と親方に訴え、帰り支度をする。これに対して親方の言い分が面白い。「あんなに飲み食いする病人を見たことがないと言われた。そこまでは何とか誤魔化せる。だが、徳さんは毎晩女中を引っ張りこんでいるそうじゃないか。夜の取組だけでなく、昼の取組も…と言われたら断れない」。
徳さんが「これまではタダのデブだったのに、大関、大関とちやほやされて、もてるのが嬉しくて仕方がなかった」と反省するところ、人間らしくて可愛いなあと思う。
「下北のすけえん~春風亭一之輔ひとり会」に行きました。「ぜんざい公社」「愛犬チャッピー」「抜け雀」の三席。開口一番は春風亭らいちさんで「たらちめ」、食いつきは春風亭㐂いちさんで「三方ヶ原軍記」だった。
一之輔師匠の「抜け雀」。小田原宿の相模屋に宿泊した一文無しの狩野派の絵師の男は毎日五升ずつ飲んで五日逗留した代金の五両の代わりに衝立に雀を描くのだが、雀は二羽、番(つがい)というのが味噌だ。相模屋主人は女房のおみっちゃんと好いて好かれて夫婦になった。客あしらいが悪い、あのぶくぶく太った女と夫婦になったのは、何か罰なのか?と男は言うが、相模屋主人は「おみっちゃんは可愛い。何が悪いんだ」と抵抗する。「お前の眉の下に二つ光っているのは何だ?見えないならくり抜いて銀紙でも貼っておけ」と男は言うが、おそらくこのおしどり夫婦をモデルにして雀を描いたと思わせるところが良いと思う。
衝立から雀が抜け出す奇跡が起きて、相模屋の売り上げはV字回復、大久保加賀守様に千両で譲ってくれないかと言われるが、相模屋主人は絵師との約束を守って売らない律義さも良い。そして、評判を知って訪れた絵師の父親が「この絵にはぬかりがある。飛び出す力がある雀が休むことができない。くたびれて死んでしまう。雀に所帯を持たせよう」と言って、止まり木の松を描く。二羽の雀の夫婦は仲良く寄り添って、やがて卵を産んだという一之輔師匠の工夫が素晴らしい。
雀ならば、本来竹を描くところを松にしたのは、絵師の父親が「待つ」、すなわち勘当を許して待っているから戻って来いというメッセージだというのも面白い演出だ。最後に卵から雀の赤ん坊が産まれ、「俺も孵(かえ)った。お前も帰れ」という…。親に合わせる顔がないと修業を続けるつもりだった息子の絵師への温かいメッセージがこめられている。素敵な高座だった。

