講談協会定席 田辺いちか「名刀捨丸由来」田辺一邑「中江藤樹」神田春陽「鼠小僧次郎吉 蜆売り」

上野広小路亭の講談協会十二月定席初日に行きました。
「名刀捨丸由来」田辺いちか/「キリストの墓」宝井琴凌/「中江藤樹」田辺一邑/中入り/「依田孫四郎 下郎の忠節」田辺凌鶴/「岡野金右衛門 絵図面取り」神田菫花
いちかさんの「名刀捨丸」。悪の道に走り山賊に成り下がった兄・治太郎と江戸に出て真面目に奉公して親孝行な弟・治三郎の運命的な出会いがドラマである。
治三郎が呉服屋佐野市右衛門の許で三年奉公して貯めた三十五両と餞別を、山中に迷い込んだ挙句に山賊の捨丸に奪われる。そのときに命だけ助けられ、主人に預けられた刀も取られるが、代わりに貰った錆び刀が主人の目に留まり、鑑定の結果、名刀「波平行安」であることが判り、上杉家家老の長尾権四郎が所望し、二百両が手に入った。
これを「自分の金」と思わないのが、治三郎のすごいところで、あの山中に戻って、捨丸に半分の百両を渡そうと考えて訪ねる。だが、因果応報か、捨丸は病に伏せていた。「この百両で病を治し、おかみさんと幸せに暮らせ」と優しく言葉を掛ける治三郎が、自分にも十歳離れた兄がいて、木曾の美濃村の百姓だと打ち明けると、捨丸は「その兄の治太郎こそ、自分だ」と告白し、罪悪感に駆られて腹を切って自害をする。「女房のお袖を頼む」。
お袖は尼となり、治三郎とともに美濃村に行き、田地田畑を買い戻して親孝行をした。治三郎も嫁を迎え、生まれた息子に「治太郎」と名付けたという…。最後まで兄弟愛を捨てなかったことが素晴らしい。
一邑先生の「中江藤樹」。藤太郎少年は父を早くに亡くし、七歳で近江国小川村から祖父のいる伊予国大洲に預けられる。そのときに母のお市は「立派に成人するまでは、この敷居を跨がせない」と固い決意をもって、藤太郎を送り出したところに強い意志を感じる。
三年後に母から送られてきた手紙に「寒さ厳しく、水仕事が堪え、ひびあかぎれに難儀している」と書かれた一文に藤太郎は涙する。そして、本町中田長寛斎という医者に行って膏薬を求め、小川村の母まで届けようと考えるのは親孝行ゆえだ。道中、吹雪に遭い、倒れているところを遠藤源左衛門が助けて、看病し、路銀を渡して応援する人情も良い。
ようやく到着した小川村の実家で母に会い、膏薬は受け取るも、母は手紙に余計なことを書いて修行の心を乱したことを後悔し、「成人するまでは帰らない」と約束したはずだと家の中に藤太郎を入れない強さ。お父様のお位牌にすまない、人は一度約束したことは簡単に違えてはならない、それが約束というものだと言い聞かせる。
「一晩だけでも泊まらせてくれ」と懇願する藤太郎に、「そのような子に育てた覚えはない。約束を破るのなら、親でもなければ、子でもない。戻れと言ったら、戻らぬか!」。心を鬼にする母のお市。藤太郎は「私のことを嫌いにならないでください」と言うと、お市は「どんなことがあろうとも嫌いにはならない」。そう言って、藤太郎の緩んだ草鞋の紐を結び直してやると、自分の襟足に藤太郎の涙が落ちてくる。「今度来るときは必ず立派になってきます」。
一度背中を向けて歩き出した藤太郎だが、「今一度だけ、お顔を見せてくださいませ」と戸を叩くが、お市は耳を塞いで「ここが辛抱のしどころ」と思い、嗚咽を抑える。そして、藤太郎が去ったことを確認し、仏壇に向かって「無事に伊予に戻れますように」と祈ったという…。末には「近江聖人」と呼ばれるまでになる中江藤樹の若き日の物語。母の厳しさ、意志の強さに感嘆する。
凌鶴先生の「依田孫四郎」。女性問題を起こして家康からお手討ちにされるはずの依田孫四郎だが、下郎の又七が「鬼作左」と渾名される本多作左衛門に助けを求めたことが窮地を救う。作左衛門が家康に対し、「私が手討ちにする」と進言し、その実、「特別なお計らいで処払いになった」と言い渡して、孫四郎と又七は逃げ延びることができた。
浪々の身になった孫四郎を世話した又七が偉い。八百屋を営みながら、常に「天下大乱、国家大変」を祈り、戦場での活躍のチャンスを狙う。そして、小牧長久手の戦い。又七は鎧兜を調達し、「依田孫四郎、討ち取ったり」という木札を60枚ほど作って、討ち取った首に括りつけるという作戦だ。果たして、孫四郎は第一の活躍をして、36個の首を討った。
本多作左衛門は家康にこの活躍を進言、「戦場で死にましたが、その功により過去の罪はお許しください」と願い出ると、家康も「罪を許し、生あらば一千石の加増をしたであろう」。そこへ孫四郎の死骸が戸板に乗せて運ばれて来たが…。作左衛門が「今からでも遅くない。三途の川から引き返せ」と言うと、何と孫四郎は「蘇った」。又七の忠節、作左衛門の機転。依田孫四郎は家康に仕え、よき働きをしたという…。滑稽味もあり、良い読み物だ。
菫花先生の「岡野金右衛門」。大工の平兵衛の娘、おつやは惚れた岡野のために吉良邸の絵図面を持ち出した。勿論、これが赤穂義士討ち入りのために使われることなど全く知らず、ただ岡野の旦那の茶室建築に役立てばという一心の思いから、「絵図面は秘密」と拒んだ父親の意に背いて起こした行動である。
岡野も神崎から「おつやを口説いて、絵図面を借りろ」というミッションを言い渡されたわけだが、いつしか偽りの恋が本当の恋に変わっていくところが、この読み物の優れたところだ。果たして、手に入れた絵図面を見て、吉田忠左衛門は「でかした。これさえあれば大願成就間違いなしである」と喜び、書き写して、大石内蔵助が東下りの決め手になった。岡野としては心中複雑な思いがあったに違いない。
討ち入り前日、岡野はおつやに自分は大坂の商家の倅で跡目を継ぐために親父から戻って来いと言われたと嘘の別れを告げに来る。「必ず迎えに来る。待っていてくれ」と言うも、心の片隅に罪悪感があったのだろう。五十両を渡して「正月の晴れ着を買ってくれ」と言うが、おつやはそんな他人行儀が一番つらかったろうと思う。
討ち入り。神崎与五郎が平兵衛宅を訪ね、小春屋という酒屋は世を忍ぶ仮の姿だった、実は金右衛門も赤穂浪士であったことを打ち明け、「御礼申し上げます」。元々赤穂贔屓だった平兵衛は「吉良邸には色々な仕掛けがしてある。教えてあげなくては…」と動こうとしたとき、おつやが「もう、絵図面は見せました。堪忍してください」と謝ると、「見せたのか。それは良かった。よくやった。誰が怒るもものか。お前は本当の武士の妻だ。褒めてやる」。美しい。
仇討本懐を果たした赤穂義士の列に岡野を見つけたおつやは「金さん!」と叫ぶ。「お陰様で大願成就いたしました。今までの非礼、お詫び申し上げます」。そう言って、岡野は夫婦の証しに守り袋、形見として呼子の笛を渡し、「達者で暮せよ!」。おつやの胸中を察するに余りある、幕切れにキュンとなった。
上野広小路亭の講談協会十二月定席初日に行きました。
「高村智恵子の恋」一龍斎貞奈/「大江戸聖夜」一龍斎貞寿/「鼓ヶ滝」一龍斎貞橘/中入り/「鼠小僧次郎吉 蜆売り」神田春陽/「賤ケ岳軍記 大徳寺焼香」宝井琴鶴
貞奈さんの「高村智恵子」。千恵子は福島の造り酒屋の長沼家の長女として生まれ、両親が「お嫁に行けなくなる」と猛反対するも押し切って高等女学校に進学、さらに東京に出て現在の日本女子大学に入学、総代として卒業する。ハイカラさんを地でいったタイプで、自転車に乗り通学、テニスを嗜み、平塚明(後のらいてう)に対戦を申し込まれ、勝ったという。負けず嫌いの女性だった。
大学卒業後は好きだった西洋画の道に進み、太平洋画会研究所に入る。研究所にいた絵本作家の宮崎与平に恋心を抱くも、渡辺文子という婚約者がいたことを知り、失恋を味わう。だが、「緑色の太陽」という評論を発表した高村光太郎に深く共鳴し、共通の友人の中村八重を通じて、当時瑯玕洞という画廊を経営していた光太郎と恋に落ちた…。ここまでの智恵子の青春を描いた読み物だが、この後に光太郎とどのような歩みをしたのか。調べると、かなりドラマチックな生涯だったらしいので、続編を期待したい。
春陽先生の「蜆売り」。茅場町の兄ィとか、和泉屋の親方とか呼ばれていた八百屋、実は義賊の鼠小僧次郎吉の優しい人間像が見えて良かった。舞台は汐留の船宿、大崎屋。船頭の竹と飲み交わそうとしているところに現れた十二歳の蜆売り、与吉が「湿っぽくなるよ」と断ってした打ち明け話を聞いた次郎吉の胸中が伝わってくる。
与吉の姉は新橋の金春の芸者で小春といった。松本屋という質屋の若旦那の庄之助と相思相愛となり、駆け落ちをした。箱根の湯治場、木賀の亀屋に泊まったときに金田龍斎という男に賭け碁をしないかと誘われて応じた。でも、それはイカサマの碁で、たちまち若旦那は三十両の借金を拵えてしまう。そこへ江戸の親方が現れて助けてくれ、三十両を恵んでくれた。その金を駿府の旅籠で使ったら、突然「御用だ!」とお縄になってしまった。その金には「ト」の字の刻印がしてあって、神崎屋という廻船問屋から盗まれた金であることが判ったのだった。
若旦那は「恩を仇で返したくない」と、金を恵んでくれた人の名も所も言わず、ただ「拾った」と一点張りを貫いて、三年牢に入っている。姉の小春は町内預かりとなったが、庄之助さんが心配で患ってしまった。それを心配した母親も目を患い、一家を養うには与吉が蜆を売り歩くしかないのだった。
次郎吉には心当たりがある。守銭奴と悪い噂のある神崎屋を懲らしめようと蔵に忍びこみ、金を盗んだのだった。次郎吉は与吉に金を渡そうとするが、与吉は「知らない人からお金は貰っちゃいけないとお姉ちゃんに言われている」と拒む。大崎屋の女将が小春のことをよく知っていて、「私があげたと言えば大丈夫よ」と口添えをする。
酒の肴に穴屋から調達した料理を与吉に食べろと勧めると、「おっかあや姉ちゃんに食べさせたい」という。竹に穴屋に行かせて、新たに二人前の料理を注文して折りに詰めて持って来させた。次郎吉は与吉に言う。「決してそのおじさんを恨んじゃいけないぞ。きっと名乗って、明るい体に戻してくれると思うよ」。う与吉は雪降る中、大崎屋を去って行った。
次郎吉は自分の家に帰ると、「さて、どうしたものか」と物思いに耽る。神崎屋の一件を名乗ればいいが…だが、あと五、六年は娑婆にいたい。そこへ飛び込んできたのが、野晒しの熊造だ。深川の櫓下で召し捕られそうになり、何とか逃げてきたという。「年貢の納めどき。王子にいる二親に別れを告げ、姉の墓参りを済ましたら、南町奉行所に名乗り出ようと思っている」。
次郎吉は熊造に結城の着物と小倉の帯、それに二十五両を渡し、「小伝馬町の牢内じゃあ、それくらいないとやっていけないだろう」。すると、熊造は「和泉屋の親方はどうぞ長生きしてください」と言うが、次郎吉は「そんなに長い生きもできそうにない」と、与吉の姉小春と若旦那庄之助の一件の一部始終を話す。熊造は「あなたが義賊の鼠小僧でしたか…良い冥途の土産ができました」と言って去って行った。
熊造は王子の両親との別れ、姉の墓参りを済ますと、南町奉行の筒井伊賀守にこれまでしてきた悪事を洗いざらい話した。その中には、神崎屋の盗みの一件も入っていた…。晴れて庄之助と小春は明るい体になったという…。この「蜆売り」は落語にもなっているし、講談でも色々な型があって興味深い。春陽先生の演出もとても素敵であった。


