新作歌舞伎「木挽町のあだ討ち」

四月大歌舞伎昼の部に行きました。「木挽町のあだ討ち」と「黒手組曲輪達引」の二演目。

新作歌舞伎「木挽町のあだ討ち」は永井紗耶子氏の直木賞受賞作の歌舞伎化。父親の仇討を果たそうとする伊納菊之助と芝居小屋森田座の人々との交流を描いている。

第一幕第一場「父の乱心」で、菊之助の父である伊納清左衛門は突然菊之助を斬り付け、唖然とする菊之助を下男の作兵衛が庇った。清左衛門と揉み合いの中、血飛沫があがり、清左衛門は命を落とした。主殺しだ!の声の中、作兵衛は姿をくらます…。

この不可解が第一幕第五場「再会」で事情がわかった。芝居小屋の楽屋裏で菊之助が作兵衛と出会い、感極まり泣きながら抱き合う。え?菊之助は父の仇である作兵衛を探していたんじゃないの?仇討をするチャンスじゃないの?作兵衛が真実を話す。

清左衛門は家老が御用金を横領していること、身内の次郎衛門もそれに加担していることを知り、その非道を暴こうとしていた。しかし、主君はまだ若く、周囲は家老一味に囲まれており、清左衛門の方が横領の張本人に仕立てあげられてしまった。清左衛門は切腹を命じられる前に、不慮の出来事を装い死ぬことを思い付く。作兵衛が自分を斬り、証拠の帳簿を持って逐電すれば、菊之助は作兵衛を討たなければならない。仇討が成就すれば、家門の誉れとなって帰国が叶い、殿の成長の後に帳簿を証拠に家老を断罪できると考えたのだ。

しかし、作兵衛は清左衛門を斬ることができず、咄嗟に清左衛門は菊之助に刃を向け、作兵衛の行動を促した。それが、「清左衛門が我が子を突然斬り付けようとした」ことの真実だった。僕はそれを理解するまでに、1時間弱かかった。だから、菊之助は作兵衛に出くわしても「親の仇!」とすぐに斬りかかるようなことはなかったのか。

それでも対外的には菊之助は父の仇を討たなければいけない。じゃあ、どうするか?菊之助をサポートしたのが森田座という芝居小屋の人たちだったのだ。

まず、小道具方の久蔵。久蔵と与根の夫婦は菊之助を居候として住まわせる。作兵衛と再会した日。菊之助は「切首 小太郎 久蔵」と書かれた首桶を見つける。「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」で使う首だ。菊之助が「小太郎のように父に討たれて死ねば良かった」と口走ると、久蔵と与根は烈火の如く怒る。

この首は市川團蔵が特別な注文で作った物。久蔵は息子が死んだとき、お屋敷の仕事で家に帰れず、死に目に逢えなかった。その気持ちを察した團蔵は、今の久蔵なら一世一代の切首が作れるだろうと、あえて注文したのだ。菊之助の父、清左衛門も深慮の上での振る舞いだったろうと諭し、菊之助の仇討に反対した。これはおそらく、菊之助が作兵衛を斬った後、自分も自害するだろうと推測できたからであろう。

久蔵以上に菊之助の心を推し測り、サポートしたのが狂言作者の篠田金治だ。清左衛門の妻の妙は金治の幼なじみで、幼い時から親同士が決めた許婚だった。ところが、芝居小屋に通い詰める金治の前に清左衛門が現れ、妙に対する思いを真っ直ぐに告げて夫婦になったという経緯がある。そのときの清左衛門の清々しい目は、菊之助のそれとよく似ているという。

菊之助は「義理ある作兵衛を斬りたくない。だが、自分は武士でありたい」という悩みを打ち明けた。金治は「たとえば夜道で作兵衛に出会い、首を取っても、見ている人がいなければ、それはただの人殺しになってしまう」と言う。仇討は見世物ではないけれども、世間に「菊之助は立派に仇討した」と認めさせる狂言を書こうと請け負うのが面白い。

菊之助に「作兵衛殺しの業」を負わせない仇討、「木挽町のあだ討ち」を書く。まず、作兵衛と会い、人に嫌われる無頼漢、すなわちやくざ者に仕立てる。作兵衛は承知し、「賭場荒らし」と異名を取る悪党キャラクターを演じた。

そして、森田座正月興行千秋楽。ほろ酔い機嫌の作兵衛が通り掛かると、森田座の陰から蛇の目傘をさした紅の衣裳の人影が現れる。娘と見えたその人物が被ぎを払うと、白装束に襷掛けの菊之助であった。仇討の名乗りを挙げ、作兵衛と斬り結ぶ。本物の仇討と知った群衆が騒ぎ出す…。

やがて、首を高々と掲げた菊之助が「父の仇、討ち取ったり!」と叫ぶと、人々の観声があがった。そして、「木挽町のあだ討ち」を報じる瓦版が出て、大層な評判になり、菊之助は武士としての面目を保った。

一方、殺されたはずの作兵衛は途中で偽首にすり替えられており、作兵衛は大工の棟梁に弟子入りして第二の人生を歩んでいた。それを知っているのは森田座の人たちだけという…。金治の書いた筋書き通りに菊之助、作兵衛の二人がハッピーエンドとなる“あだ討ち”モノ。面白かった。