もちゃ~ん 春風亭百栄「柳亭力学」、そして浪曲人情傳 国本はる乃「瞼の母」真山隼人「暗闇の丑松」

「もちゃ~ん 春風亭百栄勉強会」に行きました。「お血脈」「平林」「生徒の作文」「柳亭力学」の四席。

「生徒の作文」は百栄カラーが良い。将来は料理研究家になりたいというキシアサコちゃんがヤマモトマスヒロ君のお誕生会に招かれたときの作文。マヨネーズを添えたハムサラダが前菜として出てきたら、これなら酸味の強いオレンジジュースよりペリエを食前に嗜みたかったとか。チキンの唐揚げにカレーライス、デザートのやっつけケーキで星0.2と辛口評価が笑える。

黒板消し係のウスイ君が、黒板の文字を「消して、消して、消しまくる」ことで、僕自身の存在も消えてなくなればいいと書くところ。妄想癖の強いテラダ君は給食係の女子の白衣の下を想像し、カレーを「もっと沢山よそいなさい」と命令口調で言ったときのチエミさんの上目遣いに睨む屈辱的な表情が堪らないと書くところ。皆、百栄テーストだ。

肉が好きだと夢を綴るササキ君が、肉屋の社長、とんかつ屋の板前から、いきなり牛角のバイトにトーンダウンするのも可笑しい。そして、その選択肢が鶯谷店、三ノ輪店、北千住店、松戸北口店、松戸南口店、松戸駅前北口店、松戸駅前西口店…とディテールに入っていくのも面白い。

「柳亭力学」は随分前に二題噺で、「乱れ髪」「アキレス腱」で創作した口演以来。店名を「古道具甚兵衛」から「柳亭力学」に改めた古道具屋の噺で、タイトルは「流体力学」をもじったものだそう(苦笑)。

王選手の754号と書かれたサインボール。「すごい」と客が言うと、「私がサインを一生懸命に勉強したんです。最高傑作です」。「このユニホームは袖がないね」に、「アグネス・チャンがマイケル・チャンに縫ってあげたチャンチャンコです」。百恵ちゃんのスポブラかと思ったら、「春風亭のモモエです」。三遊亭圓朝が考えた「圓朝コード」。限りなく馬鹿馬鹿しいのが良いね。

この板切れは「ヘミングウェイの『老人と海』でカジキマグロを食べたサメを蒲鉾にした板」…「小田原と書いてあるよ!」。これは「カフカの『変身』で男がなった虫を捕まえようと女中が仕掛けたゴキブリホイホイ」。排水口に引っ掛かったような髪があるが、「与謝野晶子の『みだれ髪』です」。

古今亭志ん生の「火焔太鼓」の冒頭部分にある「平清盛の尿瓶」とか、「巴御前の腰巻」といったクスグリの部分を現代風に膨らませた、百栄師匠ならではの力技が冴える創作だった。演目名がなぜ「柳亭力学」なのかは不明(笑)。

青物横丁海雲寺浪曲事始め「唸る!はる乃・隼人 浪曲人情傳」に行きました。国本はる乃さんは「子別れ峠」と「瞼の母」、曲師は佐藤一貴さん。真山隼人さんは「暗闇の丑松」と「じゃりン子チエ~チエちゃん登場の巻」、曲師は沢村さくらさんだった。

はる乃さんの「子別れ峠」は自分が二十歳のときに五代目天中軒雲月先生に「あなた、これをおやりなさいよ」ともらったネタだそうだ。二十年ぶりに西山温泉を訪れた吉村夫妻は、「二十年前のしくじり」、つまり生まれたばかりの女の子を農家の納屋に置き去りにして去った罪悪感を思い出す。馬子の与兵衛の一人娘のお絹は二十歳。「実は私は貰いっ子と聞いている。母親は私が産まれて間もなく死に、顔も覚えていない。与兵衛は実の父ではなく養父で、男手ひとつで私を育ててくれた。だから、なおさらに親孝行しないと罰が当たる」という言葉を吉村夫妻はどのような気持ちで聞いたのだろうか。

旅籠の佐野屋から新しい馬の購入に際して借金をした。貧しい暮らしが続き、利息を払うのがやっとという与兵衛を見て、佐野屋主人に「お絹を後妻にくれれば借金は棒引きにする」と言われ、十七だった私は泣いた。そして、黙って佐野屋へ嫁ごうかとも考えた…。

吉村夫妻はこの話を聞いて、肩を震わせ泣きじゃくる。これが我が子と知りながら、今は名乗れぬ父と母。娘がこんな辛い思いをしていたとは…。育ての親をこれほどまでに思うこの娘がいじらしい。許しておくれと抱きしめて泣きたい親心。

お絹が留守中に吉村夫妻は意を決して与兵衛宅を訪ねる。真実を打ち明けたが、与兵衛の複雑な心中は察するに余りある。今さら聞いて、どうなるんだ。女房に死なれ、わしがどれだけの苦労をしてきたか。そんな話は知らない。帰ってくれ。たとえ本当の話でも、育ての親はどうなる。他人の子を育てても、親は親。どれほどの苦労をしてきたか、捨てた人間には判らないだろう。おれはお絹を離せない。もしもあの娘を取られたら、わしは明日からどう生きるのか。死んだ女房の気持ちはどうなるのか。男やもめで貰い乳をして歩いたおれの苦労がわかるか。わしの宝の命を奪うことができるのか。

吉村夫妻が去った後、お絹が戻って来た。やめていた酒を飲んでいる与兵衛がお絹に言う。「あれがお前の…いや、お絹の親は俺一人だ」。吉村夫妻が置いていった手提げ袋には手紙と現金が入っていた。「もう会わずに帰ります。佐野屋さんへの借金は返しました。お絹という名前を懐にしまって、私たちは親子二人の幸せを祈っています」。与兵衛とお絹が吉村夫妻の後を追う。「お父さん、お母さんと呼んでやれ」と言う与兵衛に従って、お絹が心の底から叫ぶ声が峠にこだまする…。切ない物語に涙を禁じえない。

はる乃さんのもう一席は長谷川伸先生原作の「瞼の母」。これも親子の情愛を描いた名作だ。江州番場宿のおきなが屋忠兵衛の息子だった忠太郎は、自分が五歳のときに生き別れた母親を捜し求めて旅を続け、ようやく料理屋水熊の女将をしている母に遭うことができたが、反応は冷たかった。

「確かに三十年前に息子忠太郎を産んだが、その子は九歳のときに流行り病で死んだと聞いている。草鞋銭ならあげますよ。この料理屋の身代を狙って入り込もうという魂胆なのかい?」。否定する母親に念を押すが、「あの子は死んだ。生き返ったとしても、嬉しいとも何とも思わない」を繰り返すばかり。「親の心は子知らずと言うが、俺にとっては逆さまなのか。俺の心は通じないのか」と嘆く忠太郎に対し、母は言う。「そんなに親と慕うなら、なぜに堅気で訪ねてこないんだ」。

渡世人になるしかなかった自分の身を憂い、忠太郎は「俺も馬鹿だった」。わざわざ出向いて、こうして母親に会っても冷たくされるくらいなら、いっそ夢のままにしておけば良かったと悔やむ忠太郎が哀れだ。瞼の母の面影をそっとしまっておけば良かった。会いたい、見たいという想いは無になった。憧れていた昔が懐かしい。旅になんか出なきゃ良かった。これでいいんだ。分相応の幕切れだ。

そして、忠太郎は去った。そこに母親の娘のお登勢が帰ってくる。「今のは忠太郎兄さん?なぜに帰したの?なぜに親子で抱き合えないの?」と責めるお登勢。母親は最初は騙りだと思った、そのうち水熊の身代を狙っていると疑った、婿を迎えるお登勢の行く末の邪魔になると思ったと打ち明ける。お登勢が訴える。「あなたはそれでも人の親ですか?尊いのは親兄弟の情でしょう?もう一度、呼んであげて」。

二挺の駕籠で後を追う。「お兄さん!」「忠太郎!」と叫ぶ。その声を聞いて、忠太郎は「今頃になって…誰が会ってやるか。瞼を合わせりゃ、昔の母の面影が浮かぶ。会いたくなれば、目を瞑ればいい」。複雑に絡み合う親子の情愛が心に沁みた。

隼人さんの「暗闇の丑松」も長谷川伸先生の原作。これを小佐田定雄先生が脚色した。丑松は女房お米を愛するがゆえに、お米の義母お熊がお米を金持ちの妾に売り飛ばそうとしたために、お熊を殺害してしまった。奉行に自首はしたくない。そこでお米を丑松の兄の四郎兵衛に預けて、丑松は逃走の旅に出る。

熊谷でしばらく料理人をしていたが、お米に手紙を出しても返事がないのを心配して、丑松は江戸に戻る。板橋宿で一夜を伴にする女を頼むと、誰あろう懐かしいお米が出てきた。この宿でお絹という名で男の相手をしているという。これには深い訳があるのだとお米は事情を説明した。

四郎兵衛に売られたのだ。丑松は「兄はそんな男じゃない」と信じないが、お米は飲めない酒を呷り、お召替えと言って出ていった。「これが縁の切れ目…許しておくれ、丑松さん」。

改めて丑松は宿の主人に「お絹」の素性を訊く。一カ月前にここにやって来た。振り出しは品川で、新宿を経て、この板橋に来たのだという。「言うことを聞かないと、丑松の居場所を奉行所に伝えるぞ」と四郎兵衛は脅し、お米を売り飛ばしていたのだ。

そこに「お絹さんが首を括った」という報せが入る。裏庭の松の木にしごきを掛けて、首を吊って自害したのだ。丑松は「お前の心も知らないで…許しておくれ、お米!」と叫び、一目散に江戸に入り、四郎兵衛宅へ。四郎兵衛は湯にいて、女房がいた。「お米は昨日、惜しまれながら死んだ。兄貴が悪い。たっぷり礼をする!」。

これを聞いた女房は「四郎兵衛を殺す前に、私を殺しておくれ」と言う。丑松は言う。「お前は兄貴を助けたい、そして自分も助かりたい。そう思っているんだろう!そんな女の心が憎い」。四郎兵衛女房を殺し、さらにやなぎ湯に行って、湯船に浸かった四郎兵衛の脇腹を刺す。

「これでお米の仇は討った。だが、心は晴れない」。丑松はいつもの暗い顔をしていたという…。何とも切ない読み物だった。