柳家吉緑真打昇進披露興行「厩火事」

新宿末廣亭四月上席千秋楽夜の部に行きました。柳家吉緑真打昇進披露興行である。
「狸札」三遊亭二之吉/「ざるや」金原亭杏寿/漫談 寒空はだか/「ぞろぞろ」柳家花ごめ/「本膳」桂やまと/ものまね 江戸家猫八/「幇間腹」古今亭菊之丞/「道灌」入船亭扇辰/奇術 マギー隆司/「そば清」柳家さん喬/中入り/口上/漫才 風藤松原/「電信後退」柳家花飛/「野ざらし」柳家花緑/太神楽曲芸 鏡味仙志郎・仙成/「厩火事」柳家吉緑
口上の司会は菊之丞師匠。吉緑は将棋、お茶、俳句と多趣味で、これが落語に役立っている、と。好きなことを続けることは芸の精進の上で大切なことだと褒めた。扇辰師匠は吉緑は背が高く、押し出しが強いけれど、性格は穏やかで威圧感がないのがいい、と。芸が既に出来上がっている感じなので、それで満足せずに、楽器に挑戦する等して芸に幅を持たせて、小さくまとまるのではなく、大きく成長してほしいと期待した。
さん喬師匠。五代目小さんが言葉遣いに五月蠅かったと言って、細やかな神経の持ち主である吉緑も孫弟子として継承してほしい、と。稽古によく来て、すぐにネタを覚えて、「次にこれを教えてほしい」と意欲的であると讃え、この先は「守破離」の「離」に取り組んでほしいと願った。
師匠の花緑。今回の5人真打昇進のうち、3人は自分の弟子。皆、「大変だね」と労ってくれるが、喜びの方が大きくて、感謝していると語る。五代目小さんの教えである「芸は人なり」を引用し、人間が滲み出る高座を勤めなさい、芸は演出できるものではないと導いた。真摯に落語と向き合う吉緑を高く評価して、「真打はゴールではなく、寧ろこれからがスタートだ。近道はない。遠回りが肥やしになる」と激励した。
吉緑師匠の「厩火事」。その真っ直ぐな人間性が滲み出ている高座だった。亭主の八五郎と夫婦喧嘩をしたお崎が仲人の旦那のところへ。「お前たちはのべつだな。俺は仲裁するために生きているんじゃない」と怒られるが…。
お崎いわく「きょうというきょうは、愛想もこそも尽き果てました。もう別れたいと思う」と言うので、八五郎は髪結の亭主よろしく昼間から遊んで酒を飲んでいるような駄目な奴だと同意し、「縁がなかったと思って、別れなさい。それがいい。頼むから別れておくれ。私はずっとそう思っていた」。
だが、お崎の口ぶりが変わる。「そこまで悪く言うことないじゃないですか」。未練たらたらなのである。いわく、「じれったい」のだと。私の方が七つも年上、このままお婆ちゃんになって、若い女でも連れ込まれて目の前でイチャイチャされたら悔しい。でも、「こんないい男はいない」と思うほど、優しくしてくれることもある。一緒になって8年。この人が私が白髪になっても添いてくれるのか。死に水を取ってくれるのか。不安な気持ちを打ち明ける。
旦那は「あまりよくないことだが、あいつの了見を試したらいい」と言って、愛馬よりも家来を気遣った唐土の孔子の例と女房の怪我よりも瀬戸物のことを心配した麹町のさる旦那の例を出す。そして、八五郎が大切にしているという1円60銭で買ってきた瀬戸物をわざと割って、先に瀬戸物のことを口にするか、それともお崎の身体のことを心配するか…。亭主の肚の中を探ってみろという提案だ。
「これで一生が決まるんだ」と言う旦那に対して、お崎が「私はこういうのは求めていなかった。旦那のところに来なきゃ良かった」と言う時点で、もうどう転がろうが、お崎は八五郎とは別れないことは火を見るよりも明らか、というのがいかにも落語だ。そして、案の定、八五郎はお崎の指を心配はするが「お前に怪我されたら、遊んで酒が飲めない」という了見…。これでお崎が八五郎と別れるかと言ったら、絶対に別れないだろう。夫婦の縁なんてものは理屈じゃない。そういうことを「厩火事」は教えてくれる。そんな緻密で端正な高座だった。