しゃべっちゃいなよ 立川談洲「已己巳己」、そして一宮入魂!!春風亭一之輔「味噌蔵」
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配信で渋谷らくご「しゃべっちゃいなよ」を観ました。若手二ツ目による新作落語ネタおろしの会。この企画のプロデューサーである林家彦いち師匠も今回は新作ネタおろしをした。
「出会い」立川かしめ/「元カノは手ぬぐい」桂伸べえ/「人事異動」柳家緑太/「已己巳己」立川談洲/「いけぬぇ」林家彦いち
かしめさん。男に強引に誘われている女性を「俺の彼女に何するんだ!」と言って助けてあげた男性。彼女は初対面のこの男性を気に入り、「ピンときたの。付き合っちゃおうか!」と言って、二人は一緒に暮らすようになる…。その1年後、男性は突然、別れを切り出す。実は男性は赤羽にある悪の秘密結社のカニカニ魔人だった。だが、女性も負けていなかった。自分は美少女戦士キュアキュアオールシーズンだと告白。奇想天外な展開が可笑しかった。
伸べえさん。サトミに「足が磯の香り」と言われ、ふられたアイザワサトシは九十九里浜で謎の老人から緑の手ぬぐいを渡される。その手ぬぐいに向かって話しかければ、元カノのサトミと話ができるという…。それを羨ましがった同僚のタニグチはその手ぬぐいが欲しいと言い出す。だが、タニグチは彼女がいたことがなく、即ち元カノもいないわけだが、「空想上の元カノ」と話がしたいという強引さ。この緑の手ぬぐいが盲腸手術をする医師の汗を拭くことに役立つと、その病人はあの九十九里浜の老人だった…。ナンセンスの極みが逆に面白い。
緑太さん。落語の世界の登場人物に人事異動があったら…という発想がユニークで面白い。旦那は一期4年しか勤めていないので継続。八五郎と熊五郎は馴れ合いが見えるので、二人の役割を交替することに。甚兵衛さんと金坊は忙しかったので、骨休みに寺に行って和尚と珍念になることに。定吉は人事異動集会の度に必ず欠席して、もう何十年も定吉という地位を手離さず、旦那よりも年上というのが可笑しい。それで、隠居になるように言われ、隠居のところに奉公に出されるが…。しっかりと理路整然とした噺の構成が良い。
談洲さん。似たようなもので、区別がつかないことを「已己巳己」という。17人の江戸っ子から、その親玉を特定しようとお奉行様は知恵を凝らすが…。名前を訊くと八五郎、熊五郎、辰五郎、吉五郎、甚五郎、源五郎、長五郎、大五郎、鉄五郎…、皆が〇五郎。「江戸は五郎の宝石箱だ」という台詞が可笑しい。血の色を好むと聞いて、好きな色を訊くと、紅、朱、薔薇色、牡丹色、苺色、梅鼠、柿色…、色んな赤が出てくる。それぞれの野望を訊くと、貧困滅亡、教育充実、男女平等、環境問題解決…持続可能な十七の開発目標が並べられる。とても良く計算された優れた噺だと思った。
配信で「一宮入魂!!~一之輔・宮治ふたり会」を観ました。春風亭一之輔師匠は「味噌蔵」と「加賀の千代」、桂宮治師匠は「メルヘンもう半分~アンパンマンの自害」と「時そば」。開口一番は三遊亭こと馬さんで「ん廻し」だった。
一之輔師匠の「味噌蔵」。赤螺屋吝兵衛のしみったれぶりは、もはや倹約ではなく、泥棒根性だ。「キワキワがいいんだ」というのは、けだし名言。妻の実家に出産祝いがあるので出掛けるが、重箱を用意して他人のご馳走を詰め込んで土産にしようと考えたり、お伴の定吉には一番悪い下駄を履いて行って、帰りに一番良い下駄を履いて帰るように命令したり。
奉公人たちもその教えが染み付いてしまっていて、居酒屋に行くと気づかぬうちに未使用の割り箸や楊枝が懐に入れるようになってしまう。奉公に入った小僧には二の腕に「吝嗇」という焼き印が押されるように三年前からなった。峰どんに至っては、豆腐屋におからばかり買いに行かせられるから、「から屋」だと思い込んでいて、豆腐屋の娘のお花といい仲になったけど、「二人でから屋を大きくしようね!」と誓いあっているという悲劇。
そんな虐げられた奉公人たちが、一晩旦那が泊まりで帰って来ないとなると、「俺たちの手に自由が来た!ハメをはずそうぜ!」と歓喜、フランス革命の歌である♬ラ・マルセイエーズを唄うのが愉しい。番頭さんはいの一番に「カツ煮が食べたい!」と言い出す。これには自分が八歳のときにこの店に奉公にあがる前、父親に何が食べたいかと問われ、「とんかつ!」と答えて、とんかつ屋に入った思い出が詰まっている。ロースの豚肉が玉子に入れられ、パン粉でまぶされ、油の中に入れられて、揚げられる。豚肉の擬人化が愉しい。そして、父親が店の主人に「カツ煮にしてくれ!」と言うと、玉ねぎが刻まれ、サクサクのカツが出汁に漬けられてビショビショになり、その上に三つ葉が載せられる。半信半疑で食べたら、「これが最高なんだよ!」。ヨダレが出てきた。
奉公人それぞれに「食べたいもの」を言わせると、貧乏臭いものばかりなのが可笑しい。ご飯のおこげに醤油をかけたもの、食パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたもの、カステラの紙に付いたカステラ、納豆のタレの袋の使い切ったものをチューチューしたい、アメリカンドックの棒のカリカリしたところ…。日頃、旦那に奉公人たちがいかに虐げられているのかを絶妙に表現されていて抱腹絶倒の高座だった。
宮治師匠の「メルヘンもう半分」。アンパンマンバージョンだ。アンパンマンとバタコの夫婦二人でやっている煮売り酒屋「アンデルセン」に入店したばいきんまんは昔人気があって子供たちにキャーキャー言われていた頃の思い出話をしながら、「もう半分」を繰り返し、酒を飲む。
店を出たばいきんまんは50両が入った風呂敷包みを置き忘れてしまった。ドキンちゃんが「かびるんるんと仲良く暮らして」と吉原に身を売って拵えた金だ。しかし、バタコが「昔は愛だ、勇気だ、人のために生きるとやってきたけど、バカみたいだ。自分たちが幸せになればいい」と言って、アンパンマンを唆し、慌てて戻ってきたばいきんまんには「そんな風呂敷包みはなかった」としらばっくれる。
その上、番所に届けられたら厄介と思い、アンパンマンは「いっそのこと、あの野郎をばらしちまおう」とパン切り庖丁を持って、ばいきんまんの後を追い、殺してしまう。「めりけんチーズやジャムおじさんも皆、こうして殺したんだ」。
50両を元手にアンパンマンとバタコは立派な居酒屋を構え、繁盛した。そして、二人の間に男の子が産まれた。だが、その赤ん坊はばいきんまんそっくり…。バタコは卒倒して、そのまま死んでしまった。せめてこの男の子をしっかり育てようとアンパンマンは口入れ屋に乳母を頼むが、一晩で暇をもらいたいと去って行く者ばかり。そのわけを訊くと、赤ん坊が夜中に立ち上がり、行燈の油を飲むという。アンパンマンが見張っていると、そのおぞましい光景を目にしてしまう。
おのれ、ばいきんまん!とパン切り庖丁を振り回すアンパンマンは奉公人を次々と殺害してしまい、最後には自らの命をアンパンマンマーチを口ずさみながら絶った…。
♬みんなのため、愛と勇気だけがともだちさ、たとえ胸の傷がいたんでも、やさしい君は行け、みんなの夢を守るため 漫画「アンパンマン」の明るいイメージと大きな落差のある悲しいエンディングが印象的だった。