浪曲定席木馬亭 玉川奈々福「阿武松緑之助」澤雪絵「雪おんな」
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木馬亭の日本浪曲協会二月定席五日目に行きました。
「深川裸祭の由来」港家柳一・伊丹けい子/「十返舎一九とその娘」三門綾・馬越ノリ子/「古田織部」天中軒景友・広沢美舟/「名月狸ばやし」花渡家ちとせ・沢村理緒/中入り/「真柄のお秀」国本はる乃・広沢美舟/「清水次郎長伝 閻魔堂騙し討ち」一龍斎貞寿/「大石東下り」天中軒月子・馬越ノリ子/「阿武松緑之助」玉川奈々福・広沢美舟
はる乃さんの「真柄のお秀」。お秀が大柄で力持ちだが不器量という点をあまり強調せずに、真心のこもった貞女として描いているところが良いと思った。酒の上の座興で真柄関内がお秀に対し、「妻になってくれ。武士に二言はない」と言ってからかうも、お秀がその気になったのが怖くなり、宿を逃げ出すのは卑怯だと思う。
だが、残された手紙に「時を選んで迎えに来る」と書かれている文面を信じ、丸一年経っても来ないとなると、お秀自らがまさに“押しかけ女房”として出張って行く純真に心奪われる。家来が居留守を使うと、「口約束でも妻は妻。留守を守るが女房の役目」と言って、真柄家の仏壇に向かって一心に拝む殊勝な姿に最後は真柄関内も根負けしたというより、こういう女性こそ妻として迎えるべきではないかと思ったのではないか。説得力のある高座だった。
貞寿先生の「閻魔堂騙し討ち」は、「お民の度胸」の前半部分を丁寧に説明したバージョンだ。森の石松は次郎長女房お蝶の香典100両を人が好いので、都鳥吉兵衛に貸してしまう。都鳥一家に草鞋を脱いでいた保下田の久六の子分の三人(布橋の兼吉、鹿島の久松、尾島の松五郎)を仲間に引き入れ、総勢10人で石松を誘い出して亡き者にしてしまえば、100両もチャラになるという卑怯な手口。小松原の閻魔堂で石松は10人を相手に戦うが、負傷して小松村の七五郎のところに逃げ込む。そこで七五郎の女房お民が度胸を見せて、都鳥一家を一旦は退散させるが…。あえて石松の最期を描かずに終わらせる読み方も良い。
奈々福先生の「阿武松」。この読み物の傷を上手くフォローする工夫が随所に見られ、とても納得のいくストーリーテリングになっているのが素晴らしい。
まず能登七尾から出てきた長吉の入門を許した武隈親方の人物造型。大飯食らいだから破門というのは、あまりにも納得のいかない理由を解消している。武隈は元来、懐の深い男だが、如何せん酒を飲むと人が変わってしまうという難点があったという設定にしている。女将さんが「こんなに米が減っては堪らない」と言われ、偶々虫の居所が悪かった武隈がついカッと頭が血に昇り、長吉に破門を言い渡した。なるほど。
次に長吉が故郷に帰るのに、なぜ東海道を使って川崎宿に行くのかという問題。能登に帰るなら、中山道で板橋宿を通るのが通常だろうし、落語の「阿武松」はそうなっている。奈々福先生はそこを、長吉は江戸に出てきたばかりで土地勘がない、また破門を言い渡されて落ち込んでいたために、人の多い方に流れてしまい、ぼんやりしていたら多摩川が見えたという捉え方にしている。これも納得のいく処理だと思う。
そして、長吉は川崎宿の橘屋の主人の知り合いの錣山親方を紹介され、小緑という四股名で初土俵を踏み、連戦連勝。入幕を果たすと、遺恨のある武隈と対戦して勝利し、見事に意趣返しをすることができた。これも、取組が組まれたところで終わって、「丁度時間となりました~」で終わるパターンが散見するが、奈々福先生はしっかりと勝利したところまで触れている。そうすることで、小緑がやがて横綱にまで昇進して阿武松を名乗った出世伝として成立すると思う。とても合点のいく高座であった。
木馬亭の日本浪曲協会二月定席六日目に行きました。
「不破数右衛門の芝居見物」玉川わ太・玉川さと/「北の湖物語」天中軒すみれ・沢村道世/「鰍沢」東家恭太郎・水乃金魚/「豆腐屋ジョニー」玉川太福・玉川鈴/中入り/「忠治関宿」国本はる乃・沢村道世/「キリストの墓」宝井琴凌/「からかさ桜」木村勝千代・沢村まみ/「雪おんな」澤雪絵・玉川鈴
すみれさんの「北の湖物語」。北海道の洞爺湖畔に中学1年で160センチ、100キロの“怪童”がいると聞き、小畑敏満少年をスカウトした三保ヶ関親方は義務教育が終わるまでは「食う」「寝る」ことを中心にして、本格的な稽古はさせなかったという。北の湖が関取に昇進したとき、親方夫婦は故郷に帰らせてあげようとしたが、北の湖が「私の親はここにいる。両親とはお互いに我慢しようと約束した」と親方夫婦への恩を忘れないのが素敵だ。
高校を卒業した親方の長男の昇(後の大関増位山)と一緒に初土俵を踏み、「どちらが先に優勝しても、必ずもう一方が優勝旗を持とう」と励まし合い、切磋琢磨。昭和49年初場所で北の湖が関脇で初優勝を飾ると、増位山がパレードカーに同乗して旗手を勤めた。北の湖の「きょうの涙は横綱になる日までとっておく」という台詞も良い。
はる乃さんの「忠治関宿」。国定忠治が大前田英五郎の身内の不動の新助と名乗って、日光街道の幸手を歩いていたときに、竹槍で突いてきた少年と出会い、貧乏で窮地に立っていた少年の姉を助けた。それが20年後に、少年だった友太郎が捕手の手先となって、忠治と再会し、あのときの恩返しをする…。いい話だ。
友太郎の父親は亀屋万造のイカサマ博奕にはまって、首を括って死んでしまった。姉のお花は万造に拐かされ、無理やり祝言を挙げさせられる。この事情を聞いた不動の新助は祝言の広間に乗り込んで、「その盃は不承知だ!」と言って、お花を連れ去る。男は強きを挫き、弱きを助ける。強きに媚び、弱きを苛めるとは何事だ!見事な啖呵である。
20年後。お花は捕手の親方、林屋善兵衛の女房となり、友太郎は手先となって働いていた。本所の上州屋に国定忠治が草鞋を脱いだとの情報を得た友太郎は善兵衛に伝え、助っ人を頼むが、「自分独りで手柄を立ててみろ」と言われる。友太郎が上州屋を訪ねると、忠治と思しき人物を見て、「あなたは、20年前に花嫁を助けた新助親方では?あのときの竹槍の友太郎です」。
忠治は「立派になったな。御用か。どうせ縄目にかかるなら、お前さんのような人間に縄をかけてもらいたい」。しかし、恩義のある忠治に縄をかけることなど、友太郎にはできない。利根川に舟を出すから、それで逃げてくれと考える。舟の合鍵は林屋善兵衛の部屋にある。姉のお花に事情を説明し、合鍵を借りる。すると、舟には善兵衛がいた。委細を承知していた善兵衛は忠治を見逃すばかりか、逃げやすいように算段してやる…。義理と恩を忘れない任侠の世界を見た。
雪絵先生の「雪おんな」。十八歳だった巳之吉が祖父の茂作と雪のために一晩を過ごした船小屋。外は激しい吹雪が吹き荒れる中、目を覚ました巳之吉の前に現れた雪女が莚を被って眠っている茂作に息を吹きかけると、茂作は氷に閉じ込められてしまった。だが、巳之吉は見逃してくれた。「今夜のことは決して他人に言うなよ。誓えば助けてやる。言うたら、命はないと思え」という言葉を残し、ニッコリ笑って去って行った。果たして、茂作は死んでしまった。巳之吉は助かった。
5年後。巳之吉は木こりを継ぎ、色白の美しい嫁を迎えた。名前はおゆき。舅によく仕え、留守を守り、畑仕事に精を出す良い嫁で、夫婦仲も睦まじかった。そして、10人の子ができた。幸せだった。巳之吉は思う。「十八のときの冬の夜、雪に埋もれて死んでいたらこの幸せはなかった」。そのときに思い出す。その目、その顔、その口はあの船小屋で出会った夢幻の雪女にそっくり、その美しさはそのままだ。そのことをおゆきに言ってしまった。
すると、おゆきは巳之吉を睨みつけ、「とうとう言ってしまったな。命がなくなると言ったのを忘れたか」。私は雪の化身、あなたに恋の炎が燃え、嫁になりたいと思った。掟を破って、思い余って、ここに来た。やれ、嬉しやと思っていたのに…。
「もう、ここには居られぬ。氷の国へ行かねば。口惜しや。なぜ、言わしゃった。悲しや」。氷の息を吹きかければ、巳之吉の命を絶つことができる。だが、おゆきにはそれは出来なかった。「この10人の子らの行く末を案じ、お前の命は助けてやる。どうか、この子らを大切に育ててください」。そう言うと、おゆきは今年最初の雪が降る闇の中に去って行った。
巳之吉が「おゆきやーい」と呼んでも、戻ってこない。おゆきの涙が雪となって、チラチラと頭へ、肩へ、我が家の屋根へ降りしきる。辺りは一面、白一色の銀世界となった…。雪女は魔性かもしれないが、夫を愛する心も子どもを慈しむ母性もあったのだ。切ない物語である。