壽初春大歌舞伎「封印切」
壽初春大歌舞伎昼の部に行きました。「寿曽我対面」「陰陽師 大百足退治・鉄話」「恋飛脚大和往来 封印切」の三演目。
「封印切」は、亀屋忠兵衛とその恋敵の丹波屋八右衛門を中村鴈治郎と中村扇雀の兄弟が交代で演じる趣向。僕は忠兵衛を扇雀、八右衛門を鴈治郎が勤める方の芝居を観た。傾城梅川は片岡孝太郎。
忠兵衛の金持ちのボンボンの駄目なところ、そこも含めて好きになってしまう梅川、そして友人でありながら憎らしいほどに忠兵衛を罵倒し、挑発する八右衛門の三人を中心とした群像劇にいつも「なんで?」と思いながら、切ない気持ちになってしまう。
忠兵衛は堂島の蔵屋敷に為替の金を届けに行く途中なのに、なぜ梅川のいる井筒屋に立ち寄ってしまうのか。もちろん、好きな恋人会いたさなのだろうが、きちんと仕事を済ませてから行けばよいのにと思う。しかも身請けの前金は払ったが、残りの金が用意できずに期日を過ぎてしまった。同じく梅川を身請けしたい八右衛門に奪われてしまう危機なのだから、なおさらである。
梅川だって好きな忠兵衛に身請けされたい。八右衛門のところになど行きたくない。だから、梅川を抱えている槌屋治右衛門が八右衛門からの身請け話を承諾してほしいと言うと、梅川は必死に忠兵衛の許にやってほしいと懇願し、治右衛門に約束を取り付けるのだ。
これに承服できないのは八右衛門だ。梅川を身請けしようと代金を調えてやって来たのに、治右衛門に断られてしまう。それは話が違うだろうと思うのも当然だ。井筒屋のおえんも忠兵衛の肩をもつから、余計気に入らない。散々に忠兵衛の悪口を言って罵る。
これを二階で聞いていた忠兵衛は怒りに耐え切れず、座敷へと降りてくる。金を持っていないと言われた忠兵衛は「それは嘘八百だ」とばかりに父親から貰った大金を用意していると胸を張る。男の見栄だ。そんな大金など持っていないのだが、虚勢を張るところが、とても切ない。
八右衛門としては、「じゃあ、その金を見せてみろ」と挑発するのは必然だろう。窮地に陥った忠兵衛は手を付けてはいけない金に手を出してしまう。蔵屋敷に届ける為替の金だ。いわば、公金。懐から財布を出し、言い争いの末、金包みの封印を切ってしまう。公金横領の罪で討ち首になることは判っていても、男の見栄というやつが、その罪を犯してしまうのだ。一つの封印を切ると、後は野となれ山となれとばかりに、次々と封印を切っていく。なんということだろう。
冷静なのは八右衛門だ。最初はその様子に圧倒されていたが、拾い上げた金包みの紙から、その金が公金であることを知る。そして、その紙を拾って、訴人しに駆け出して行く…。もう、忠兵衛はおしまいだ。
忠兵衛はこの金を治右衛門に身請けの後金として支払う。何も事情を知らない治右衛門やおえん他店の者たちは「おめでたい」と言ってお祝いムードになるのが逆に悲しい。梅川と二人きりになったときに、忠兵衛はこの金が公金であることを打ち明け、いっそ一緒に死んでほしいと頼む。
現代の感覚であれば、梅川が忠兵衛を窘め、身請けを諦めるように説得するのが貞女なのだろう。だが、今とは価値観が違う。一緒に死ぬことを承諾し、「せめて三日だけでも夫婦の真似事をしてから死にたい」と言う。これが幸せといえようか。もっと他に手立てはあったのではないか。恋仲の男女が心中する=美しい散り方に異論を挟むのは野暮なのは承知だが、この芝居を観て共感できず、切ない気持ちになる自分がいる。