柳枝のごぜんさま 春風亭柳枝「うどん屋」、そして一之輔のすすめ、レレレ 春風亭一之輔「文七元結」
「柳枝のごぜんさま~春風亭柳枝勉強会」に行きました。「六尺棒」「もぐら泥」「うどん屋」の三席。
「うどん屋」の酔っ払いの人情味が良い。火を担いで方々を廻って、世間を広く歩いているうどん屋だから、仕立屋の太兵衛のところの娘のミー坊を知っているだろうという…。商売仲間から婿を取ったら、その婿が仕事が出来て、男っぷりがいいと褒め、祝いを贈ったら喜んでくれて婚礼に呼ばれた。ミー坊は「おじさん、おじさん」と呼んでくれて、「どうぞこちらへ」と床の間の前に座らされた。正面の唐紙の襖が開くと、花嫁衣裳のミー坊が現れ、「さてこの度は…」と挨拶を始めた。
自分たち夫婦には子どもがいないから、余程嬉しかったのだろう。鼻水を垂らして、ピーピー泣いていたミー坊を我が子のように可愛がったという。その娘が「この度はご心配をいただき、誠にありがとうございます」と立派な挨拶ができるまでに成長したことを心底喜んでいるのが伝わってくる。
風邪ひきの客の前に、博奕をやっている連中の一人が声を潜めて、「うどん屋~」と呼ぶ。そして、10人前のうどんを頼む。「10日に一遍はここでガラッポンやっているから、また来てくれ」。うどん屋にとっては上等な常連が出来たという場面が挿入されている。終演後に柳枝師匠に伺ったら、「うどん屋が可哀想でしょ。だから、少し儲けさせてあげようと思って」とのこと。心優しい柳枝師匠の演出だなあと思った。
風邪ひきの客がうどんを食べる仕草は言うまでもなく素晴らしい。しっかりとした技術のある高座を拝見した。
「一之輔のすすめ、レレレ~春風亭一之輔独演会」に行きました。「河豚鍋」と「文七元結」の二席。開口一番は雷門音助さんで「狸札」、ゲストは三笑亭夢丸師匠で「身投げ屋」だった。
一之輔師匠の「文七元結」は11月末の一之輔春秋三夜の三日目に掛けた高座が素晴らしかったが、僕はチケットが取れずに配信で観たので、それが生の高座で聴くことが出来て幸せだった。
佐野槌の女将が長兵衛を諭す場面。この娘が「お願いがあります」と言って訪ねてきたんだ。手をついて、ニコリともせず、ジッと見つめて、頭を下げて、「私を買ってください」と言うんだ。父は仕事をせずに博奕ばかりして、借金をこしらえ、母とは喧嘩ばかりしている。血が繋がっていない母だからこそ、かえって切ない。私を買ったお金を直接父に渡して意見してください。この里に嫌だ嫌だと言ってくる娘は沢山いるが、自分から足を運んで自分を買ってくれなんて言う娘は初めてだ。長兵衛さん、もうちょっとちゃんとしないといけないね。恥ずかしくないのかい?
女将は長兵衛に50両を貸すときに、亡くなった旦那のお気に入りの着物の端切れで拵えた財布に入れて渡す。いつもあの人は言っていたよ。長兵衛はずぼらだが、腕が良い、陽気で気持ちの良い男だって。この店の壁を褒めていた。こんな壁、この頃塗っているかい?うちの人は見ていると思うよ。
長兵衛は評判の良い左官職人だった。それが博奕で駄目な男になってしまった。それを叱咤する女将が良い。娘のお久も言う。私もお父っつぁんの塗った壁が大好きだよ。いっぱい壁塗って、仕事に精出して、早く迎えに来てね。そして、おっかさんに優しくしてね。何と心優しい娘であろうか。
吾妻橋。50両を掏られたと思いこみ、身投げしようとする文七を止めた長兵衛は事情を訊く。死んで花実が咲くものかと長兵衛が説得するが、文七は両親と死別し、拾って育ててくれた主人に申し訳ないと頑なに身投げをしようとする。それでも、「死ぬのは良くない」と長兵衛は何度も繰り返すが、文七は聞く耳を持たない。
「あなたには関わりのないことです」という文七に長兵衛はそれは違うと否定する。関わりあいがないだと?今、こうやって、関わっているじゃないか。身投げの理由を聞いて、そんなことはやめろと言っている。それは関わっているということでしょう。
「お前が死ぬと悲しむ人がいるだろうが」と長兵衛が言うと、文七は「私は天涯孤独。悲しむ人はいません」と言う。「そうかなあ。俺はこうやってお前と知り合いになった。孤独じゃないだろう。俺は悲しいよ」と長兵衛は言って、「俺はろくなことをしてこなかったから、お天道様が見ているのか。しょうがない!」。50両の入った財布」を出して、「これ、やるよ。でも、この50両には訳があるんだ」。そう言って、自分が博奕に狂い、借金で首が回らなくなったのを見かねた娘が吉原の佐野槌に身を沈めて拵えた金だと明かす。
文七は「そんな大切なお金は頂けません」と言うと、長兵衛も「俺だって、やりたかねえよ。でも、お前は死ぬんだろう?お久は死なない…俺は自慢じゃないが腕が良い左官なんだ。塗って塗って塗りまくって…何とかする…無理かもしれないが…娘が悪い病を引き受けないように金毘羅様でもお不動様でもいいから、拝んでくれればいい」。
だが、文七は「見ず知らずの人からこんな大金頂けません」と言うと、長兵衛は「見ず知らずじゃない!こうやって知り合ったんだから!」。そして、財布を文七に投げつけ、「死ぬなよ!絶対に死んじゃいけない!死んだら、ぶっ殺すからな!」と言い放ち、逃げるように去った。これぞ、江戸っ子の美学だろう。
翌日、近江屋卯兵衛が文七を連れて長兵衛のところに50両を返しに行く道すがら、吾妻橋を通る。お前はあの方が止めてくれなかったら、今頃どざえもんになっていたんだぞ。お前が死んだら悲しむ者がいるんだ。お前は私のことを何だと思っている?私はお前を我が子だと思っている。お前が死んだら、私だけじゃない、番頭ほか奉公人皆が悲しむんだ。皆は家族だよ。天涯孤独と思い込んでいた文七はとんだ勘違いをしていたことに気づいたろう。
そして、長兵衛宅に着いて、50両は掏られたのではなく、置き忘れたのだということを報告すると、長兵衛も言う。気になっていたんだ。生きていて良かった。俺が止めなかったら、死んでいたかもしれないんだ。駄目ですよ、こんな奴に50両に遣いに出しちゃあ。まさに、長兵衛は文七にとっての“命の親”になったのだ。関わり合いがないなんて、誰が言えようか。身投げをしようとしている文七の姿を見たときから、長兵衛と文七は深い縁で結ばれていたのだ。見て見ぬふりなど出来ようか。
袖すり合うも多生の縁。人は人、自分は自分と割り切り、人間関係が希薄になってしまった現代社会だからこそ、心に沁みる「文七元結」である。