かけ橋・松麻呂定例研鑚会 神田松麻呂「大高源吾」、そして わどなんど寄席 三遊亭遊吉「城木屋」

春風亭かけ橋・神田松麻呂定例研鑚会に行きました。かけ橋さんは「お菊の皿」と「嶋鵆沖白浪 三宅島の再会」、松麻呂さんは「谷風の情け相撲」と「赤穂義士銘々伝 大高源吾」だった。

かけ橋さんの「三宅島の再会」。全12話のうちの7話目に当たる。来年は偶数月に2話ずつ、全12話演じる会を梶原いろは亭で開催するそうだ。

花鳥花魁ことお虎が三宅島に流刑になったが、島方取締役の壬生大助に色仕掛けで取り入って、閑静なところに一軒の家を普請してもらい、そこに住み着くというのがすごい。吉原に火付けしたのは濡れ衣で、親の借金返済のために廓に奉公していたが、誰かが火付けした罪をかぶされてしまった、身に覚えのないことだと涙を流しながら訴える演技は相当の悪女である。

罪人として流されてきた中で、壬生が気に入った人物を手下のように使っているが、その中の勝五郎と庄吉が実はお虎と縁があったというのが物語を面白くしている。

勝五郎は千住の小菅屋という女郎屋の倅だったが、飲む買う打つの遊興三昧で博奕打ちになった男。母親が亡くなると、父親がお扇という女を後妻に貰ったが、そのお扇は湯屋の重吉、通称湯屋重という男と出来ており、二人で小菅屋乗っ取りを企み、勝五郎の父親を殺してしまった。その上、その罪を勝五郎にかぶせ、そのせいで勝五郎は三宅島に流され、8年が経っているという。

庄吉は赤坂の八百屋の倅だったが、道楽の末に勘当となり、両国で巾着切りをしていた。まだ十五歳だ。だが、両国の巾着切り仲間の間で玉垣という関取の刀の小柄を盗んだ者が親分ということにしようじゃないかということになり、誰も怖くて近寄れない玉垣に対し庄吉は果敢に挑み、玉垣に掴まって腕に三日月形の傷を負った。それ以来、その度胸が買われて、庄吉は三日月小僧と渾名され、大人の巾着切り30人の親分になった。

その庄吉が仲見世で仕事をしようとしたら、ある親分さんに逆に掴まってしまい、御馳走を食べさせもらい、「もう巾着切りはやめろ」と意見されたので、その親分さんの身内になりたいと願うと、30両を庄吉に渡してくれたという。これで巾着切りとは縁を切り、博奕打ちになろうとしていたのに、油断をしていたらお縄になって、佃の寄せ場送り、そして三宅島に流刑となった。その親分の名は佐原喜三郎…自分が裏切ったと思われたくないが…と話す。

すると、お虎がその名前を聞いて驚く。成田で芸者をしていた頃に紙入れに入った5両を掏られ、借金が返せないでいるところを喜三郎さんに助けられたのだという。すると、「それ紙入れを盗んだのはおいらかもしれない」と庄吉が言うのでビックリだ。さらに、その話を聞いていた勝五郎が自分も喜三郎親分のことは知っている。土浦の皆次親分の賭場で世話をしてくれたという。佐原喜三郎という人物によって三人は繋がった。

お虎が切り出す。「皆、娑婆に未練があるんじゃないかい?島抜けをしたくはないか?」。お虎は梅津長門に惚れた弱味で火付けをしたが、どうやらその梅津は他の女と夫婦同様の暮らしをしているらしい。悔しい。また、勝五郎もお扇と湯屋重に仇討がしたい。庄吉も世話になっている勝五郎の助太刀をしたい。意見がまとまる。

そして、八丈島に流刑になった罪人に病人が出たと、船が三宅島に着いた。そして、その病人は回復するまで三宅島に滞在することになった。その病人こそが、佐原喜三郎だったという…。因縁が絡み合うストーリーの醍醐味の一端に触れた。是非、来年はかけ橋さんの「嶋鵆沖白浪」を通しで聴こうと思う。

松麻呂さんの「大高源吾」。みすぼらしい身なりで煤竹売りをしている大高源吾に両国橋の上で偶然会った宝井其角。雪景色と月に見惚れている源吾を見て、浪人はしても子葉として俳諧を嗜んでいた頃の風流は忘れていないと思ったが…。

其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み、付け句を依頼すると、「あした待たるる其の宝船」と返された。その付け句を其角はどう読み取れば良いのか、戸惑う。十二月十三日は煤払い、そして翌日からは初夢のための宝船を売って儲けよう…浪人すると根性が賤しくなってしまうのかと若干の寂しさを覚える。そして、寒かろうと自分が着ていた羽織を源吾の背中に掛けてやる気遣いは其角の温かい情なのだろう。

その羽織の贈り主、松浦の隠居のところに其角が立ち寄り、この話をすると隠居は「はて…」と暫く考えたが、「きょうは何日(いっか)じゃ?」。「十三日です」と其角が答えると、隠居は思い当たり、「二百六十余大名旗本八万騎の荒行寒からしむ」。だが其角には判らなかった。「きょうのことは誰にも話すでないぞ」と念を押すところが素晴らしい。

付け句の意味…其角は謎解きができぬまま夜が明ける。翌日の十四日。弟子が土屋主税の屋敷で行われる句会の迎えにやってきた。土屋の屋敷の隣は吉良邸。「きょうは十四日。わかった!」。其角は土屋が機嫌よく泊まっていけという誘いに乗り、表門が見える部屋を所望し、布団を敷いてもらう。

夜中、土屋の屋敷を叩く赤穂浪士が二人。中村勘助と大高源吾だ。其角は源吾に向かって餞の句を贈る。「わが雪と思えば軽し笠の上」。これに対し、源吾が返す。「日の恩やたちまち砕く厚氷」。これに対し、其角がもう一句。「月雪の中や命の捨てどころ」。同じ風流人として、大高源吾と宝井其角の互いの熱い思いやりが伝わってくる高座だった。

弘前かだれ劇場の「わどなんど寄席」に行きました。三遊亭美よしさんが「金明竹」、春風亭昇吾さんが「皿屋敷」、三遊亭遊吉師匠が「城木屋」だった。

遊吉師匠の「城木屋」。歌丸師匠がよくお演りなっていた印象だが、東京でも頻繁には掛からないネタだ。初代三笑亭可楽が「東海道五十三次」「伊勢の壺屋の煙草入れ」「江戸一番の評判の美人」の三つのお題で創作した、三題噺とされる。

日本橋材木町二丁目の城木屋の一人娘、お駒は評判の美人。そのお駒に一方的に片思いしたのが番頭の丈八だが、お駒とは正反対に絵に描いたような醜男で、まるで相手にされない。それでも思いは募り、付け文をお駒の袂に入れた。

だが、そのことがお駒の母親のお常の知るところとなって、厳重注意。この噂は城木屋だけでなく、近所にも知れわたり、丈八は“ふられ番頭”と陰口を叩かれ、居ても立っても居られない。手文庫の百両を盗んで、逐電してしまった…。故郷の駿河の府中で遊んでいたが、お駒が婿を取るという噂を人伝に聞いて、悔しくて仕方ない。

丈八は江戸へ戻り、お駒を殺して自分も死のう、そうすれば「心中になる」と勝手な理屈をつけて夜中に城木屋に忍びこみ、お駒の寝姿に見惚れるが、柳原で買い求めた刀を持って馬乗りになり、刺そうとしたが、お駒に気づかれて刀は布団を突き抜け床に刺さってしまう。そして、お駒が「泥棒!」と叫んだから、丈八はその場を逃げるしかなかった。どこまでも間抜けな男である。

その上、現場に愛用の伊勢の壺屋の煙草入れを落としていったものだから、すぐに足が付き、召し捕られてしまう。名奉行、大岡越前守が取り調べる。証拠の品があるのだから、犯人は丈八であることは明白。白状しろ!と言われて、丈八は観念して罪を認める。そのときの言い立てが東海道の宿場の名前をもじった七五調で聴きどころ。「生まれはどこだ?」「駿河です」「この不忠(府中)ものめが!」。珍しい噺を聴けて嬉しかった。