神田紅純の会「北斎と文晁 茶会の合作」、そして真山隼人ツキイチ独演会「切支丹秘話 片割れ月」

神田紅純の会に行きました。「依田孫四郎 下郎の忠節」と「北斎と文晁 茶会の合作」の二席。ゲストは神田織音先生で「風切羽」という創作“青春講談”を披露し、これが大層素晴らしかった。開口一番は神田紅希さんで「真田幸村 大坂出陣」だった。

紅純さんの「北斎と文晁」。偏屈が売り物だった浮世絵師の葛飾北斎と温厚な性格の画家の谷文晁の友情物語だ。十一代将軍家斉が鷹狩りの帰りに浅草伝法院に立ち寄った際、北斎と文晁を呼び、絵を描かせた。北斎は花鳥、文晁は富士を描き、見事な出来栄え。だが、北斎は「余興を見せる」と言って、唐紙に藍色で大河を一本描き、その上に鶏を放した。鶏の足の裏には朱色の絵の具が塗られており、その足跡はまるで大河に紅葉が舞い降りたよう。これを「竜田川の紅葉」と称した。これには流石の文晁も「大した男だ」と感心し、以来親交を深めることになる。

北斎は本所の棟割長屋で独り暮らし。そこに一挺の駕籠が乗りつけた。三代目尾上菊五郎、音羽屋である。菊五郎は今度の芝居に絵を描いてもらいたくて訪ねたのだが、北斎の部屋があまりにも汚いので付け人に毛氈を敷かせて座った。菊五郎は礼を尽くして挨拶したのに、北斎はぶっきらぼうに「とっとと帰りな」と言う。自分だけ毛氈を敷くなんて失礼極まりないというわけだ。菊五郎も堪忍袋の緒が切れ、喧嘩別れしてしまう。

実は菊五郎は最初、文晁に依頼したのだが、その仕事なら北斎が相応しいと菊五郎を北斎の許に行かせたのだった。事情を聞いた文晁は、「菊五郎が仲直りがしたい」と言っている、ついては自分が間に入るから許してやってくれと頼む。北斎も承知し、大晦日の晩、八百善で三人揃って除夜の鐘を聞きながら和解した。そのときに菊五郎が「正月の芝居は十一役早替りという趣向なので、是非ご高覧いただきたい」と誘った。

音羽屋の芝居は正月三日の初日から満員札止めの盛況。だが、北斎は行かない。行くには祝儀を持って行かねばならないと考えたからだ。それを知らない菊五郎は「是非お立ち寄りください」と手紙を出した。北斎も男だ。屑屋に火鉢と布団を売り払って二分を拵え、祝儀を持って出掛けて、芝居を観た。

長屋に帰った北斎は寒さの中、四畳半の部屋で布団も火鉢もなしに寝転んで、風邪をひいてしまう。年賀の挨拶に来ない北斎を心配して、文晁が訪ねると顔色を悪くして寝込んでいる北斎がいた。事情を聞き、文晁は北斎こそ本当の江戸っ子の絵描きだと益々認めるようになった。

北斎が全快すると、文晁から「弟子の春江が茶会を開くので来てほしい」と誘いが来る。だが、行ってみると北斎と文晁しか茶室にはいない。暇つぶしに絵でも描こうということになり、合作を提案する。北斎も気持ちが乗っていたのだろう。富士、松、花鳥、美人…と15、6枚の絵を描き上げた。すると、突然に襖が開き、隣の部屋から豪商たちが現れ、この絵を売ってほしいと奪うように買い上げ、金包みを置いていった。

文晁はその金包みの全てを北斎に受け取れと言う。実は茶会というのは名ばかりで、北斎に恥をかかせぬように絵を描いてもらい、貧乏暮らしから脱してもらいたいと画策したのだった。文晁の情けに対し、北斎は素直に「すまぬ」と言って金包みを受け取ったという…。美しい友情物語だった。

夜は真山隼人ツキイチ独演会に行きました。「高麗出世の茶碗」「エッセイ浪曲 あゝ通天閣」「切支丹秘話 片割れ月」の三席。

「片割れ月」は初代真山一郎先生の晩年の十八番で、それを隼人さんが貰ったのだそうだ。

島原天草一揆の5年後の話だ。一揆を起こしたキリシタンたちの先頭に立っていた首謀者、大浦庄左衛門は妻と娘の三人で十字架に磔にされ、処刑された。その墓に花を手向けている武士がいる。寺の和尚が声を掛けると、自分はキリシタンではない、血の繋がりのあるものだと言う。そして、また来年来ますと言って去って行った。

和尚のところに村の秋祭りの会合が終わった久作がやって来た。先程の武士の話をすると、紋は何だったか?と久作は問う。「丸に二引き」だったと答えると、久作の顔色が変わる。「そいつは、息子の久六の敵だ!」。5年前に大浦親子三人が処刑された帰り道、大浦の下働きをしていた久六が何者かに斬られて殺された。そのとき、現場に落ちていたのが、この印籠で、紋は「丸に二引き」。その武士こそ、息子の久六を殺した男に違いない。久作は後を追う。「おーい!落とし物だぞ!」。武士が振り返り、この印籠は拙者の物だと言う。久作はここぞとばかりに「おのれは倅の敵!」。

武士は認める。「いかにも拙者が久六を斬った」。久作は「大浦様を訴人したのもお前か!」と責める。すると、武士は「わしはたった一人の妹を失った。天涯孤独になってしまった。その妹は大浦の妻だ」。そして続ける。「訴人したのは久六だ。大浦の召使として働いていたが、博奕が好きで、金に目がくらんだ。それゆえ、わしが天に代わって斬り捨てたのだ」。

久作は息子の久六が天罰を受けたことを知る。そして、死んで詫びると言い出す。だが、武士はそれを止める。「すべては夢だったのじゃ。我々は水に流れる浮き草のようなもの。生きるも死ぬも風まかせ」。そう言って、月を仰ぐ。久作はすすり泣く。島原天草一揆の無情を思った。