人形町噺し問屋 三遊亭兼好「ねずみ」

「人形町噺し問屋~三遊亭兼好独演会」に行きました。「七段目」と「ねずみ」の二席。前座は三遊亭げんきさんが「酒の粕」、三遊亭けろよんさんが「権兵衛狸」、ゲストは三味線漫談の林家あずみさんだった。

兼好師匠の「ねずみ」は虎屋乗っ取りの経緯を、鼠屋主人の卯兵衛の幼馴染で隣の隣で同じく旅籠を経営している生駒屋が代弁する独自の演出だ。当事者である卯兵衛が話すのではなく、第三者が話すことで客観性が出る。

卯兵衛は元は虎屋の主だった。可哀想なことに女将さんを病で失い、後添えとして女中頭のお紺を迎える。七夕祭りという仙台で一番の賑わいを見せるときに、虎屋で江戸の宿泊客同士の喧嘩が起きた。それを仲裁しようとした卯兵衛が突き飛ばされて、梯子段を真っ逆さまに落ちて腰を打ち付け、寝たきりになってしまった。

悪い噂を聞いた。継母であるお紺が息子の卯之吉を折檻しているという。生駒屋と卯兵衛が卯之吉を呼び、着物を脱いで身体を見せるように言うが、卯之吉はこれを拒む。無理やり脱がせたら、身体中が傷だらけ、痣だらけだった。卯之吉は父の卯兵衛の首っ玉に抱きつき、「どうして、おっかさんは死んじまったんだ!生き返らせてくれないか!言う事は何でも聞いて良い子でいるから、おっかさんに会わせてくれ!」と泣いたという。

寝たりきりの卯兵衛は卯之吉と一緒に物置に追いやられ、やがて三度三度の食事も運ばれなくなってしまった。番頭の丑蔵に訴えるも、「私たちには何の関わりもないことです」と冷たくあしらわれた。見せられた一枚の証文は、虎屋を丑蔵とお紺に譲ると記されており、卯兵衛の印形も押してあった。印鑑は卯兵衛がお紺に預けていたもので、丑蔵とお紺は結託して虎屋を乗っ取ったのだった。

卯兵衛と卯之吉の面倒は生駒屋が見てあげようとしたが、卯之吉は気丈だった。「それでは乞食同様だ。ここで旅籠をやるから、やり方を教えておくれ」と土間に頭をすりつけて、生駒屋に旅籠を開くやり方を教えてくれと頼んだのだという。そして、この物置が鼠屋という旅籠になったのだという。

生駒屋の一連の話を聞いて、甚五郎はこの父子を救ってやりたいと考え、一晩で「福鼠」を彫った。盥の中にいる鼠が動く。「この鼠を見た者は土地の方、旅の方問わず、一泊すべし」という立札を添えて、甚五郎は颯爽と仙台を去っていく。ここでも活躍するのは生駒屋だ。彼のお喋りでこの動く木彫りの鼠、福鼠の評判はあっという間に広がった。そして、憎き虎屋の鼻をあかすことができた。

人情噺の部類に入るのかもしれないが、生駒屋というキャラクターを立てることによって、お涙頂戴に走らないチャーミングな噺に仕上げたところに兼好師匠の手腕の見事さを認識した高座だった。