あしたも晴れ!人生レシピ 一龍斎貞鏡
NHK Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」で「家族と講談の両立 講談に魅せられて 一龍斎貞鏡」を観ました。
僕も行った5月に国立能楽堂で開催された「一龍斎貞鏡ひとり会」の映像が紹介されていた。そこでのマクラで真打昇進したときの思いを語っていたのが印象的だ。5歳、3歳、2歳、0歳の4人の子どもを抱えて、真打披露興行なんて無理だと言う周囲の声が一部にあったことに対し、「しおらしく『勉強させてください』と頭を下げたが、腹の底では『冗談じゃねえよ!やってやろうじゃねえか!』と思っていました」。これが貞鏡先生の凄いところではないか。
「那須与一 扇の的」を読んでいるときに、玉虫の前の美しさを表現する際、「沈魚落雁閉月羞花の一佳人」と言ってから、「わかりやすく言えば、貞鏡ちゃんみたいな美人」と付け加えるのも、いかにも貞鏡先生らしい。
国立能楽堂では軍記物「扇の的」のほか、侠客物「芝居の喧嘩」、赤穂義士伝「二度目の清書」を読んだと短く紹介されたが、スタジオでは「耳なし芳一」を短くまとめて披露。司会のアナウンサーをして「滑舌が素晴らしい」と言わしめたが、その秘訣は前座時代から修羅場を嫌というほど読む稽古を続けたからだと言って、「お腹の底から声を出すことが肝要ということも学んだ」と添えた。貞鏡先生の高座にキレを感じるのはそういう下地があるからこそ、なのだろう。
講談師になったきっかけは、大学2年生のときにカナダに留学し、他の国の学生が母国の自慢話をするのに、自分は何も日本の伝統文化について知らなかったことを恥に思ったからだという。講談師になりたいと父である八代目貞山先生に志願したところ、「お前は幼い頃から習い事を沢山してきたが、みんな飽きっぽくてやめてしまった。今度もそうだろう。駄目だ」と断られた。だが、その1年半後に講談協会会長で人間国宝の貞水先生のところに連れていかれ、父親である貞山先生が娘を弟子にとることを報告したという温かいエピソードは有名だ。
前座時代の貞鏡さんが興味深い。自分は貞山の弟子である、お利口さんでいなければ、清く正しく生きていかねば…と“貞山の娘”を演じていたという。そんなとき、あるテレビ局のプロデューサーが打ち上げで酔って貞鏡さんに言った言葉が人生観をガラッと変えたそうだ。「お前、素じゃないだろう。もっとさらけ出せ」。これで肩の荷が降りた、私は私でいいんだ、演じなくていいんだ。気持ちが軽くなったという。ちなみに、このことをそのプロデューサーに後日言ったら、「そんなこと言ったか?」とすっかり忘れていたという…。
貞鏡先生を支えているのは、10年前に結婚した夫の将玄さんの存在だ。6歳年下。将玄さんいわく、「貞山先生は格好良かった。それを継承しているのが妻であり、それを絶やすわけにはいかない。絶対にやめさせない。彼女、格好良いでしょう?」。夫が一番の貞鏡ファン。家事や育児を手伝い、支えている。貞鏡先生も「彼がいなければ、今の貞鏡はないです」と言っている。稽古の場はもっぱら、カラオケボックス。夫が子どもの面倒を見ている間、一人で閉じこもり、集中して稽古に打ち込めるという。
そして、貞鏡先生は幅広い世代へ講談を広めたいという努力もしているという。それが紙芝居講談であり、ピアノ講談である。講談というと、「あらかじめ勉強していかないといけないのでは…」という先入観があり、難しい、古臭い、判らない、といった壁を取っ払いたいと願っている。とりわけ若い世代や女性たちに講談の魅力を知ってもらえたら…、それが貞鏡先生の思いだ。
司会者に「息抜きは?」と訊かれた貞鏡先生は間髪を入れず、「語弊があるかもしれませんが、高座に上がることが楽しいんです。息抜きは高座かもしれません」と答えた。最後に目標を尋ねられ、「人間としての厚みを増していきたい。それが芸の厚みになる。自分がおばあちゃんになったときの高座はどうなっているのか?楽しみです」。
10年後、20年後(おそらく、その頃には九代目貞山を襲名しているだろうが)の“貞鏡ちゃん”の高座を聴くのが僕も楽しみだ。長生きしなければ!