鈴本演芸場八月上席 橘家文蔵「子は鎹」

上野鈴本演芸場八月上席中日夜の部に行きました。今席は橘家文蔵師匠が主任を勤める興行である。きのうまでのネタは「ちりとてちん」「らくだ」「転宅」「猫の災難」。そして、きょうは「子は鎹」だった。

「牛ほめ」柳家ひろ馬/「寄合酒」橘家文吾/太神楽 鏡味仙志郎・仙成/「スキスキ金右衛門様」柳亭こみち/「熊の皮」春風亭一蔵/アコーディオン漫謡 遠峰あこ/「湯屋番」春風亭一朝/「10時打ち」古今亭駒治/中入り/奇術 ダーク広和/「安政三組盃 羽子板娘」田辺いちか/「暴そば族」林家きく麿/漫才 風藤松原/「子は鎹」橘家文蔵

文蔵師匠の「子は鎹」。熊五郎が番頭さんと一緒に木場へ向かう途中、3年前に別れたおかみさんや息子の亀吉のことを話していて、「十一になるのかい。可愛い盛りだね。会いたいだろう」と言っていると、偶然にも学校帰りの亀吉と遭遇するところからドラマチックだ。

「大きくなったな」と言ってから、何を話して良いのやら…つい、「お父っつぁんは可愛がってくれるか」と訊いてしまうところに熊五郎の肩身の狭さを感じる。「噺家じゃあるまいし、先代も先々代もあるか」と亀吉に返され、「おっかさんは独りか」と確認したときには若干の安堵みたいなものがあったのだろうと思う。元女房は針が持てるから、それで生計を立てていて、亀吉も学校に通っていると聞いて嬉しく思う。照れもあるのだろう、「怠けたら承知しないぞ」と父親らしいことを言うと、亀吉は「これからは学を身に付けないといけないって。お父っつぁんは職人としては立派だったが、惜しいかな、学がないばかりに苦労したって」と、母親が言っていることを素直に口にされると、熊五郎も立つ瀬がない。

それでも、元女房がどう思っているのかは気になる。「お父っつぁんのこと、何か話すか?」。片親であることを気の毒に思い、世話を焼いてくれる人がいるが、皆断っている。「亭主は先の飲んだくれでこりごりです」と。「さぞかし恨んでいるんだろうな?」と訊くと、夫婦の馴れ初めを話してくれ、「そのときは、こんな親切な人はいないと思った」と亀吉に言うのだという。そして、「お父っつぁんは本当は良い人だ。だけど、酒を飲むと駄目になっちゃう。だから、酒を恨みなさい」と言い聞かせるという。

熊五郎が「今は酒もやめて飲んでいない。妙な女も追い出した。一生懸命働いて稼いでいる」、これは亀吉に喜んでもらおうと思っていたのかもしれない。亀吉は「寂しいだろ?」と言って「家においでよ!」と無邪気に誘う。だが、熊五郎には罪悪感がある。「そう、やすやすと合うわけにはいかないんだ。世間が許さない。お前もじきに判る」。50銭の小遣いを渡すと、亀吉は「鉛筆を買ってもいい?お空の絵を描くときに、空色の鉛筆がほしいんだ」と無邪気に言うのが何とも愛らしい。

額の傷の件。独楽廻しをして、斎藤さんの坊ちゃんと喧嘩して独楽で打たれた跡だという。母親は「男親のいない子だからって馬鹿にして。誰にやられたんだい?」と烈火の如く怒ったが、相手が斎藤さんと聞いて「痛いだろうが、我慢しなさい。斎藤さんからはお針の仕事を沢山貰っている。気まずくなったら、私たち母子が路頭に迷う」と泣きながら言ったという。「こういうときこそ、あの飲んだくれがいたら少しは案山子の代わりになっただろうに」。これを聞いた熊五郎は「すまなかったな。よく我慢した」と亀吉を褒めた後、「斎藤さんの家はどこにあるか言え。母子がお世話になっていますと、そのうちに御礼参りに行ってやる」と言うのは、文蔵師匠らしい。

小遣いを貰ったこと、明日鰻を食べに行く約束をしたこと、お父っつぁんと会ったことは、おっかさんには内緒にしろ。それが男と男の約束だと言って、別れて帰る亀吉を見送った後の熊五郎の台詞が良い。「大きくなったな。鉛筆ときたよ。畏れ入った。きょうは雲一つない、いい天気だ」。

亀吉は帰宅後、貰った50銭を母親に見つけられてしまう。「どうしたの?誰から貰ったの?言ってごらん」「知らないおじさん」「御礼を言わなきゃいけないから」「返しておくれ。鉛筆を買うんだ」「表を閉めて、こっちへおいで。怒っていないから」。母親は思いの丈をぶつける。「そんなさもしい了見を持つ子になったの。お前には三度のものを二度にしても、ひもじい思いをさせたことはない。どこから盗んできたの。二人で謝りに行こう…」。

男と男の約束だから言えないとする亀吉に「どこまで強情なの」と言って、熊五郎の道具箱から持ってきた玄翁を取り出し、殴ろうとすると、流石の亀吉もついに「お父っつぁんに貰ったんだ」と白状する。驚くと同時に安堵する母親。「ヨレヨレの半纏着て、酒の匂いプンプンさせていたんだろう」と問うと、亀吉は「お酒は飲んでいないって。綺麗な半纏何枚も着ていたよ。吉原の女も追い出したって」。そして、「すまなかった」と言って涙をポロポロ流していた父親の様子を聞いたとき、元女房は熊五郎のことを少しは許してもいいかなと思ったのかもしれない。

翌日の鰻屋の二階で、熊五郎が頭を下げて「女手ひとつで、よくここまでこの子を育ててくれた。改めて礼を言う。いまさら、俺の口から言えた義理じゃないが、元の鞘に収まってくれないかい?どうだい?オッカア」。後ろめたさはあるけれど、思い切って切り出してやり直しをしたいと熊五郎は決意したのだろう。元女房も「お前さん、ちっとも変わっていない。勝手なことばかり言って。でも、この子が幸せになれるなら、お願いします」。彼女もやり直したいと思っていたのだろう。だが、過去の過ちを許せない気持ちは消えることはない。だからこそ、亀吉を“夫婦の鎹”という言い訳にして、一緒にやり直そうと言ったのだと思う。一度の失敗を省みて、再び新しいスタートをしようとする親子三人に幸多かれと思った。