日本浪曲協会定席 玉川奈々福「猫虎往生2024」、そして怖い噺 五街道雲助「もう半分」

木馬亭の日本浪曲協会八月定席初日に行きました。

「琴櫻」天中軒かおり・沢村博喜/「狸」東家恭太郎・水乃金魚/「猫門の由来」広沢菊春・広沢美舟/「三味線やくざ」鳳舞衣子・伊丹明/中入り/「人情江戸っ子祭り」東家孝太郎・伊丹明/「古代オリンピックの由来」神田紅佳/「猫虎往生2024」玉川奈々福・沢村まみ/「徳川家康 人質から成長まで」天中軒雲月・広沢美舟

かおりさんの「琴櫻」。5月6月と前半部分(佐渡ヶ嶽部屋入門まで)を聴いて、7月に後半部分を掛けたそうだが聴けなかったので、今回初めて聴けて嬉しかった。昭和34年初土俵。猛牛という異名をとるほど稽古熱心だったが、なかなか結果が出ずに、中には“稽古横綱”と陰口を叩かれることもあった…。「稽古に勝る土俵はない」と親方に𠮟咤激励され、昭和38年名古屋場所に新入幕、翌年初場所には小結に昇進。だが、この場所の柏戸との対戦で右足を骨折してしまう。

そんな苦難を乗り越えて、昭和42年九州場所で大関昇進、翌年名古屋場所で初優勝。「カド番続きの大関」と言われていたが、奮起して昭和48年春場所に横綱に昇進。前座の15分高座ゆえに駆け足気味でドラマ性を打ち出すまでには至っていないと感じたが、終演後にご本人にお聞きしたところ、右足骨折を克服するところで、名医との出会いのドラマがあり、そこの部分をカットしているそうだ。いつの日かフルバージョンでかおりさんの「琴櫻」を聴きたいと思った。

舞衣子先生の「三味線やくざ」。長唄の杵屋長二郎の弟子だった仙太郎は、渡世人の父親のために助蔵という男を殺してしまった。そのために兄弟子の長吉から破門を言い渡されてしまう。表向きの理由は「兇状持ちを一門にはおけない」だったが、内実は師匠の娘おみつが仙太郎を慕っていることへの妬みだった…。

名古屋の芝居小屋でおみつが仙太郎と再会し、「酒浸りで芝居に穴を開けてしまう」と長吉の代演を依頼したことに“信頼”が感じられるのが良い。助蔵の兄貴で仇討をしようとしていた兼松が、見事に「勧進帳」の代演をした舞台を観て、「お前の芸に惚れた。この喧嘩、俺の負けだ」と言うところ、素敵である。亡くなった杵屋長二郎の跡を継ぐのは仙太郎しかいないと感じ入ったのだろう。強いばかりが男じゃない、恩と義理に泣いてやるのも男なのだ。

奈々福先生の「猫虎往生2024」。人力俥夫で稼ぎ、女手ひとつで娘を育てている猫山虎子にとって、貧乏ゆえに娘に修学旅行に行かせてやれない悔しさ。でもそれをお涙頂戴の人情噺にするのではなく、ユーモア溢れる展開へ持っていった奈々福先生が素晴らしいと思った。

お得意客の佐藤某に「一升五合ある唐辛子を全部食べたら10万円やる」と冗談で言われたことを本気に取り、必死の思いで唐辛子を口に放りこんだ虎子。口の中に火の玉を投げ込んだも同様で、お腹の中はガソリンに火がついた状態。虎子は言問橋へ駆け出し、隅田川に飛び込んだという図はマンガである。

そして、近所の人々が虎子は死んだと思って通夜をおこなって、試しに虎子の死骸の口に酒を注いだら、ゴクッと飲み込み、舌舐めずりして目が開いた!生き返ったのだ。奇跡である。我が子を思う愛情に閻魔大王がほだされたという…。実に痛快な人情喜劇だと感心した。

雲月先生の「徳川家康」。何度も聴いている演題だが、於大の我が子竹千代を思う母の気持ちに感じ入る。名古屋の熱田の御礼参りにかこつけて、竹千代に別れを告げよう。それが判っている信長は「土産は何だ?」と問い、於大は「母の心、それ一つです」と答え、信長は「確かに貰った。対面を許す」。

信長の温情に感謝した於大は竹千代に「信長様の力になるのですよ」。諭す言葉を震えがち、淋しかろう、辛かろう、抱いてやりたい母心。溢れる涙はとめどなく、できることならこのまま帰りたい。それもできない辛く悲しい母心。

高座の最後、関西バラシを弾く美舟さんの糸に乗って、母親の偉大さあっての徳川家康を思う。地獄にまさる戦乱を平和に導き、家康は生涯をかけて300年続く徳川十五代の天下泰平の礎を築いたのだなあ。

夜は新宿末廣亭八月上席夜の部初日に行きました。今席は落語協会百年特別興行で、夜は「怖い噺」と題して、主任が日替わりでネタ出しする芝居となっている。きょうは五街道雲助師匠で「もう半分」だった。

「幇間腹」柳家さん花/「あくび指南」古今亭菊太楼/漫才 ニックス/「ぼやき酒屋」柳家はん治/「たがや」古今亭菊丸/太神楽 翁家勝丸/「締め込み」柳家さん喬/中入り/「茄子娘」入船亭扇里/粋曲 柳家小菊/「へっつい幽霊」柳家小里ん/「雑俳」春風亭一朝/紙切り 林家楽一/「もう半分」五街道雲助

雲助師匠の「もう半分」。本所の煮売酒屋の常連の爺さんは六十四、五で瘦せこけて色黒、目がギョロリとしている。この爺さんは一杯八文の酒を半分だけ注文し、「もう半分だけください」とお代わりを繰り返すという貧乏臭い癖があるというのがサゲの伏線になる。「半分ずつ飲んだ方が余計飲んだ気がする」のだそうだ。

その爺さんが店に50両の入った包みを置き忘れた。「すぐに追いかけて渡してやろう」と言う亭主に対し、女房の対応がすごい。「ちょいとお待ち。いつかは掘っ立て小屋みたいな店じゃなくて、暖簾があって、若い者を2、3人使うような商いがしたいと言っているじゃないか。これじゃあ、生涯叶うわけない。忘れていった方が悪いんだ。届けてやることないよ」。

案の定、気が付いた爺さんは店に戻ってくる。「包みはなかったでしょうか?」に、「見なかったな」と冷淡に返答する亭主。「大事な金なんです。自身番に届けなくてはいけない。お店にも迷惑をかけます」と爺さんが言うと、「まるでこちらがネコババしているようじゃないか。さては強請りに来たな。お前さんみたいな男が50両を持っている方がおかしい」。

爺さんは事情を話す。昔は深川八幡の青物問屋をやって羽振りが良かったが、酒の性質が悪くて身を持ち崩し、裏長屋住まいの棒手振りに成り下がった。女房は病で床に伏せ、連れ子の二十一になる娘が自ら進んで吉原に身売りして拵えた金だという。娘は「もう飲まないでね」と別れ際に言ったが、「少しくらいいいだろう」とこの店に寄り飲んでしまった。娘に合わせる顔がない。

店の亭主は「そんな大事な金、なぜ身体から離したんだ。忘れた方が悪い。ここでは見なかった」とあくまでも白を切る。爺さんは「あれほど飲まないと約束したのに飲んだ私が悪い…」。そう言って肩を落として帰っていった。亭主は「うまくいった。だが、訴え出られたら困る。あの爺さんをばらした方がいい」。亭主は出刃庖丁を持って、雨の中、爺さんを追い掛ける。

大川端。「爺さん、金はあった…お前の言う金はこのことか?」。そう言って、出刃庖丁を爺さんに向ける。「人殺し!」。ここから三味線がなり、芝居台詞となる。

金をくすねたばかりでなく、この私を殺すというのだな。知れたことだ。金の工面に差し支え、難儀なところへ思いもよらず、耳を揃えた50両。忘れていったのはそっちの誤り。一旦手にしたからは返されぬのは俺の性分。金ばかりじゃ後の妨げ。気の毒ながら命もろとも貰う。今降る雨が末期の雨と思って成仏しやがれ。

50両を手にした煮売酒屋の夫婦は本所の相生町の裏通りに店を構え、大層繁盛した。女房は身籠り、男の子を出産。だが…この赤ん坊はあの爺さんそっくりで、痩せこけ、目がギョロリとし、白髪が生えている。それを見た女房は気を失い、やがて血の道の加減で亡くなってしまった。

野辺の送りを済ませた亭主はその赤ん坊を育てようと、口入屋に乳母を頼むが、来る乳母がことごとく一晩で「お暇を頂きたい」と願い出る。赤ん坊が夜中になると立ち上がり、行燈の油を飲むという…。亭主は隣座敷で控えていて、その様子を窺っていると、赤ん坊が立ち上がって、湯呑に油差しから油を注ぎ、両手で抱えるようにして、その油をさも美味そうに飲むのだ。「爺!化けたか!」と叫ぶと、「もう半分」。

特に大川端で亭主が爺さんを出刃庖丁で殺害する場面、雲助師匠らしい演出でゾクゾクと身震いしそうになった。素晴らしい高座だった。