歌舞伎「裏表太閤記」

七月大歌舞伎夜の部に行きました。「千成瓢薫風聚光 裏表太閤記」三幕十二場である。昭和56年4月に明治座で三世市川猿之助(二世猿翁)主演で初演されて以来、43年ぶりの上演だそうだ。

当時は昼夜通しの公演で、正味7時間18分のお芝居。今回は正味およそ3時間半だから、大幅にカットされているし、補綴が入っているようだ。それゆえなのか判らないが、農民から天下人になった豊臣秀吉の活躍を描いた「表」と、秀吉のライバルになる明智光秀の悲劇という「裏」の表裏一体となって織り成す物語の面白さが僕にはよく伝わってこなかった。

スピード感とショウアップに重点が置かれ、早替りあり、本水を使った大滝の大立ち廻りあり、客席に役者が登場しての立ち廻りもあり、さらに宙乗りもあり…ただ目で見る面白さだけで言えば、エンターテインメントとして成功しているのかもしれない。だが、物足りない気がしたのはストーリー展開で心踊らされることが少なかったからだろう。

面白かったところは二つ。一つは序幕第二場の本能寺の場。織田信長(坂東彦三郎)が明智光秀(尾上松也)に対し、「こいつは草履取り上がりの秀吉の配下に入るのを拒否しているな」と激怒している。だが光秀が恭順の心を示し、出陣の供に加わりたいと願う。すると、信長は馬盥で酒を飲むように命じるが、光秀は恥辱に耐えて飲み干す。だが、信長はさらに現在の所領を取り上げて未だ敵地である出雲と石見を与えると告げるという嫌がらせ…。さすがの光秀も堪忍袋の緒が切れて、謀反の本心を明かし、父の松永弾正から託された白旗を取り出し、信長を討つ。「時今也桔梗旗揚」の名場面を巧みに取り入れた演出だが、光秀役の尾上松也が好演していた。

もう一つは二幕目第一場の備中高松塞の場。城主清水宗治の軍師・鈴木喜多頭重成(松本幸四郎)が敵である羽柴秀吉の水攻めの戦術を見事と讃え、主君宗治の首を討って秀吉に差し出すと母と妻の前でわざと言う。それを陰で聞いていた息子の孫市(市川染五郎)が喜多頭に斬りかかると、喜多頭は「でかした倅」と言って勘当していた孫市を許し、自分の首を討って秀吉の許へ届けるように命じる。もはや味方に勝機はなく、自分の首を手蔓にすれば、秀吉も和睦に応じるだろうと考えた末の決断だったのだ…。この親子を松本幸四郎と市川染五郎という親子が演じていたのが興味深かった。

二幕目第四場の姫路海上の場以降、大詰まではストーリーが奇想天外になっていく。俗に中国大返しと呼ばれる部分、秀吉(松本幸四郎)一行が乗る船が突然の嵐に見舞われたとき、信長との間にできた三法師を抱いたお通(尾上右近)が日本武尊の妃である弟橘姫の故事に倣い自らの命を海神に捧げると言って海中に身を投げる。すると、大綿津見神(松本白鷗)が現れて荒れ狂う海が鎮まるばかりか、秀吉たちが乗る船を大空に飛翔させ、琵琶湖に着岸させる…。荒唐無稽なり。

二幕目第六場の大滝の場は秀吉と光秀が相まみえ、大滝で死闘を繰り広げる。これが本水を使った大立ち廻りで、客席も盛り上がるが、なぜ大滝で闘わなければいけないのか、よくわからない。そして、大詰第一場の天界紫微垣の場はいきなり孫悟空(松本幸四郎)が出てきて、強引に飛黄という名馬を厩から引き出して乗りこなして暴れまくるため、天帝秘蔵の金の瓢箪を与えられ、日の本に遣わすと告げられる。そして、孫悟空は下界へ飛び去るが、そのときに宙乗りという演出がある。実はここの件は、秀吉が天下人となり大坂城でうたた寝をしていたときに見た夢だった…。なんじゃあ、そりゃあ。

そして、最後の大坂城大広間の場はまさにお芝居のための大団円という形。北政所(中村雀右衛門)、淀殿(市川高麗蔵)、徳川家康(市川中車)が秀吉の武運長久を祈念して三番叟を踊り、次には前田勝家(尾上松也)、加藤清正(坂東巳之助)、毛利輝元(尾上右近)、宇喜多秀家(市川染五郎)が出てきて同じく三番叟を舞う。最後は秀吉(松本幸四郎)も踊りに加わるという…。ストーリーとはほとんど関係ないが、所作事として歌舞伎を楽しんだ充実感に溢れた。