熱海五郎一座 スマイルフォーエバー~ちょいワル淑女と愛の魔法~

新橋演舞場で「熱海五郎一座 スマイルフォーエバー~ちょいワル淑女と愛の魔法~」を観ました。熱海五郎一座の新橋演舞場での上演が第10回、また前身となる伊東四朗一座旗揚げから20年記念ということもあり、ゲストに喜劇界を代表する伊東四朗さん、熱海五郎一座には2度目の出演となる松下由樹さんを迎えての特別公演だ。今までにも増して面白かったのは、この二人の力も大きいと思う。

伊東四朗一座が“旗揚げ解散公演”という妙なサブタイトルで本多劇場で「喜劇熱海迷宮事件」を上演したのが、2004年。僕は残念ながらその舞台を拝見していない。だが、この公演が好評だったとあって、翌年に“急遽再結成公演”と銘打って、サンシャイン劇場で「喜劇芸人誕生物語」を上演しており、その舞台を僕は観ている。

だが、伊東四朗さんのお考えもあってか、その後伊東四朗一座はお休み。伊東四朗さんが標榜する「東京喜劇」の灯を消してはいけないと、三宅裕司さんが2006年からその名も「熱海五郎一座」として、公演を継続。2009年と2011年には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演」と題して、伊東四朗さんが舞台に一時的に復帰している。サンシャイン劇場、天王洲銀河劇場、青山劇場、赤坂ACTシアター等、場所は転々としたが、熱海五郎一座は「東京喜劇」の継承を謳って毎年上演され、2014年以降は新橋演舞場での一カ月公演が定着した(2020年のみコロナ禍で休止したが)。

伊東四朗さんは今回の舞台中(6月15日)に87歳の誕生日を迎えられたそうだが、そのかくしゃくたる舞台には目を見張った。身体的に元気というだけでなく、てんぷくトリオの時代からの東京喜劇=軽演劇の精神をずっと貫いている心意気に感服したのである。

僕が小学校高学年の頃、NHKで毎週日曜日の夜7時のニュースが終わった後に「お笑いオンステージ」という番組があって、夢中で見ていた。前半が「てんぷく笑劇場」で、後半が「減点パパ」(後に「減点ファミリー」)という構成。この「てんぷく笑劇場」はまさに東京喜劇であり、三波伸介さん、中村メイコさん、由利徹さん、東八郎さんらと一緒に、伊東四朗さんが活躍していた。伊東さんは途中からレギュラー出演しなくなってしまったけれど、僕にとって伊東四朗=てんぷく笑劇場だった。(てんぷくトリオのもう一人のメンバーである戸塚睦夫さんは番組スタート時点では出演していたようだが、一年足らずで降板し、急逝してしまったため、記憶にない)。

僕の世代では民放の番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」でデンセンマンを演じ、小松政夫さんと一緒に電線音頭を踊っていたベンジャミン伊東の方を記憶している人の方が圧倒的に多いと思う。祖父母と同居していた僕の家庭はチャンネル権が祖父にあり、大概はNHKの番組が流れていたので、同級生の話題についていけなかったのは苦い思い出だが、その分「てんぷく笑劇場」の記憶が強烈に残っているのだろう。僕の東京喜劇初体験とも言えるのが感慨深い。

松下由樹さん。今でこそコメディエンヌの印象が強いが、トレンディドラマと自分の青春が同時並行だった僕らの世代にとっては、憧れの女優さんだ。きょうのカーテンコールで伊東四朗さんがちょっと触れていたが、お二人は「想い出にかわるまで」というドラマで共演している。内館牧子脚本。僕が社会人2年生か3年生のときの放送である。今井美樹さんと石田純一さんが恋人同士なんだけど、今井さんの妹役の松下由樹さんが石田さんを奪ってしまうという略奪愛劇…。その今井・松下の父親役が伊東四朗さんだったのだ。

ついでに言うと、僕が初めて松下由樹さんを知ったのは、NHKの歌番組だった。歌手として出演していたのではなく、ダンサーとして出演して個性的なダンスを披露していた。人気番組だった「レッツゴーヤング」が終了して、その後番組として2年くらい放送された「ヤングスタジオ101」。司会が天宮良と小倉久寛。そのときの松下さんが滅茶苦茶にスレンダーで、スタイルが良く、カッコ良かったのを覚えている。日曜夜6時の枠は、その後「経済マガジン」に取って替わられ、NHKの若者向け音楽番組は編成上、流浪の旅に出ることになる。

熱海五郎一座での伊東四朗さんと松下由樹さんの好演を見て、僕の青春時代の記憶が蘇ってきた…、って変な感想になってしまった。