三遊亭萬橘独演会「らくだ」、そして柳亭信楽 化ける会「ガマ仙人」

三遊亭萬橘独演会に行きました。「千両みかん」と「らくだ」の二席。開口一番は三遊亭愛二郎さんで「新聞記事」だった。

「らくだ」。屑屋が丁の目の半次に命じられて、月番、大家、漬物屋を廻るところ。「馬五郎をらくだと呼ぶくらいだ、この長屋に出入りして長いんだろう」と言われ、らくだが無理やり表札を屑屋に売りつけ、その金で河豚を買って食べて死んだのだから、「お前が半分殺したようなものだ」という半次の屁理屈に抵抗できないのが可哀想になる。それでも、屑屋が丁の目の半次のことを「チョウザメのパンジー」と呼んで、長屋の衆に言って廻るのが、噺をどこか愛くるしいカラーで塗って、悲惨さを薄めようとしている萬橘演出が見事だ。

大家に対し、酒や煮しめや握り飯を持ってくるようにお願いし、案の定、断られると「死人にカンカンノウを踊らせる」という殺し文句。大家は「面白い。婆さんと退屈しているところだ。どれだけ上手く踊れるか採点してやる。一緒に手を取って踊ってやる」と強気に出たが、実際にらくだの死骸が運ばれてきて、半次が屑屋の唄うカンカンノウに乗せて死骸を操るのを見ると、慌てて降参するところ、迫力があった。

でもやっぱり、一番の見所は屑屋が三杯目の酒を注がれて飲んで、豹変した後だろう。それまでは「清めの酒だ。口をこじ開けてでも飲ませる」とか、「せわしない飲み方だな。もう一杯いけ。優しく言っているうちに飲んだ方が身のためだ」と脅されていた屑屋だが、三杯目を飲みながらしみじみと語るところから状況が変わってくる。「本当に良い酒ですね。大家さん、よっぽどカンカンノウが怖かったんだ」「あなたは偉い。兄弟分と言っても、血は繋がっていないのに、これだけ人の面倒を見るなんて出来ない。金があってやるのは当たり前だけど、一文無しでこれだけできるんだもの」。

「今はしがない屑屋ですがね。元はちゃんとした古道具屋の親父だったんだ。酒でしくじった。飲まない奴は飲む奴が嫌いなんだ。でも、飲む奴は飲まない奴がもっと嫌い。人間なんて猿と地続き…皆同じ」。そして、「もう一杯!」と要求する。半次が「大丈夫か?」と心配すると、「見てわかりませんか?」と凄む。半次が「もう空になったんだ」と言うと、「背中にもっと良い酒を隠しているのはわかっているんだ!…酒飲みを舐めるんじゃねえ!」。

「死にゃあ仏?どこが?人間は働いて初めて生きている。こいつ(らくだ)は働いたことがないんだ。カンカンノウで初めて稼いだ。死んでから生きたようなものだ」。揃いの丼を引き取れと言われたら、長寿庵の名入れで、天ぷらそば五人前の代金まで払わせられたこと。“左甚五郎が彫った蛙”を一両で買ったら、手の上でピョン!と跳ねて、小便を引っ掛けられたこと。代金を払うのを拒否したら、柱に頭を何度も打ち付けられて額が血だらけになったこと。「そのとき、殺ってやろうと思った…でも出来ないんだ。家に帰ると年老いた母親や3人の子供がいるから…舐めるんじゃねえよ!」。

半次に対し、「注げ!優しく言っているうちに注げ!俺は泣く子も黙る麒麟の久さんだ!」。さらに半次の懐にある香典の束を出せと要求する。「これがあれば、これから働きに出なくてもいい。俺がカンカンノウで稼いだ金だ。お前は何もしていない…お前、飲んでないな?」「俺、あんまり飲めないんだ」「俺が飲めるようにしてやる!」「勘弁してくれ、兄貴」。すっかり立場が逆転したところに、大家が握り飯を運んで来て、「屑屋か?らくだが生き返ったのかと思った」。

萬橘落語の底力を見た、素晴らしい高座だった。

夜は内幸町に移動して、「信楽 化ける会~柳亭信楽独演会」に行きました。「出生の秘密」「ガマ仙人」「三方一両損」の三席。ゲストは古今亭文菊師匠で「あくび指南」、開口一番は桂枝平さんで「猫と金魚」だった。

「ガマ仙人」、3月に信楽村で聴いて以来2回目だが、やっぱり面白い!発想のユニークさが尋常じゃない。温泉地に行って、そこのご当地落語を作るという企画で創作されたそうだが、あえて有名な観光名物ではなく、その土地に住む人も知らないモノに目を付けているスタンスが素晴らしいと思う。ある寺にある掛け軸で、そこに描かれているのは「鉄拐仙人ともう一人の仙人」、寺の住職もその“もう一人”が判らず、なぜか肩にガマカエルを載せているのだが、その理由も判らず…というところを面白がって妄想を膨らましているところが信楽さんの凄いところだ。

そのもう一人の仙人、ガマ仙人は「友達が出来ず、友達が欲しくて、何か目立つことをすれば、友達ができるのではないか」と考え、肩にガマを載せることにしたという動機がまず面白い。そのガマは背中を強く押すと口から臭い液を出すという…見た目だけでも気持ち悪いのに、何なんだ、その設定は!(笑)。しかも仙人とガマ同士にしか判らないゲロゲロというような奇声でコミュニケーションを図っている。これも気持ち悪い!

だけど、ガマ仙人は友達が欲しい!という強い衝動に駆られ、トモくんの助言で、一緒に絵に描かれている鉄拐仙人と友達になろうとする。ちなみに、中国三千年の歴史において、なぜこの鉄拐仙人とガマ仙人が二人で絵に収まっているのか?…それは「偶々、写り込んじゃった」。おいおい、写真じゃないんだから!それでずっと気まずい思いをしているのだという…。

ガマ仙人が思い切って、肩の上のガマを「友情の証」だと言って鉄拐仙人に渡すと、案の定「気持ち悪い」と断られてしまった。可哀想なガマ仙人を何とかしてあげたいと僕は思うのだった。