文吾・いちか二人会 橘家文吾「五貫裁き」
橘家文吾・田辺いちか二人会に行きました。文吾さんが「占い屋」と「五貫裁き」、いちかさんが「細川茶碗屋敷」と「キリストの墓」だった。
いちかさんの「キリストの墓」は宝井琴星先生の作品。昭和10年に青森県戸来(へらい)村に茨城県の宗教家・竹之内清麻呂が訪れ、「この地にイエス・キリストが渡来したことがある」と言って、その証拠になるものはないかと村長に訊ねた。村にある二つの塚を見つけ、これはキリストと弟のイスキリの墓に違いないと断じる。
キリストは戸来村で天寿を全うしたという説明を聞き、村長と助役はそれを信じるとか信じないとかは関係なく、「これを機会に“キリストの里”として村おこしをしよう」と思い付く。塚を長年守っていた沢口家の家紋はユダヤの象徴である六芒星、この地では赤ん坊が生まれるとおでこに十の字を刻す風習がある、この地の盆踊りナニャドヤラはユダヤの神歌に似ている…等々、キリストと関わりが深いというまことしやかな事実が掘り出され、村に活気が出てきた。
しかし、第二次世界大戦によってこれらのことは忘れ去られていたが、昭和40年代のオカルトブームで再びブレイク、平成8年にはキリストの里伝承館が建設され、今でもこの地では毎年8月にキリスト祭りが行われるという…。何とも不思議な読み物だった。
文吾さんの「五貫裁き」。八五郎が堅気になって八百屋を始めようとするのに、しみったれの徳力屋萬右衛門は「祖父さんの代に恩義がある」にも拘わらず、奉加帳に一文しか出さないばかりか、煙管で八五郎の額を叩いた…。
このことを聞いた大家は八五郎に大岡様のいる南町奉行にかっこみ願いを出させ、「面白くなってきたぞぉ」という、その真意が時間が経つにつれて八五郎にも判ってくるのが愉しい。
一文を投げつけた咎で、八五郎は五貫文の課料を言いつけられるが、“日掛け一文”を認められ、その一文は徳力屋の手を介して奉行所に納められることに。これが大岡様の知恵で、徳力屋は苦しめられることになる…。
「お奉行所に納める大事な一文、心に掛ければこそ」を殺し文句に、夜が明ける前から八五郎は徳力屋に一文を持っていき、受け取りを貰う。しかも「町役五人組付き添えの上、萬右衛門本人が奉行に行くこと」という条件が徳力屋の首をじわじわと絞める。挙句に「奉行もヘチマもあるか!」と怒鳴ってしまう徳力屋番頭の失態。
計算すると、13年半も毎日、一文を納めるために、町役五人組に出す日当と受け取りを出す半紙代は馬鹿にならない。その上に安心して眠れない。とうとう徳力屋は“安らかな眠り”を求めて、八五郎と大家に10両で示談を申し込む。わざとそれを拒む大家に、番頭が「じゃあ、いくらほしいんだい!?」とキレたときの大家の啖呵が良い。
冗談じゃない!祖父さんの代に恩義があり、堅気になろうという八五郎を見て、なんで助けてあげようと思わない?それを金持ち根性というんだ。お前たちのやることは仁義に背いているんだ。金というのは使って初めて値打ちが出るんだ。仁義や人情は金では買えないんだ!
胸のすく啖呵で気持ちがスーッとした高座だった。