歌舞伎「極付幡随長兵衛」
團菊祭五月大歌舞伎昼の部に行きました。「鴛鴦襖恋睦」「毛抜」「極付幡随長兵衛」の三演目。
「極付幡随長兵衛」。尾上菊之助演じる水野十郎左衛門率いる旗本奴(白柄組)と市川團十郎演じる幡随院長兵衛率いる町奴の対立を鮮やかに描く。序幕の村山座の舞台の場における喧嘩沙汰は、この二つが日常的に何かにつけて反発し合っているのだろうということを思わせる。客席から登場する長兵衛が騒ぎを納めたかと思えば、桟敷席で芝居見物をしていた水野十郎左衛門が呼び止め、「きょうの遺恨は覚えておけ」と言う。長兵衛の子分たちが駆けつけ、俄かに殺気立つ様子、それが二幕目への助走となる。
そして二幕目の花川戸長兵衛内の場は一番の見所だろう。三社祭の祭礼気分に浮き立っている中、水野家からの使者が訪れ、長兵衛がその用向きを尋ねると、酒宴への招待だという。これを承諾する長兵衛だが、ある覚悟をしている。自分たち町奴との間に積もった今までの遺恨を晴らすための口実だということを悟ったのだ。
自分が水野邸に赴けば、無事に戻れるはずがない。万が一、彼らの手に掛かって命を落とすことになれば、町奴と白柄組との関係は益々険悪になること必定だ。それを思うと、女房のお時や息子の長松を残して水野邸に行くことは嘆かわしい。そのことはお時も判っていて、自らの心を押し殺して、長兵衛の身支度を整える心持ちはいかばかりか。
弟分の闘犬権兵衛が自分が代わりに水野の屋敷に行くと申し出ると、他の子分たちも口々に自分も水野の屋敷に行くと騒ぎ始める。可愛い息子の長松まで、それに加わると言い出すあたり、胸に迫るものがある。そんな一同を宥めた長兵衛が、長松には堅気の商売に就かせてほしいと、お時に言い残すのも長兵衛の決死の覚悟が伝わってくる。
その後に水野の迎えの使者が来たとき、長兵衛は権兵衛に「日暮れの四つまでに早桶を持って迎えに来い」と言う台詞。お時、長松、そして子分たちへの今生の別れのサインが物悲しい。
三幕目の水野邸湯殿の場。腰元たちに案内されて湯殿にやって来た長兵衛は、もはや死を覚悟しているのだろう。案の定、隙を狙って水野の家臣たちが打ち掛かるが、長兵衛の相手ではない。そこに十郎左衛門が大身の槍を持って現れたとき、長兵衛は改めて「十郎左衛門が俺の命を奪って、これまでの遺恨を晴らそうとしている」ことを確認する。すでに覚悟は出来ている。そして、十郎左衛門の繰り出す槍に貫かれ、長兵衛は非業の最期を遂げる。
水野十郎左衛門率いる旗本奴集団の白柄組を憎々しく描き、町奴である幡随院長兵衛を悲しきヒーローに仕立てているのは、歌舞伎が江戸庶民の娯楽ゆえであろう。侠客、男伊達の美学がそこにある。