神田織音独演会「百千鳥」、そして柳家権太楼「試し酒」
神田織音独演会に行きました。お題は「人は見かけによりませぬ」。「鼓ヶ滝」と「百千鳥」の二席、開口一番は神田ようかんさんで「違袖の音吉」だった。
「百千鳥」。とても素敵な読み物だ。浅草西鳥越の三味線職人、新八は日本一の腕があると称されるほどだったが、女房を病で失ってからは酒浸りとなり、10人余りいた内弟子は皆、去っていった。残ったのは一人娘のお袖。お袖は生まれながら知的障害があったが、新八は「お前は決して馬鹿じゃない」と言って、一人になっても生きていけるように三味線職人の技を仕込んだのが素晴らしい。
ある日、加賀前田家の家来の中村平馬が訪れ、奥方の三味線を新調したいという依頼をする。聞けば、初春弾き初め会で使うために三味線職人10人に注文をして、その中で一番優れた三味線を使い、前田家の名器として後世に伝えるという。長唄の杵屋六翁の推薦で新八の名前が挙がり、お願いに来たとのこと。11月を期限に作ってくれと、小判10枚を手付に置いていった。
新八にとっても千載一遇のチャンスである。水垢離をして、一カ月の間、精魂こめて三味線作りに打ち込み、自分でも惚れ惚れするような出来栄えの三味線が出来た。「これが本物の三味線だよ」とお袖にも言って、当選は間違いないだろうと思っていた。
新八は前田家に出頭し、三味線はお買い上げとなり、小判10枚が渡された。だが、奥方が使う三味線には選ばれなかったと聞く。誰の作が選ばれたのか?と訊くと、芝門前の甚三郎だという。新八の元弟子である。選ばれた三味線は「涛声(なみのこえ)」と名付けられた。
新八は失望する。あんなに腕を奮ったのに、なぜ?世間では「10年もの間、ろくな仕事をしていない新八は腕が落ちた」と囁かれた。「お袖、俺もお終いだ。おかしい。あんな良い出来だったのに。甚三郎の三味線が見たい。あいつは器用だが、名人の性質じゃなかった」。酒どころか、食事も喉を通らなくなり、床に就いてしまう。「負けるはずがない…」、そんな思いを残して、新八はあの世へ旅立ってしまった。
お袖を不憫に思った長屋の衆は奉公に出ることを勧めるが、お袖は拒否し、「おこもさんになる」と言う。昼間はおこもさんをやって、施しを受け、家に帰ると三味線作りに励んだ。周囲には「のろまなお袖にどんな三味線ができるのか」と罵詈雑言を浴びせる者もいた。お袖は日に一度の墓参りも欠かさず、生前の新八の教えに従った。
一方、前田家では名器「涛声」と対になる三味線を一挺、作らせようということになった。選定方は杵屋六翁、注文担当は中村平馬に任された。ある日、杵屋六翁の家に子どもの乞食が訪ねる。「物貰いではありません。師匠に見せたいものがあるのです」。六翁が応対すると、「西鳥越の新八の娘の袖です」。六翁は「新八さんは名人だった。亡くなられて残念だ。あの選定では、甚三郎の作と寸分違わない見かけだったが、撥を当てると格段の差があった」と振り返る。
すると、お袖は言う。父は俺の仇を討つ気になって三味線を拵えろと言いました。甚三郎に負けて悔しいと。仕事を止めるな、良いものを拵えろ。格好良いものなど作らなくていい。判らないことがあれば、墓に訊きに来い。父の三味線には胴の内側に三筋の小刀の傷を付け、それを隠し銘としていました。
そして、お袖は自分が作った三味線を六翁に見せる。見た目はみすぼらしい三味線である。驚いた。「こりゃあ、三味線かい?」。お袖が「弾いてみてください。鳴りますよ」と言うので、一撥当てる。さらに驚いた。「何という音色だ!新八さんが拵えても出来ない。新八さんの魂が宿っている!」。六翁は初春の弾き初め会で自分がこの三味線を弾くことに決める。「新八さんの無念を晴らしてやりたい。この三味線は涛声と対になる」。お袖は泣き伏した。
そして迎えた弾き初め会。選定の対象になっている10挺の三味線に、六翁が持ってきたお袖の作った三味線、計11挺が「宵の明星」を弾く。一同が聴き惚れる中、ひときわ優れた音色、華やかで艶がある音を奏でる三味線が一挺。それが、六翁の弾くお袖の三味線だった。
六翁は殿様に新八とお袖の父娘の身の上を話して聞かせる。実に哀れな物語だ、亡き父の魂が孝女を生んだ、これぞ本当の名器だ、後世に伝えようと殿様は言う。六翁も「新八が草葉の陰で喜んでいることでしょう」。
最後に奥方がお袖の作った三味線、六翁が「涛声」と名付けられた三味線で、老松を弾き、殿様が舞う。弾き納めに一座からはため息が漏れる。その演奏途中で六翁が「涛声」の皮を刀で破ってしまう。胴の内側から三筋の小刀の傷が現われる。そうなのだ、「涛声」は甚三郎の作ではなく、新八の作だったのだ!
甚三郎が中村平馬に賄賂を渡し、新八の作った三味線と自分の作った三味線を入れ替えていたのだ。甚三郎には重き処罰が下され、中村も国外追放となった。そして、お袖の作った三味線は「百千鳥」と名付けられ、父の新八の「涛声」とともに後世に伝わる名器となったという…。素晴らしい読み物に感動した。
夜は上野鈴本演芸場五月上席千秋楽夜の部に行きました。柳家権太楼師匠が主任の特別興行「権太楼噺爆笑十夜」もきょうがラスト。「試し酒」を楽しんだ。
「狸札」入船亭辰むめ/「反対俥」柳家福多楼/太神楽 翁家社中/「道具屋」春風亭百栄/「悋気の火の玉」柳家小満ん/漫才 風藤松原/「商売根問」五街道雲助/「首ったけ」柳家喬太郎/中入り/ものまね 江戸家猫八/「紙入れ」三遊亭わん丈/「堀の内」春風亭一之輔/紙切り 林家二楽/「試し酒」柳家権太楼
権太楼師匠の「試し酒」。大酒飲みの久蔵は余りに酒が強いので、これまで自分が何合、何升飲んだのかを考えて飲む習慣がなかったという豪快さが肝の噺。サゲで判ることだが、「本当に5升飲めるか?」と旦那同士が賭けをしていたのに、結局は都合10升飲んだことになるのが、いかにも落語で愉しい。
一升入りの大盃の一杯目。ものすごい勢いで一気に飲み干す。「一息じゃないといけないのかと思った」とキョトンとしている久蔵。味わっていない、勿体ないことをしたと言うのが可笑しい。
二杯目。味わおうとしても、酒の方からグイグイと入ってきてしまうと言いながら、ご機嫌な久蔵のお喋りはこの噺の最大の聴きどころだろう。こんな良い酒は初めてだ。これを毎日やっているの?贅沢だなあ。旦那、これからはウチもこの酒にするべ。
酒は誰が拵えたか知っているか?唐土の儀狄だ。時の帝に献上したら、これは身を滅ぼす、ひいては国を滅ぼすと言って、小言を食らったそうだ。こんな間尺に合わない話はない。たんとは駄目だが、おらのように少しだけ飲めばいいんだ。なかなかの物知りだ。
三杯目。旦那に「世の中で一番好きなものは、やっぱり酒か?」と訊かれ、「金だ」と答える久蔵。「それで田地田畑でも買うのか?」「貯めた金、そっくり飲んじまう」。おらがの国は丹波だ。大江山の酒吞童子を知っているか?おらの親戚だ…嘘だよ!冗談も愛嬌がある久蔵だ。
都々逸もいける。酒を飲む人、花なら蕾、きょうも咲け咲け、あすも酒。あだな立膝、鬢かきあげて、忘れしゃんすな、今のこと。何だか、わかんねえ!相撲に負けても下駄さえ履けば、カッタカッタの音がする。くだらねえ!酒は米の水、水戸様は丸に水、意見するやつは向こう見ず!
上機嫌でグイグイと豪快に大杯を空けていく久蔵のペース。それに巻き込まれていく旦那の二人。もう、5升飲めるか、飲めないかの賭け事なんか、どうでもよくなってしまうほど、久蔵の豪放磊落な独演会に聴き手である観客も含め、酔いしれる高座だった。