林家つる子真打昇進披露興行大初日「紺屋高尾」

上野鈴本演芸場の林家つる子真打昇進披露興行大初日に行きました。落語協会では12年ぶりとなる抜擢で真打に昇進した林家つる子師匠と三遊亭わん丈師匠の披露興行がスタートした。きょうは主任をつる子師匠が勤め、「紺屋高尾」を熱演した。

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口上は下手から、三三、菊之丞、天どん、わん丈、つる子、正蔵、市馬、馬風。大初日のため、つる子師匠とわん丈師匠の二人が並んだ。司会は三三師匠、「決して新婚夫婦ではありません…お似合いだねと言ったら、揃って怒るんです」。抜擢は“やる気”“実力”“芸人としての華”の三拍子が揃っているからこそ、実現できたと。その花が大輪になりますようにと餞の言葉を贈った。

菊之丞師匠は「二人に共通しているのは二刀流ということ」。つる子師匠は古典落語を女性目線で描いていて、私が従来の「妾馬」を演じた後につる子師匠がお鶴の方から描いた「妾馬」を演じ、これが素晴らしかったと。わん丈師匠も新作は勿論面白いが、三遊亭の奔流の落語をしっかり演じる力があるのが凄いと賞賛した。

馬風師匠は「落語協会発足百周年の年に初っ端からおめでたい真打の披露目」と喜び、“売れ残りのお雛様”みたいと言いながらも、二人に華があることを認めていた。先輩を追い越しての真打だが、それに甘んじることなく、勉強してほしいと激励した。そして、「隅から隅までズズズイーッと…御願い奉ります」と言って、恒例の馬風ドミノが綺麗に決まり、お客様大喜びだ。

市馬師匠は「スターを生むというのは、やろうと思って出来ることではない」。二人は前座の頃から光を放っていた、抜擢というプレッシャーを感じているようだが、こうやってお客様が大勢駆け付けくれるのは二人にとってこんな心強いことはないと。馬風最高顧問は芸歴67年、無事これ名馬の鑑のような人だが、馬風師匠のように息長く、お客様に可愛がってもらえるように精進してほしいと願った。

天どん師匠は「本来は(亡くなった前の師匠の)円丈がここにいるべきで、(わん丈は)円丈の作品です」。口上前に、わん丈に何を言ってほしいか?と訊いたら、「可愛くてしょうがない」と言ってくれと言われた。私は生まれ変わったら、わん丈になりたいと(笑)。兎に角、元気すぎるほど明るいので、どうぞ応援してやってくださいと締めた。

正蔵師匠はつる子師匠の入門志願のときのエピソードを話す。「中央大学の落研だった女の子が落語家になりたいと言っているから会ってやってくれ」とさん喬師匠に言われ、池袋演芸場の上の喫茶店で面談した。リクルートスーツに身を包んで、初々しくて、おしとやかで、無口で、つつましやか、飲むコーヒーのカップをカタカタと震わせながら緊張していた女の子が、まさかこんなあつかましい落語家になるとは!何ですか、あの「反対俥」は!(爆笑)。繊細さと大胆さ、器用と不器用を併せ持った弟子で、その振り幅が魅力にもなっていると思うと。私も何人かの先輩を追い越して真打になった。そのときに、志ん朝師匠に言われたのは「世の中には運と流れがある。運は掴め。流れには乗れ」。この言葉をつる子に贈りたい、最高の餞だった。

つる子師匠の「紺屋高尾」、素晴らしかった。花魁道中の高尾太夫を見ていたら、高尾太夫が久蔵の方を見てニコッと笑いかけてくれた。そのときの様子をお囃子も入れて、回想シーンとして描く演出がとても良い。

そのとき、思わず倒れ込んでしまった久蔵は三日三晩、眠れない、食べられない、仕事が手に付かない、恋煩いになってしまった。二十五歳の青年の実直で、誠実な人柄の描き方が素敵だ。そして、「3年働いて、15両貯めれば高尾に会える」という親方の言葉を信じて、働きづめに働いた。その“3年”という年月を、つる子師匠はコロナ禍になぞらえ、「長いようでもあるが、アッという間でもある」と表現したのは秀逸だ。その血と汗と涙の15両を「一晩、高尾を買う」ことに費やすという久蔵に対し、親方は「馬鹿じゃないか」と言った。それに対して、久蔵は「馬鹿じゃない!」と答えた。この純朴ほど尊いものはない。

薮井竹庵先生の入れ知恵で、「上州のお大尽」と偽るから、職人言葉ではばれてしまうので、何でも「アイ、アイ」と答えていれば良いというところ。何度か「アイ、アイ」を久蔵が稽古した後、「お客様もよろしかったら、ご一緒に!」と言って、客席に「アイ、アイ」と声を揃えて言ってもらう演出。しんみりしがちな人情噺に笑いの要素を取り込み、観客との一体感を高めようとする意図もとても良いと思った。

そして何よりも素晴らしかったのは、久蔵が高尾と一夜を過ごした翌朝、「次はいつ来てくんなますか?」という高尾の問いに対する久蔵の誠実だ。

3年経ったら、また来ます。お金を貯めて、また来ます。私はお大尽じゃないんです。紺屋の職人です。嘘をついていてすみませんでした。でも、嘘をつかなかったら、あなたに会うことはできなかった。3年前に花魁道中を見て、心を奪われました。一生懸命、お金を貯めて会うことができました。嘘をついたまま別れるのが嫌でした。必ず、また3年お金を貯めて会いにきます。そのときは、紺屋の職人の久蔵として会ってください。もしかしたら、お大名に身請けされて、いなくなっているかもしれない。それでも、外の世界で私を見かけたら、「久さん、元気かい?」とニコッと笑いかけてください。3年間ずっと会いたいと思い続けてきたことは本当です。

これに対し、高尾の心は揺さぶられた。あなたは嘘つきじゃないから。謝らないでいい。あなたは本当のことを言ってくれた。だから、私も本当の言葉で話します。嘘はつき通したら、嘘になる。でも、あなたはそうじゃなかった。紺屋の職人の手の色をしていますね。私の手は真っ白だけど、これが本当の私の色じゃない。吉原は嘘で出来ている。嘘つきなのは私です。

高尾が心を開いた。久蔵が言う。「あなたが綺麗なのは本当ではないですか。ほかは嘘でも構わない。私があなたに惚れたことは本当なんですから」。純愛である。久蔵の誠実によって、男を騙すのが商売の花魁が「本当のこと」をさらけだし、「来年3月15日、年季が明けたら女房になる」ことを約束させた。そして、紺屋の職人のおかみさんとして、“真っ白な手”が青く染まることを誇りに思うという…。見栄を張らずに、正直に生きることの大切さを教えてくれたような気がした。