スーパー歌舞伎 ヤマトタケル
三代猿之助四十八撰の内「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」を観ました。
初演は昭和61年、僕が大学3年生のときである。その頃の僕は歌舞伎とは全く縁がなく、勿論その舞台を観てはいないが、落語という古典芸能を楽しんでいた当時の自分がなぜもっと興味の幅を広げていなかったのか、悔やまれてならない。歌舞伎界の革命児、当時の三代目猿之助(後の二世猿翁)が創造したスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」は、“時代を切り拓いた舞台”として、その出現に多くの人々が衝撃を受け、心を躍らせたという。
懇意にしていた哲学者の梅原猛氏に脚本を依頼したというのが画期的だ。古代日本の英雄、ヤマトタケルの波乱の半生を描いたこの作品は、梅原氏が書き上げたとき、「電話帳ほどの厚さ」のある台本だったいう。これを受けた三代目猿之助は「これをそのまま演ると10時間はかかる。半分以上、カットした」そうで、初演は休憩時間を含まない正味で4時間12分。その後、再演を重ねていく中でシェイプアップされ、正味3時間30分程度となった。
それまでの古典歌舞伎は大概が人情、忠義、男女の愛憎が描かれていたが、そこに「哲学」が取り入れられた。人はいかに生きるべきか、人間の存在とは何なのか、国とは何か、という根源的な問いを投げかけた点が新しかったという。だが、それは小難しいものではなく、エンターテインメントとして観客が大いに楽しめる歌舞伎になっているところがすごい。三代目猿之助が大切にしたのは3S。ストーリー、スピード、スペクタクルである。宙乗りなどに代表される、いわゆる“ケレン”の演出をふんだんに取り込んで、現代人の心を掴んで離さないのがすごい。
また、主人公のヤマトタケルが三代目猿之助(二代猿翁)の生き様とオーバーラップしているところも興味深い。劇中のヤマトタケルの台詞、「私は幼い頃から普通の人々が追わぬものを必死に追いかけたような気がする。天翔ける心、それが私の心だ」。困難を乗り越え、新しい歌舞伎を作り出そうとする生き様だ。
昭和38年、三代目猿之助を襲名した年に、祖父の初代猿翁、父の三代目段四郎が相次いで亡くなり、23歳にして後ろ盾を失い、歌舞伎界の孤児となった。通常であれば有力な先輩俳優の一門に加わるのだが、猿之助は“寄らば大樹の陰”の生き方をよしとせず、独立独歩の道を歩む。逆にそのことがエネルギー源になり、自由な活動を可能にしたとプログラムの中で亀岡典子さんが書いている。
「ヤマトタケル」は三代目猿之助が平成10年に主演した後、平成17年、平成20年と市川右近(現・右團次)と市川段治郎(現・喜多村緑郎)のダブルキャストで演じられ、平成24年の四代目猿之助襲名披露で四代目が主演、それから12年後に三代目猿之助の孫にあたる市川團子がヤマトタケルを若干20歳で見事に演じた。
二代猿翁の「天翔ける心」のスピリッツが次世代、次々世代へと引き継がれていることを大変嬉しく思った。