舞台「中村仲蔵―歌舞伎王国 下剋上異聞―」、そして春風亭いっ休二ツ目昇進記念落語会

舞台「中村仲蔵―歌舞伎王国 下剋上異聞―」を観ました。

初代中村仲蔵については落語、講談、浪曲で聴いたことは判っていたが、今回の藤原竜也さん主演の舞台を観ることで、色々なことを知った。孤児だった仲蔵を引き取った養母お俊が幼い頃から踊りをスパルタ教育したことで、大変な舞踊の名手でもあったこと。伝九郎の弟子となるが、病を得た親の介護のために一旦は役者をやめたこと。それでも芝居を諦めきれず、再び戻ってきたこと。

さらに驚くのは、稲荷町と呼ばれる大部屋役者から再スタートした仲蔵だが、四代目團十郎に目をかけてもらったことが仇となり、苛烈な“楽屋なぶり”の餌食となり、絶望して大川に身を投げたということだ。幸い、酒井新左衛門という旗本の四男坊に助けられ、命は取り留めたのだが。

そこからは一度死んで生まれ変わったということなのだろう、もはや何の迷いもなくただひたすらに芝居の道に突き進み、たった5年という脅威の数字で名題役者の仲間入りを果たす。奇跡の大出世だ。その上で、落語や講談になった「弁当幕における斧定九郎の創意工夫」を成し遂げ、中村仲蔵は血筋によらない唯一無二の名人として名を馳せたのだ。

脚本の源孝志さんはプログラムにこう書いている。

私が中村仲蔵という役者に凄みを感じるのは、市川團十郎家や松本幸四郎家、尾上菊五郎家という名門の血で継承されている大きな流れ(歌舞伎界の保守本流と言ってもいい)の中に、巍然と屹立する独立峰であることだ。こんな役者は歌舞伎四百年の歴史の中で他にはいない。独立峰でありながら後世に多大な影響も与えている事も凄い。最盛期のスーパースター三人の芝居にも、仲蔵の刻印が見て取れる。以上、抜粋。

ここに書かれている三人のスーパースターとは、文化文政に活躍した五代目松本幸四郎、三代目尾上菊五郎、七代目市川團十郎である。幸四郎は仲蔵の薫陶を受け、斬新な工藤祐経や大伴黒主などの演技に影響された。菊五郎は女形から実悪、色悪、所作事まで全て高いレベルでこなした仲蔵に憧れた。そして團十郎が一世を風靡した「四谷怪談」の伊右衛門役は間違いなく仲蔵が生み出した斧定九郎が原点だと指摘している。

この舞台を観たことで、話芸でしか知らなかった中村仲蔵の凄さにもっともっと触れることができた。そんな芝居であった。

夜は「春風亭いっ休二ツ目昇進記念落語会」に行きました。

「秘伝書」桂枝平/「真実」三遊亭ごはんつぶ/「百歳万歳」春風亭いっ休/「短命」春風亭一之輔/中入り/口上 いっ休・一之輔・かしめ・ごはんつぶ/「時そば」&ショルダーキーボード 立川かしめ/「蛙茶番」春風亭いっ休

一之輔師匠の優しい心温まる口上が良かった。いっ休さんが入門志願したとき、“シャレオツ”な角ばった眼鏡をかけていたので、「丸眼鏡にしなさい」と助言したら、“髭のない東条英機”になったと嬉しそうに語る。頭がツルツルなので、確かに今の丸眼鏡の方が柔らかい印象になりますよね。亡くなった志ん橋師匠が「アンちゃん、俺と一緒だね」と笑っていたという。

京都大学出身だけど、「不器用な人間」で、「融通が利かない」ところがあるが、それがまた「可愛げ」に繋がっているともおっしゃっていた。落語に関しても、「技術はまだまだ」だけど「センスが良い」と褒めていた。兎に角、「人に迷惑をかけない範囲で、ご機嫌に前に進んでくれれば」と優しい言葉が印象的だった。

いっ休さんの新作落語「百歳万歳」。100歳になるおじいちゃんが、医者から「余命1年」と告げられて、すっかり終活も済ませ、生前葬までして、「何もない穏やかな日々が幸せ」と言っていたのに、その後も長生きして200歳まで生きちゃうという…。そのとき玄孫だったタッ君が105歳になっていて、「生前葬の他の参列者は皆死んじゃったね」。

「何もないことが幸せ」というのにも飽きちゃって、「パティシエになりたい」と修業を始めたおじいちゃん。益々元気になり、300歳まで生きて、タッ君は205歳、開店したケーキ屋は創業90年という…。超高齢化社会のデフォルメ…もう一捻りほしいところだ。

「蛙茶番」は15日のらくごカフェの「三三と若手」のときにも聴いたが、実に落ち着いていて面白い。定吉が「ミーちゃんが半ちゃんの鯔背な舞台番を見たいって!」と持ち上げ、それに浮かれて損な役回りを引き受ける半公の跳ねっ返りぶりが愉しい。「見せるモノを見せて、オチを取る…町内広しと言えども、これだけのものを持っている奴はいないだろう!」と、自慢の縮緬の褌を締める趣向なのに、湯屋で慌てて締め忘れ、「イチモツ」を目の当たりにした鳶頭のお嬢ちゃんが引き付けを起こしちゃう。“八丁荒らし”と渾名される半ちゃんの「イチモツ」を想像すると可笑しくて堪らないね。