東家三楽「円蔵恋慕唄」、そして桃月庵黒酒・神田松麻呂二人会

木馬亭の日本浪曲協会二月定席千秋楽に行きました。きょうは主任が会長の東家三楽先生だ。

「たにしの田三郎」東家一陽・東家美/「中山安兵衛婿入り」天中軒すみれ・沢村豊子/「愛染松山城」富士実子・伊丹けい子/「三日の娑婆」浜乃一舟・東家美/中入り/「鬼の涙」木村勝千代・沢村豊子/「魚屋本多」宝井琴柳/「野狐三次 親子体面」東家一太郎・東家美/「円蔵恋慕唄」東家三楽・伊丹秀敏

すみれさんの「安兵衛婿入り」、とても良かった。安兵衛に対し、娘の婿になってくれなければ…と短剣を娘に突きつける堀部金丸の妻の気迫、「殺すも生かすも中山殿、あなたの胸ひとつ」というのが、まずすごいよなあ。

安兵衛はとりあえず承知して、「婿入りの日から酒を飲んだくれていれば、そのうち離縁となるだろう」と暢気に構えていたが、これが大きな誤算。舅の金丸は「良い婿じゃ」の一点張りで長期戦に持ち込む…。「お情けはあったか?」と娘に問うと「お情けどころか、背中の番して風邪ひいた」。そんなことが一カ月も続いて、とうとう金丸の堪忍袋の緒が切れた。

槍を持ち出し、酒を飲んで高いびきの安兵衛に向かって突く。安兵衛は槍先を掴んでニッコリ笑って、「もう少し飲ませて」と言って肘を枕に高いびき。これを見た金丸は両手をついて頭を下げ、「お気に召さないかもしれないが、どうか娘に優しい言葉をかけてやってくれ」と涙をこぼしながら頼む…。これには遂に情に厚い安兵衛は降参だ。「中山の家名を捨てて、堀部の養子になりましょう」。ユーモラスをベースに人情噺っぽい部分も出しながら、巧みに聴かせてくれた。

三楽先生の「円蔵恋慕唄」。国定忠治が赤城山で一家の子分たちと「地獄の底までついていく」と最後の酒を酌み交わす中、酒も博奕も女もやらない円蔵兄貴が何故侠客になったのかを問われ、円蔵が語り出す物語に聴き入った。

武蔵国の板橋生まれの円蔵は“大天狗の悪太郎”と渾名された盗賊だった。28歳のときに日光で金蔵破りをして、そのまま今市の辰巳屋という旅籠に逗留したとき、そこの一人娘のお蝶と恋仲になった。お蝶のことが忘れられず、再び今市を訪れ、再会。お蝶も「どんなに会いたかったか。一生傍にいたい」と言うが…。

円蔵は「お前は何も知らないからだ。俺は天下のお尋ね者。お父さんを悲しませるわけにはいかない」と返す。すると、唐紙が開き、旅籠主人の父親、重兵衛が現れる。「娘が命までもと惚れた人。娘を連れて逃げるだけ逃げてください。親父は何もかも知っている」。重兵衛が手にしていたのは「大天狗の悪太郎」の人相書だった。

熱い情けに背いたら、人と生まれた甲斐がない。犯した罪の償いを、命を懸けても致します。誓った言葉に嘘はない。そのとき、「御用だ!」の声とともに捕手がやってきた。円蔵は裁きを受けようとしたが、「逃げてくれ」という父娘の人情もあって、円蔵は闇の中へ消えた。

そして、円蔵は悪事の足を洗い、生まれ変わった気持ちで国定一家に入った。3年後、今市を訪れる。辰巳屋は火事で焼け、主人の重兵衛は焼死していた。菩提寺に行くと住職が「お蝶さんは泥棒に恋い焦がれて、三味線を弾きながら、旅から旅へ、その男を探し歩いているようだ」と語った。辰巳屋重兵衛を焼死させ、娘まで不幸の底に落とした己の罪の深さを思い知り、円蔵は男泣きである。哀しい悲恋の物語が胸に響いた。

夜は桃月庵黒酒・神田松麻呂二人会に行きました。黒酒さんは「長屋の算術」と「くしゃみ講釈」、松麻呂さんは「佐倉義民伝 甚兵衛渡し」と「出世の松飾り」だった。

黒酒さんの「長屋の算術」。長屋連中が大家に呼び出されて、「せーの!店賃は払えません!」と声を揃えて言う冒頭から愉しい。大家が算術を教えようと、喩え話をするのだが、長屋連中は本気になってしまうのがこの噺の肝だ。「お銚子1本10銭が2本でいくらだ?」「お刺身もいいですか?」「大家さんがご馳走してくれる?良くない仕事でも押し付けられるんじゃないか?」「騙されるところだった」「思い通りにはなりませんよ!」。

大家が客になり、長屋連中が店側になると、「1円です」「高いよ」「2円です」「物価高騰だから」…「この客、払わないらしいよ!」「なんだと!」。ぶっ飛ばす勢いになるのも可笑しい。そのうち、「奥の小部屋へあがんなさいよ。ねえ、ちょっと!」と店の形態まで変わっちゃう。面白かった。

「くしゃみ講釈」。講釈師に意趣返しをする動機が、初めて聴く形だった。主人公が講釈場で寝っ転がってイビキをかいて寝ていたら、講釈師が怒り出し、他の客も味方して、追い出されたという設定。黒酒さんが独自に考えたのか?それともこういう型があるのか。兎に角、この動機の方が噺に説得力があると思った。

あと、「胡椒の粉を横丁の乾物屋で10銭買う」のを思い出す手立て。のぞきからくりの八百屋お七の口上を実に良い喉で聴かせてくれるのも、黒酒さんならでは。そして、作戦実行するときの講釈師がまた堂に入っており、本格的な講釈が出来るんじゃないか?というくらいの技量なのもすごいと思った。

松麻呂さんの「佐倉義民伝」。熱演だった。木内惣五郎が大老の酒井雅楽頭に駕籠訴して失敗、寛永寺に預かりとなった後も、将軍家綱に直訴しようと死罪覚悟で決意する。その惣五郎の佐倉の5万の庶民たちの窮状を救おうという心意気に感じ入った。

妻子に別れを告げるため、雪降る夜中に松崎の渡しまで来て、渡し守の甚兵衛に全てを打ち明け、惣五郎の決意に賛同すると、鉄の鎖をナタで壊し、暮れ六つ以降の禁断の渡しを敢行してくれる甚兵衛も心意気のある男だ。

そして、女房おきんとの再会。夫・惣五郎の決意を理解し、3人の子どもへの勘当状、そして離縁状を受け入れるのは、惣五郎女房として肝が据わっていなければできないことだ。「子ども達を立派に育てておくれ」と言う惣五郎の言葉。そして、決意が揺らぐかもしれないが、そこをグッと歯を食いしばって3人の子どもの寝顔を見納めたときの気持ちはいかばかりか。

六地蔵のところで、惣五郎を見つけた十手持ちの御用聞き、六右衛門との格闘。後から駆けつけた甚兵衛が板子で六右衛門の脳天をかち割り、難を逃れて、惣五郎を松崎の渡しまで送り届けたが…。甚兵衛は「一足先に冥途に逝って、旦那を待っています」と言って、印旛沼に身投げをした…。

惣五郎は将軍家綱に直訴を果たし、訴状を渡すことができた。だが、惣五郎は磔獄門、47歳でその生涯を終えた。そのことによって、5万の佐倉の庶民たちの窮状は救われたのだから、惣五郎は佐倉の英雄として立派な仕事をしたと言える。素敵な読み物に感動した。

「出世の松飾り」。大名・細川忠利と松飾り売りの八王子の三太郎のおめでたい美談だ。“貧乏細川”と呼ばれた忠利だが、三太郎の松飾りに“ふきたての小判”で一両を払った。すると、三太郎は「この松飾りには福の神が宿る。来年は出世されますよ」と答える。

なるほど、忠利は翌年、39万9千石から55万石の肥後熊本藩の大名に出世した。喜んだ忠利は三太郎を探させる。家来が八王子に行くと、“小判の三太郎”と渾名されている松飾り売りがいると言う。まさに、その男こそ去年松飾りを売った三太郎だった。

忠利は三太郎を呼び、風呂に入れ、身なりを調え、酒や肴でもてなした。そして、土産に200両を渡す。三太郎はその200両で田地田畑を買い、大地主となり、“三太郎大尽”と呼ばれるようになった…。聴き手も幸せになれる良い読み物だった。