天中軒雲月「徳川家康 人質から成長まで」、そして二月文楽「双蝶々曲輪日記 引窓」
木馬亭の日本浪曲協会二月定席六日目に行きました。きょうは主任の三門柳先生が体調不良のため休演、天中軒雲月先生が代演した。今月は雲月先生を3席聴いたことになる。
「馬子唄しぐれ」富士琴哉・水乃金魚/「十返舎一九とその娘」三門綾・馬越ノリ子/「若き日の大浦兼武」国本はる乃・広沢美舟/「湯島の白梅」富士琴美・水乃金魚/中入り/「たけくらべ」澤雪絵・玉川鈴/「大高源吾」神田すみれ/「名月狸ばやし」花渡家ちとせ・馬越ノリ子/「徳川家康 人質から成長まで」天中軒雲月・広沢美舟
はる乃さんの「大浦兼武」、良かった。鹿児島から上京したが腹をすかして困窮していた大浦が「巡査募集」の貼り紙を見て、兎に角「飯の食いっぱくれがない」仕事にありつこうとしている姿が滑稽で面白い。
そして、浅草の料亭の金屛風に酔漢が落書きをしてしまった件。駆け付けた大浦巡査が40円を弁償するという責任感がすごい。月給2円70銭なので、毎月1円の月賦で3年4か月かけて完済。この美談を知ったあの酔漢、実は内務大臣の岩倉具視に「真心と意思の強さに頭が下がる」と言わしめた大浦はその後、とんとん拍子に出世して内務大臣になるという…。説教臭くない美談が素敵だ。
雲月先生の「徳川家康」。竹千代は3歳で母と生き別れ、6歳で織田の人質になった。父の広忠が竹千代を見殺しにする一方で、母の於大は息子への愛情が途絶えることがなかったことが素晴らしい。
名古屋熱田に御礼参りと称して訪れ、信長に「土産は母の心一つだ」と言って、信長も於大の「我が子を思う親心」に感じ入り、面会を許すのがいい。一目なりとも生あるうちに別れを告げたいという必死な思いが伝わったのだ。「ひとりで寂しかろう、辛かろう、抱いてやりたい」という母心を竹千代はどんな気持ちで受け止めたのか、想像に難くない。
竹千代は8歳で織田信秀の息子・信広と人質交換という形で、今度は今川義元の人質になる。14歳で元服し、松平次郎三郎元信を名乗ってからも、まだ岡崎城に戻ることはできなかった。だが、こうした試練を耐え忍んだからこそ、後に300年の天下泰平が続く徳川幕府の礎を築くことができたのだろう。そして、その家康の辛抱を支えたのが母である於大だったというのが素敵な物語である。
夜は二月文楽第三部に行きました。「五条橋」と「双蝶々曲輪日記」の二演目。
「双蝶々曲輪日記」は難波裏喧嘩の段と八幡里引窓の段。何と言っても「引窓」が名作だ。武士を殺めてしまった濡髪長五郎が産みの母がいる南与兵衛の家を訪ねる。ここにいる南与兵衛(庄屋代官に出世して南方十次兵衛)、妻のお早、母(与兵衛には義母になる)、そして濡髪長五郎。この4人が譲り合い、庇い合う人間模様に心がきゅんとなる。
母は実子の長五郎を守ってあげたい、逃がしてあげたいと思う一方で、義理の息子である与兵衛が代官を拝命したことを喜び、下手人捕縛という手柄を立ててやりたいとも思う。長五郎もいっそ自分は自首してお縄になり、与兵衛が立派に親の名前を継いで代官・十次兵衛となることが母やお早の幸せにもつながると考える。遊女から堅気の女房になったお早も今、長五郎を助ければ夫の手柄を失うと迷う。与兵衛も義母の気持ちを考え、長五郎を逃がすことを考える…。
そして母は「未来は奈落へ沈むとも、今の思ひは替へられぬ」と実子への思いを与兵衛に滲ませ、長五郎にも「親への孝行に、逃れるだけは逃れてくれ」と二人に取るべき判断を示す。それに従い一旦は長五郎は変装するが、一転して縄をかけて与兵衛へ引き渡すように母に説く。父の由縁のホクロが落ちたとき、十次兵衛という父の名跡を再興せんとする与兵衛への思いに突き動かされたのだ。
「未来の十次兵衛殿へ立ちますまい」という長五郎の言葉に母も得心し、「昼夜を分ける継子本の子。慈悲も立ち、義理も立つ」と長五郎に縄をかける…。だが、与兵衛はその縄を切ってしまう。そして、最終的に長五郎は逃げる道を選んだ。複雑な4人の心情が絡み合う中で、“放生会”という風習が4人の義理の柵を解き放したのが、いかにもドラマチックで良いなあと思った。