柳家喬太郎みたか勉強会
「柳家喬太郎みたか勉強会」の昼の部と夜の部に行きました。開口一番は柳家やなぎさん、食いつきは柳家喬志郎師匠だった。喬太郎師匠は昼2席、夜2席とも新作落語だったが、「昭和は遠くなりにけり」とでもいうのだろうか、同じ昭和30年代生まれとして激しく共感できるノスタルジックテーストがとても良かった。
昼の部 「締め込み」柳家やなぎ/「諜報員メアリー」柳家喬太郎/中入り/「化け物娘」柳家喬志郎/「やとわれ幽霊」柳家喬太郎
夜の部 「牛のいる教室」柳家やなぎ/「サニーサイド」柳家喬太郎/中入り/「ハッピーエクスプレス」柳家喬志郎/「銭湯の節」柳家喬太郎
「諜報員メアリー」。大学生の時代、居酒屋で飲み潰れて終電を逃し、始発の電車が運行するまで24時間営業の喫茶店で時間を潰すというようなことがよくあったなあと思い出す。メアリーみたいなアメリカ人が「金魚売りをロブスター売りに仕立て、海老好きの日本人を狙って、海老の相場をガタガタにして、日本経済を滅茶苦茶にする」なんて陰謀が秘密裏におこなわれていたとしたら、怖いかもしれない(笑)。実際、日本経済は半ば崩壊しているだけに。
「やとわれ幽霊」。定年間近の男性3人組が廃校になった母校の中学校が取り壊されると聞いて、真夜中にそっと忍び込む…。僕の卒業した小学校も中学校も少子化によって廃校になってしまった。この3人の気持ち、わかる、わかる。音楽室に飾られた滝廉太郎やベートーヴェン、バッハなどの肖像画。保健室にあった人体標本。50年前に戻って、見てみたいなあ。
初恋だった音楽の教育実習生、世話を焼いてくれた保健の先生、角刈りのスポーツマンの体育教師…。いたなあ。そんな先生たちが万が一、生徒の知らないところで、今ではコンプライアンス完全アウトなハラスメント的な行為がおこなっていたとしたら、それまで抱いていた“憧れ”や“夢”が壊されていくのはつらいね。
98周年で廃校になった学校とともに歩んだと言う「幽霊」は、それまでの全生徒、教職員、PTA、出入り業者すべての人たちの思いを背負っている、いわばノスタルジーの象徴だ。その幽霊の台詞が良い。「色々な人たちがいて、色々な出会い、別れがあった。でもその思い出を捨てないと前に進むことが出来ない。別れは前に進むためのものだ」。肝に銘じたい。
「サニーサイド」。部長は子どもの頃、転勤族だった。でも、小学校の家庭科の調理実習である同級生の女の子が作ってくれた目玉焼きが一番美味かったということは覚えていた。それと同等の美味しい目玉焼きを作ってくれたのが今の妻で、それが馴れ初めだという。
酔い潰れた部長の横で、部長夫人が部下の二人に言う。「この人は気づいていないけど、私があの調理実習のときに“美味しい目玉焼き”を作った同級生なのよね。今の自分が過去の自分に勝てないのが悔しいの」。この奥さん、とても可愛い。
あと、この噺に懐かしのアニメ「魔女っ子メグちゃん」が出てきたが、その主題歌を喬太郎師匠はワンコーラス歌いあげた。僕もそらで歌うことができる!シャランラー!それと、スーパーカー消しゴム、通称カーケシ。「君たちは『サーキットの狼』を知らないのか」。部長が小学生のときに大切にしていたウルトラセブンのポインター号の消しゴムを盗んだのも今の女房だというのが素敵な縁だ。
「銭湯の節」。僕が小学校低学年のときは自宅に風呂がなく、銭湯に通っていた。そして、確かに洗濯板みたいな胸をした坊屋三郎風の老人が湯船で気持ち良さそうに、浪花節をうなっていた。下手だけど、反響で上手く聞こえるのか、本人はとても楽しそうにしていた。♬旅ゆけば~駿河の道に茶の香り~名代なるかな東海道、名所古跡の多いところ~。二代目広沢虎造の清水次郎伝。浪曲が大衆芸能として根付いていたんだよね。テレビドラマなどでも銭湯の入浴シーンがよくあったなあ。「時間ですよ」の森光子さんも懐かしい。
喬太郎師匠のすごいところは、浪曲の啖呵の部分に注目したところ。落語の会話と比較して、「節に引っ張られる」「節っぽくなる」という特徴を捉えて、主人公の元落研のめぐちゃんが会社のプレゼンを浪曲でやって、見事成功したというのが面白い。「お粗末ながら」とか、「お時間まで」とか、冒頭に言うのも浪曲をよく観察されていて、リスペクトしているのがよくわかる。素晴らしい。