立川談春「御神酒徳利」、そして集まれ!信楽村

三鷹市公会堂の「立川談春独演会」に行きました。「味噌蔵」と「御神酒徳利」の二席だった。

「御神酒徳利」。善六が女房の言う通りに算盤占いで見事に御神酒徳利を見つけたかのように旦那に見せて自分の粗忽を挽回したが、宿に泊まっていた鴻池の旦那がその話を耳にして、「娘の病をその占いで治してほしい」と頼まれてしまった段。これを聞いた女房の台詞に合点がいった。「いいじゃないか。すべて繋がっているんだよ」。

なるほど、善六が喉が渇いて水を飲んだ~不用心と水瓶に御神酒徳利を沈めた~すっかり忘れてしまった~家宝が無くなったと旦那は大騒ぎ~帰宅して水を飲もうとして善六は思い出した~どうしよう?~女房の父親が占い師、占いで解決したかのように見せればいい~問題解決~算盤占いが評判に~鴻池の旦那が聞きつけた。この縁を切っては勿体ない、と。

上方見物ができると思いなさい、と。父親から授かった死相と娘さんの顔を見比べて、助からないようなら助からないと正直に言えばいいし、助かるようなら見っけもの、すべて“神様の祟り”で乗り切ればいいという女房の知恵というか、機転というか、すごいね。

神奈川宿での薩摩藩の密書と70両紛失の件も、善六が女房に励まされたゆえに度胸がつき、駄目で元々と夜逃げの準備をしたところで、70両を盗んだと言うおきんという21歳の女中が現われ、善六の運命は180度変わる。ただ運が良いというのではない。これも女房の言うところの“繋がっている”である。そして、“神様の祟り”として問題を解決するのだから、すごい。占いなんて、所詮こういうものなのかもしれない。

女房が父親から授かった巻物に「生涯で三度」、“占いの力”を使えるとしたのも、あながち口から出まかせではなかったのかも。大坂に到着した善六は鴻池の娘さんを治してあげたいと心底思った。だから、絶食、水ごりを二十一日続けた。すると、善六の夢に新羽稲荷大明神が出てきて、お告げをしたのである。新羽稲荷は神奈川宿で問題を解決したときに、災害で壊れたのに放置していたから祟ったのだと再建を進言したお稲荷様だ。そう!繋がっているのだ。善六は自分の力で運を引き寄せたのだ。女房の言う通りだ。

お告げの通りの場所を掘り起こすと、実際に観世音菩薩が出てきて、その徳があって、鴻池の娘さんの病は平癒し、またまた善六は感謝され、歓待され、報酬を得ることになる。まさにカカア大明神、そのサゲに合点がいく素晴らしい高座だった。

夜は高田馬場に移動して、「集まれ!信楽村~柳亭信楽勉強会」に行きました。「腰痛」と「二番煎じ」の二席。開口一番は神田紅希さんで「巴御前」だった。

「腰痛」。先月の渋谷らくごの「しゃべっちゃいなよ」でネタ卸しした作品の後半に加筆して、単なるパニック落語から甘酸っぱい青春モノ風味にして、より楽しい一席になった。来月の渋谷らくごの創作大賞にノミネートされているので、この加筆訂正版で勝負されるのだと思う。

高校生のニジカとワタル、そして柔道部キャプテンのナラハシ。さらに駆け付けた救急隊員3人、ぎっくり腰の専門家のギクリダコシタロウ、ゾンビ、怪獣と人間という枠を超えて9ツの生命体が、ぎっくり腰に伝染するのと、魂が入れ替わるのとが入り混じり、てんやわんやの大騒ぎという面白さが芯だ。

そこにナラハシからニジカへの告白、ニジカをゾンビから守ってあげるナラハシの活躍で恋が芽生えるとか。ギクリダコシタロウと救急隊員イトウとの入れ替わり、さらにギクリダコシタロウは怪獣と入れ替わって、ぎっくり腰のエキスパートとして進化するとか。ドラマ性をも持たせることで、作品性が高まったように思った。

「二番煎じ」。月番さん、黒川先生、宗助さん、鳶頭、近江屋さんの5人が一の組。火の廻りも愉しいが、番小屋に戻ってからのワイワイガヤガヤが面白い。

宗助さんの寒さ除けの笠と思っていたのは実は鍋だったという驚き。猪の肉を初めて食べる黒川先生が「ある狩人が猪を食べたら、3年後にその娘の鼻の脇から牙が生えてきた」という作り話。番小屋という“本来は飲んじゃいけない場所”で飲むからこそ機嫌よく飲めるという、その雰囲気がよく出ていた。

黒川先生が謡、近江屋さんが端唄、鳶頭が木遣り、月番さんが都々逸と、皆して歌いたがるという…。♬わたしゃ、あなたの火事場の纏、振られながらも熱くなる~。火の番小屋で歌う都々逸じゃないね!と言いながら、酒を飲み、鍋をつつく、その楽しさと言ったらないだろう。