ケムリ研究室「眠くなっちゃった」、そして弁財亭和泉「落語の仮面」最終話
ケムリ研究室no.3「眠くなっちゃった」に行きました。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんと緒川たまきさんが結成した演劇ユニットがケムリ研究室。2020年「ベイジルタウンの女神」、21年「砂の女」に続く第3弾の上演である。
“近未来を舞台にした大人のための寓話”が今回のテーマだ。何十年か、百何十年か先の、どこかの国のお話―。地球の人口は以前の3割ほどに減少し、繰り返された極度の寒暖により、植物はほとんど全滅。生き残った動物たちは人間の食料とされ、今や目にすることは珍しい。人々は中央管理局に監視されながら日々を過ごしている。
娼婦の一人、ノーラ(緒川たまき)は、“夫”のヨルコ(音尾琢真)と暮らしている。そのノーラのもとに、中央管理局から新たな指導観察員リュリュ(北村有起哉)が訪れる。ノーラに次第に好意を抱くリュリュだが、古くからの友人で同僚のバンカーベック(近藤公園)に、ノーラから離れなければ再教育を受けることになると忠告を受ける。
さらに気温を下げようと政府に暴動を起こす市民。人々の記憶が失われる案件が勃発。ノーラの住むアパートの大家の女房ウルスラ(犬山イヌコ)もノーラに関する記憶を一切失い、彼女に冷たく接するようになる。ショックを受け、居場所を失ったノーラの前にリュリュが現れた。
組織を裏切った男と厄介者になった女。追われる身になった二人は手を取り合い、町から逃げ出す―。
プログラムに掲載された星野概念さんの「『眠くなっちゃった』をめぐる、いくつかの考察」が興味深い。
少なくとも現代社会の人間は合理的になろうとし続けているような気がします。合理的な世界が極まれば、より便利に、より効率的になり良いことばかりに思えるかもしれませんが、実際には整理できない感情が残るのではないかと想像しています。
感情というのは扱いが難しいものです。思考は訓練すれば調整できるようになるし、行動も変えられます。でも身体の反応…、汗が出たり、鼓動が早くなったりするといったことは、ほとんど調整できないのと同じように、感情も勝手に湧いてくるもので、知らぬ間に感情を押し殺したり、ないものにしていってしまうのは、四人の回収員を想起させます。彼らは、回収員としては合理的、効率的ですが、その代わりに人間の豊かさを見失っているように僕には見えました。以上、抜粋。
このお芝居の中では、人間とロボットが一緒に生活していて、(例えば、ノーラの“夫”ヨルコはロボット)時折、中央管理局から派遣された回収員が廃品ロボットを回収ステーションに運ぶ場面がある。星野さんが想起した「回収員」とはこのことである。星野さんは続けて、こう書いている。
感じる、というのは感情が関係するので面倒くさいことです。でも、なにかを感じる時間をないがしろにすると、空虚さが積み重なっていきそうです。それこそ、演劇を1本観るのにも時間が必要だし、それを観たからといって必ず得をするわけでも、なんらかの効果が得られるわけでもありません。だけど、そこで感じたことはその人の豊かさとして積み重なっていきます。演劇のレビューを読むだけででもストーリーの概要は合理的には知ることができます。でも、それだけでは、演劇が教えてくれる豊かな体験と体感はほとんど得られません。以上、抜粋。
この芝居の背景に“ディストピア”がある。我々はコロナ禍で、ディストピア的な捉え方ができなくもない時期もあった。今の世の中も決してユートピアとは言えないと思う。だからこそ、我々は日々の生活の中で、合理的とは真逆の、“感情的”にモノを見るということを多少なりともしてもいいのではないか。それによって精神的豊かさが少しでも得られるのではないか。そんなことを考えた。
配信で「弁財亭和泉の挑戦!『落語の仮面』全10話」の最終話「走れ元犬 真打への架け橋」を観ました。
三題噺対決で互角に戦ったライバルの立川あゆみは真打に抜擢され、東京ドームで披露興行が開催された。一方の三遊亭花も落語協会から真打昇進の打診の連絡が師匠の月影先生のところに。だが、月影先生は師匠である自分が認めなければ「真打」を断るという。
そのための試験として、「元犬」を目の前で演じろと花に命じた。結果は、「これでは真打どころか、破門だ」という。理由は“元犬の了見”が判っていないということだった。そんな人間に媚びた野良犬では駄目だという。
花は野良犬からホームレスを連想し、権爺の許へ。権爺が言う。「野良犬は江戸時代は野生動物みたいなものだったはず。秩父の三峰神社には絶滅してしまったオオカミを祀られている。そこにヒントがあるのでは…」と教えてくれる。
三峰神社の狛犬を見た花に、売店のおばちゃんが山頂にオオカミの巣の跡が残っていると教わる。すがる思いで花は山頂に辿り着くが、突然大雨が降り、雷が落ちる。気がつくと朝になっていた。喉が渇き、川の水を求めて岩場に行くと、その水面に映った自分の無表情な顔に、ハッとなる。
野生の動物は本能のままに生きている。明日の命をつなぐのに必死になっている。そこに野生の顔があるのだ。そう気づいた花のところに、助けに来た鈴々舎馬角が現われる。「野生動物の了見が知りたかった」花の話を聞いて、馬角が言う。「生きとし生けるモノはすべて繋がっているのですね」。花はその言葉を聞いたとき、「無欲になれば、自由が得られ、何にだってなれる」ということに気づく。
月影先生の許に戻り、真打昇進のための再試験が行われた。前回演じた「元犬」とは全く違う「元犬」になった。餌を与えてくれる女の子に対し、犬のシロは吠えたり、咬みついたりする。だが、その女の子は毎日餌を与えにやってくる。これが無償の愛なのか。シロはその愛に応えたいと、人間になることを祈る。そして、その願いは叶い、人間になれた。
月影先生は花が「元犬の了見」が判ったと認め、真打昇進を許すことにした。だが、これからが勝負だ。人気者の師匠や、ベテランの大御所を押しのけて、寄席でトリを取り、「夢幻桜」を演じる。これが三遊亭花の夢だ。その夢に向かって、花の真打ロードはまだ始まったばかりだ。
「落語の仮面」全10話を10ヶ月かけて和泉師匠が演じ、それを聴いた。三遊亭白鳥師匠の原作を、和泉師匠がストーリーを整理整頓して、分かりやすさや聴きやすさを加味することによって、この連続物の素晴らしさを再確認することができた。感謝したい。そして、この10話をいつの日か寄席の10日間興行で掛ける日が来ることを期待したい。