三代猿之助四十八撰の内「新・水滸伝」

八月納涼歌舞伎第三部を観ました。三代猿之助四十八撰の内「新・水滸伝」中村隼人宙乗り相勤め申し候、である。

「替天行道」。主人公・林冲(中村隼人)がかつての教え子である彭玘(市川團子)たちに授けた教えだ。世が乱れ不正がはびこる時代に生きる若者たちへ、天に替わって道を行う志を抱け、と熱い情熱をもって伝えたメッセージ。これがこの歌舞伎のメインテーマだと思った。

独龍岡の闘いで林冲が窮地に陥ったとき、林冲の汚名を晴らそうと命懸けで訴え、自らの命を呈して林冲を救ったのが敵である朝廷軍の彭玘だった。そのとき、林冲の胸には、息絶えた彭玘から託された「替天行道」の書が抱かれていたというのが何とも象徴的である。

そして、梁山泊が激しい戦いの末に朝廷軍に勝利し、宴が催されているところに、朝廷軍を見限った兵士たちが駆けつけ、林冲の妻は病死したのであり、悪党に味方した夫に失望して自害したのは嘘偽りの噂だったと判った。そのときに、梁山泊の頭領である晁蓋(市川中車)が、安堵する林冲の向かい、「替天行道」の旗を掲げ、改めて梁山泊の大将として仲間入りを願う。この芝居のクライマックスに相応しい場面だ。

この芝居は、好漢の晁蓋を中心に梁山泊を根城とする悪党たちvs不正がはびこる汚い国家を司っている朝廷という構図である。役人たちの不正に憤り、「こんな国はぶっ潰そう」と、牢を破り、悪人たちを解放することで、毒をもって汚れた国家を壊してやろうというダークヒーローたちの物語だ。

晁蓋が目を付けたのは、兵学校の教官まで勤めながら、数多くの罪で牢に繋がれた天下一の悪党と噂される林冲だった。この男を仲間に引き入れることが、梁山泊の人間が目論む“世直し”の早道と考えたわけだ。その考えはまさに正解で、林冲は朝廷の腐りきった体質に同様に憤りを感じていたのだから。

朝廷の重臣・高俅(浅野和之)と、元は朝廷軍士官で今は追われる身の林冲の因縁も面白い。梁山泊を成敗するように側近に指示を出す高俅だが、梁山泊は実は皇帝の命で手出し無用とされていた。しかし、高俅は意に介さず、林冲の捕縛に躍起になっている。というのも、高俅にとって、かつて部下であった林冲はどうしても邪魔な存在で、どんな手を使っても消し去りたい人物だった。

高俅が軍用金を着服し、出世のために悪事を重ねていたことを知っているのが、林冲だったからだ。悪事の露見を恐れた高俅は、林冲を謀反人の汚名を着せて追放してしまった。それからというもの、林冲は生き延びるために仕方なく悪党の道を歩むことになったことが、後々わかるのも興味深い。

実際、高俅は肝っ玉の小さい男だ。独龍岡の闘いでは、林冲との一騎打ちとなるが、「以後、梁山泊には手出しをしない」と命乞いをし、林冲も思案の末に逃がしてしまう。さらに街亭の街道で皇帝の隠し財産を運ぶ隠密の一行を梁山泊軍が追い詰めたところで、また高俅と林冲の一騎討ちになるのだが、そこでも高俅は命乞いをする。なんて奴なんだ。もうその手は食わぬぞとばかり、林冲は遂に因縁の高俅を討ち果たした。

もう一つ、この芝居のアクセントになったのが、梁山泊側の山賊あがりの無骨者・王英(市川猿弥)と、独龍岡の女戦士・青華(市川笑也)との恋だ。梁山泊対岸の山中での独龍岡軍と梁山泊軍との対決。そこで祝彪(市川青虎)の許嫁である青華に王英が密かに心を奪われてしまう。

独龍岡の祝彪の館で高俅らを招き華やかな宴。その宴を抜けて湖の畔で剣術の稽古をする青華の許へ、王英とお夜叉(中村壱太郎)がやってくる。青華に王英の思いを伝えるため、お夜叉の計らいで来たのだが、剣術に長けた青華に敵わず、生け捕りにされてしまう始末だ。だが、高俅らの卑怯なやり口に幻滅した青華が、密かに牢を開け、王英とお夜叉を解放しようとするという場面も。

独龍岡の闘いの後、梁山泊では女たちが青華を介抱している。青華は許婚である祝彪に酷い目に遭わされていたところを王英に助けられ、ここまで連れて来られたのだ。青華に心底惚れている王英は青華の幸せを願い寄り添う。青華もそんな王英を心強く思うようになる。

そして、梁山泊軍が朝廷軍に圧倒的な勝利を収めた後のエンディングでは、王英と青華の二人だけのラブラブシーンが入り、二人はやがて夫婦となることを暗示させて終わった。激しい戦闘シーンの多い中、この二人の恋物語が芝居に彩りを添えていたのがとても良かった。