こまつ座 「闇に咲く花」、そして林家きく麿 三題噺「電線のゴミ」
こまつ座 第147回公演「闇に咲く花」を観ました。偶々だが、きょうは長崎原爆の日。この日に、戦争について改めて考えさせられる、1987年初演の井上ひさし作品を観劇した意味は大きい。
この芝居の最大のメッセージは「忘れちゃだめだ、忘れたふりはなおいけない」。初演の87年はバブル前夜、なんとなく世の中が浮かれていた、というか浮ついていた。だからこそ、心に刻みたいメッセージである。
製作統括の井上麻矢さんがプログラムの前口上でこう書いている。
それ(1987年の初演)から36年の月日が過ぎた今、これほどにこの作品が上演するにふさわしい時を迎えたことはないように思います。戦争が始まってしまいましたし、宗教と政治の関係も今に始まったことではありません。国家権力は形を変えて存在し続けています。紙きれ一枚で人の命が奪われ、将来有望な若い人達が、戦争で死んでしまう。心身共に健康な若い人達が理不尽にお国のために家族や恋人と離され殺されてしまう、はるか遠く故郷を離れた土地で暑さや病気や飢えと戦いながら亡くなっていくといった地獄が本当にありました。
何とか生きて帰ってきても敗戦国であるがゆえに戦犯として略式裁判で簡単に冤罪になり無念の死を遂げなくてはならない人達がどれほどいたのか。皆闇市で必死に食べ物を調達しなければ、生きることさえままならない時代は確実にあったことを、忘れずに刻みたいと思います。(以下、略)
また、この作品の演出を初演からずっと続けている栗山民也さんはプログラムのインタビューでこう語っている。
この劇では、神社こそが庶民のユートピアであり、庶民のささやかな幸せを祈る場所だったにもかかわらず、戦時下で国家神道として利用されてしまった歴史が、天皇崇敬の装置として描かれています。(中略)
靖国神社を代表とするヒエラルキーの頂点が天皇で、その天皇のために戦争に行って死に、英霊となって靖国神社に帰ってくることが、あの時代の何よりの栄誉だったのですから。劇の最後、神田明神と靖国が、決まった時刻より早く太鼓を叩く。神田明神とは言っているけれど、都内、もっと言えば日本全体の神社のことを表わしているのでしょう。それを「気がはやい」とする台詞が、まさに現代劇。憲法改正に向けてフライングしているかのような今の状況と重なります。(以下、略)
今の日本では、戦争犯罪そのものがなかったかとする空気すらあることがとても怖い。そういう時代になってしまうのは、とても悲しいことで、だからこそ井上ひさし先生が遺された、この「闇に咲いた花」ほかの戯曲は今後も繰り返し上演されていかなければならないと強く思う。
鈴本演芸場八月上席九日目夜の部に行きました。林家きく麿師匠主任の特別企画公演「笑いと涙と歌謡ショー」、きょうは師匠が初めて三題噺に挑戦するとあって、客席は冒頭から熱を帯びていた。
「道灌」隅田川わたし/お題取り きく麿・木りん/小咄 林家木りん/奇術 ダーク広和/「宗論」柳亭燕路/「長短」古今亭文菊/漫才 ロケット団/「千早ふる」柳家はん治/「寄合酒」橘家文蔵/中入り/ギター漫談 ぺぺ桜井/「キッス研究会」春風亭百栄/紙切り 林家楽一/三題噺「電線のゴミ」(ガリガリ君、なでしこ、寝冷え)
お題取りは、お客さんに挙手させて、木りんさんが指名した人が言うスタイルで、10個が並んだ。①ヨーデル②フェス③なでしこ④運転手⑤埼玉⑥ガサ入れ⑦ガリガリ君⑧メモ⑨台風⑩寝冷え。そして、箱に入った10個のピンポン玉をきく麿師匠が無作為に3個抽出。その結果、なでしこ、ガリガリ君、寝冷えの三つに決まった。
タケシは寄席の看板に「落語フェス、本日開催」と書いてあるのを見て、入場した。すると、自分以外は1人の女性しかいない。お客がたったの2人なのだ。しかも、その女性が滅茶苦茶笑っている。タケシはその女性を見ているのが面白かった。
寄席を出て、行きつけの居酒屋に行くと、偶然にもさっきの女性がいる。店主の紹介で、その女性はアッコちゃんと呼ばれていることが判った。そして、さっきの寄席にいたことを明かすと、アッコは「自分一人の貸し切り状態だと思っていた」という。寄席好きなんですか?と問うと、「それは、あなたはイオンの下着売り場が好きですか?」と訊いているのと同じだと怒る。自分が落語好きであることを隠して生きている、ちょっと面倒くさい人種のようだ。
でも、その女性は相当にマニアックで、酒を注ごうとすると「よそう、また夢になるといけない」と言うし、枝豆や柿ピーも無いのに仕草で食べる物真似をするし、注文したマグロの刺身を「赤ベロベロ」と呼んでるし。
それと、落語は古典しか認めない人で、新作なんか無くなればいい、嫌いな噺家はきく麿、白鳥、百栄。好きな噺家は恥ずかしそうに物真似で「雲助師匠」、好きな噺は“柳家の魂”「長短」。でも、はん治師匠は新作も演るけど、“古典の顔”をしているから好き。面倒くさいなあと思いながらも、付き合わされて、タケシはアッコと朝4時まで飲み明かし、帰宅してすぐに布団に入ったので寝冷えしてしまった。
翌日、タケシは偶然にもアッコと駅で会う。アッコはこれから「正雀・はん治二人会」が開かれる大分に行くと言う。何でも、はん治師匠が「ロボット長短」をネタ卸しするというので駆け付けるのだそうだ。タケシはさいたまスーパーアリーナでなでしこJAPANの試合を観に行く。
駅のホームで突風が吹く。アッコの持っていた「正雀・はん治二人会」のチラシが飛ばされ、タケシが食べていたガリガリ君の包み紙が飛ばされた。二人が乗った電車は「電線に何かが引っ掛かっていた」ために止まる。そして、その“何か”というのが、「正雀・はん治二人会」のチラシとガリガリ君の包み紙だったという…。
きく麿師匠は「落語ネタと物真似ネタに逃げてしまった」と反省していたが、男女の出会いの偶然と機微を師匠ならではのカラーで染め上げ、初めての三題噺挑戦は大健闘だったのではなかろうか。