田辺いちか独演会

とみん特選小劇場「田辺いちか独演会」に行きました。5月終わりから6月上旬にかけて体調不良から療養していたいちかさんが高座に復帰、元気なお姿を見て安堵した。伝統ある紀伊國屋ホールでの独演会、満を持しての素晴らしい高座だった。

「酒吞童子」宝井小琴/「生か死か」田辺いちか/「鹿政談」神田伯山/中入り/「木村長門守重成の最期」田辺いちか

いちかさんの一席目、借金を抱えて死を覚悟した男とその男にピストルを突き付けた青年の巡り合わせ。終戦後の皆が大変だった時代における人情噺と片付けず、戦争という悲劇とその罪の大きさを深く認識しなければいけないと思う。

親子ほどに歳の離れたこの二人は、お互いに空襲で家族を失い、特攻隊という愚行の犠牲となった。その悲しみを乗り越えて前向きに生きて行こうと誓いあったことに涙を禁じえない。

二席目、武士としての覚悟、そして武士の妻としての覚悟に心打たれる。木村重成と青柳(のちに絹)の馴れ初めが、歌をやりとりしてというのが、まず何とも美しいではないか。

大坂夏の陣に出陣する重成に対し、兜に蘭奢待を焚いて、自らは首に短刀を突いて自害した絹の心情いかばかりか。そして、重成も自ら戦場で切腹。敵である徳川方に首実検をされたときに、蘭奢待の香りに多くの武者たちは「女のような」と笑ったが、大将・家康はその重成の覚悟に対し、感激して泣きじゃくったという。

武士とその妻はかくありたい、と思うだけではない。夫婦というのは片方の一大事に対し、どれだけの理解をしてこれに処するべきかについて思いを馳せる。お互いに愛し合っていたからこそ、と思うのである。

伯山先生、元々講談だったネタが落語となり有名になったものを、また再び講談に戻すという作業に頭が下がる。

奈良奉行の川路聖謨を主人公にしていることが興味深い。奈良の春日大社や興福寺に対し、年三千石もの鹿の餌料が与えられていたにも拘わらず、これを金に換え、高利貸付して、庶民を苦しめていた。この不正を正すべく、末は勘定奉行という出世コースにあった川路が請われて奈良奉行に赴任したという。

豆腐屋の与兵衛を助けたいということもあったろうが、これを機に春日大社の塚原出雲や興福寺の良念和尚にきついお灸を据えたいという川路の熱い思いが伝わってきた。正義の味方として、地元では“川路さん”と称され、親しまれているという。落語とは違った切り口がとても新鮮だった。