文楽「菅原伝授手習鑑」初段~二段目

5月文楽公演第1部と第2部を観ました。初代国立劇場の閉場を控え、文楽の代表的名作「菅原伝授手習鑑」を、5月に初段と二段目、9月に三段目から五段目と、2公演にまたがって全段通し上演が実施される。まずは今月第1部で初段、第2部で二段目を観た。

初段は大内の段~加茂堤の段~筆法伝授の段~築地の段で構成されている。

前半で菅原道真=菅丞相がどのような経緯で流罪に至ったのか、その経緯がよく判る。宮中で権勢を二分していたのが左大臣の藤原時平と右大臣の菅丞相。時平は病床の帝の地位を奪おうという野心を持ち、権勢を振るう鼻持ちならない人物であるのに対し、菅丞相は徳が高く、民からも尊敬を集めており、帝からも称賛されているため、時平にとっては疎ましい存在で、何かに事寄せて失脚させようと企んでいる。

その失脚の格好の材料になったのが、加茂堤の段における桜丸の行為だ。河内国佐太村で菅丞相の別荘を管理している百姓・四郎九郎には梅王丸、松王丸、桜丸という三つ子がいる。丞相のはからいで梅王は丞相、松王は時平、桜丸は斎世親王(帝の弟)に、それぞれ牛飼舎人として仕えており、一家の丞相への恩義は計り知れない。

斎世親王と丞相の娘・刈屋姫は一目を忍ぶ仲。そこで、桜丸は帝の病気平癒祈願のために加茂明神を参詣した際に、気を利かせたつもりで、桜丸の女房・八重が斎世親王の乗る牛車の中に苅屋姫を導き、逢瀬を楽しませた。この一件が時平側に知れることとなってしまい、尚且つ斎世親王と苅屋姫が駆け落ちした為に、丞相左遷の原因を作ってしまった。つまり、時平に言わせれば、親王を帝位に就かせて娘を后に立てようとする丞相の企みであると、帝に讒言したのだ。これによって、丞相は流罪を申し付けられる。

筆法伝授の段は初段の山場であり、外題の由来ともなる重厚な段だ。名筆の誉れ高い丞相は、その筆法を後世に残すために優れた弟子を選んで伝授せよとの勅諚を受ける。丞相から呼び出されたのは、かつて不義により勘当された旧臣で弟子の武部源蔵と、その女房・戸波。二人は同じ屋敷に勤めて丞相に仕えていたが、恋仲となり、4年前に勘当されていた。

零落はしても衰えぬ筆勢を披露し、伝授を許された源蔵だが、念願の赦免は叶わない。「伝授は伝授。勘当は勘当」と言われ、伝授の一巻を託されるも、参内に急ぐ丞相を涙ながらに見送るしかなかったというのが悲しい。

しかし、源蔵夫婦の忠義心は変わらない。それが築地の段に見られる。流罪が決まった丞相が屋敷内に閉門されると、物陰から様子を見ていた源蔵夫婦は警備する人間を追い出し、梅王丸にある提案をする。それは、丞相の妻子にも危険が及ぶ恐れがあるから、幼い菅秀才を屋敷から脱出させるというものだ。

梅王丸は築地塀の上から若君を源蔵夫婦に託して、主君と御台所を守るために屋敷に残り、源蔵は見張りの兵を蹴散らしてこの場を逃れる。忠臣たちは、それぞれの忠義を尽くすために分かれていくのだった。

二段目は道行詞の甘替~安井汐待の段~杖折檻の段~東天紅の段~宿禰太郎詮議の段~丞相名残の段で構成されている。安井汐待の段は国立劇場では51年ぶりの上演で価値あるものだったが、その後の舞台が河内の土師の里になってからが、やはり面白い。特に3点に注目して見た。

まず、覚寿の存在感である。菅丞相の伯母であり、上に立田前、下に苅屋姫という娘を産んだが、苅屋姫は丞相の養女となった。亡き夫は河内の郡領という重責ある官人で、その性根を継ぐ妻ならではの振る舞いが素晴らしい。

杖折檻の段では、苅屋姫は丞相との対面を願うが、姫の想いを理解しつつも、丞相への義理から姫を杖で打つ。これを姉の立田前が庇うが、容赦なく姉妹である二人の娘を打ち据える。その気迫が伝わってきた。

宿禰太郎詮議の段では、偽の護送が丞相を迎えに来ると、覚寿は丞相との別れを惜しむが、そこに立田前の姿がないことに気づく。屋敷を捜索すると、池の底から立田の死骸が引き揚げられる。宿禰太郎が奴の宅内を下手人と決めつけると、覚寿はそれを制し、自ら成敗するという。立田が太郎の着物の切れ端を噛みしめていたことから、真の下手人は太郎だ!と刀で太郎を刺す冷静さ。だが、自分の娘を殺された悲しみは如何ばかりか。

丞相名残の段で、覚寿はすべてを失う悲しみに包まれながら、婿である宿禰太郎の息の根を止め、自らの髻を切って、尼となった。その男前な女性像に心を奪われた。

次に、宿禰太郎とその父・土師兵衛の裏切り行為である。この親子は藤原時平に加担して、丞相の暗殺を企てていたのである。

東天紅の段で、屋敷の庭で打ち合わせ、細工によって鶏を早く鳴かせて時刻を偽り、偽の迎えを仕立てて丞相を引き取って、暗殺するという策略だ。その内容を物陰で立田前は聞いてしまった。そして彼女は改心するよう説得するも、太郎は騙して後ろから斬り捨て、死骸を池に投げ込んでしまう。おお、何ということをするのだ。

立田前の死骸が発見されると、太郎は罪を奴の宅内にかぶせようとしたが、覚寿の慧眼によって暴かれてしまう。あとからやって来た土師兵衛が激昂して覚寿に襲い掛かるが、警固の輝国に取り押さえられ、ついには首を刎ねられてしまう。時平方の悪事は失敗に終わったわけだが、流罪では気が済まずに暗殺まで考えていたというのが、何とも怖ろしい。

最後に菅丞相の木像の不思議である。これは形見になるように覚寿が頼み、丞相が自ら彫ったものだ。

杖折檻の段では、丞相との面会を望む苅屋姫に対し、覚寿が打擲していた。そのとき、障子の内側から「姫と対面する」という丞相の声が響いた。丞相の慈悲に感激した母娘が襖を開けると、そには丞相の姿をした木像があるばかり。木像を通じて丞相が姫に会いに来たかのような奇跡である。

丞相名残の段では、さらなる奇跡が起こる。丞相は偽の迎えに連れて行かれたと判断した輝国は、丞相のもとへ駆け出そうとする。そこへ、連れ去られたはずの丞相が屋敷から現れた。続いて、偽の迎えが「引き渡されたのは丞相の木像だった」と訴えに戻ってきた。だが、輿の中を確かめると、こちらにも本物の丞相が座っている。奇跡である。

やがて、宿禰太郎と土師兵衛の一味の仕業が露見し、その始末が終ると、輿の中には木像の丞相が置かれていた。本物の丞相は襖の奥から現われ、いよいよ出立となった。覚寿は密かに苅屋姫を伏籠の内に忍ばせ、丞相に会わせようとするが、丞相はその願いを退ける。姫の嘆く声にただ一目見返る丞相。その今生の別れに、温かい親子の情が流れているように見えた。