噺ノ目線、そして林家つる子独演会
「噺ノ目線3~自作新作創作落語会」に行きました。弁財亭和泉師匠のプロデュースによる女性落語家が自作の新作落語を披露する会。今回は上方から桂あやめ師匠を招いてのスペシャルな会とあって、大入り満員だった。
「魔法の腕時計」鈴々舎美馬/「ミス・ベター」林家つる子/「女の鞄」弁財亭和泉/中入り/「令和が島にやってきた」林家きよ彦/「妙齢女子の微妙なところ」桂あやめ
美馬さん、作風がメルヘンチックで彼女らしくて良かった。主人公のハナちゃんが、「もっと外で遊びたい」と、タイムマシン機能を持った腕時計に願いを託す。おねえちゃんやおかあさん、さらにはおばあちゃんになりたいと未来の自分になるが…。最後は事故で死んでしまったお父さんに会いたいと過去に遡るという…。ちょっとジーンとしてしまった。
つる子さん、これまた彼女らしいオーバーアクション演出の光る新作。トオルとみなみのラブストーリー、ベタなドラマのような展開が次々と起こり、実に愉しい。謎の転校生、会社員になってからの再会、婚約者の存在という障害、殺人、交通事故、記憶喪失、さらに血の繋がった兄妹という衝撃の事実…。ロス行きの便に乗るみなみを止めようと空港に駆けつけるトオルとの場面は、「東京ラブストーリー」のテーマが流れ、鳥肌が立つと同時に笑いも起きる。流石!
和泉師匠、鞄の大きさはその人のストレスに比例するという言葉からの導入に納得。収納上手と自負する主人公の、鞄の中身へのこだわりが面白い。バッグインバッグインバッグインバッグ、一枚羽織る用のカーディガン、沢山買い物した時用のエコバッグ…。「女帝・小池百合子」が松岡修造の本に変わっていたり、ブラシとコテが羊羹2本になっていたり、夫の悪戯心も愉しい。
きよ彦さん、平成レトロが可笑しい。特例で令和になることを待ってもらっていた限界集落の島。村人がエアマックスを履き、高校生がガングロで、お母さんはボディコンに身を包むという…。これはもはや平成というより昭和?なのが笑える。でも、人口が少ないから、スナックでは付けが効くので“キャッシュレス決済”、顔パスだから“顔認証”も出来ているという皮肉も優れている。
あやめ師匠、妙齢という言葉の使い方に着目した面白さ。昔は結婚前の24、5の女性のことを指したのかもしれないが、時代と共に意味が変わって来ているのかも。師匠と同年代のおばちゃんたちの美容、ファッション、健康に関する愚痴が悉く笑いに変換されている楽しさがあった。
夜は人形町に移動して、「林家つる子独演会」に行きました。「片棒」「子別れ」「子別れ お島編」の三席。
「片棒」は次男の銀次郎に、つる子らしさが。山車の親父さんをモデルにしたからくり人形の動きの面白さ。さらにお囃子に乗って神輿が出ると、客席に手拍子を要求して、高座と観客が一体となる盛り上がりを見せた。
「子別れ」。熊さんが亀と再会したときの言葉。このことは、おっかさんに内緒だぞ。お前も大人になったら判る。自分の非を自覚し、生易しい気持ちでは追い出した女房には会えない、罪悪感に苛まれている熊さんにジーンとなる。
一方、女房だったお徳さんも日頃から亀に、あの人は悪くないんだよ、お酒が悪いんだよと言って聞かせているという部分に同じくジーンとなる。好きで一緒になった夫婦という幸せの形が、酒や女郎の失敗で崩れる悲しみに思いを馳せる。
亀が頑固に父親との約束を守り、50銭をくれた人が誰なのか明かさない。そのときの母親の言葉も沁みる。お父っつぁんがいないから、あんな子に育ったと世間様から言われたくないんだよ。母子家庭が肩身の狭い思いをするというのは、僕が小学校の時代にも同級生にあって聞かされていたから、その気持ちはよく判る。
お徳が鰻屋の前で、自分も店の二階に上がろうか、迷ってウロウロしているときに、魚屋の女房に声を掛けられたときのやりとりも良い。私が行ってもいいものか、という問いに、亀ちゃんのために行っておあげと魚屋女房は言う。だが、次にお徳は「あの人を許していいものか」と言うと、魚屋女房は「許さなくていい。だけど、女は便利に出来ているのよ。忘れちゃえばいい」というのが印象的だ。
だから、二階に上がって、元亭主の熊さんに会ったお徳は言う。「私はあなたを許さない」。でも、その次の言葉で救われる。「でも、あなたは変わった。出会った頃の瞳をしている」。酒を辞め、真面目に働いて更生した熊さんとの再会を喜び、もう一度やり直そうと熊さんがお願いする余地を与えている。これが良かった。
「子別れ お島編」は、熊さんが女房を追い出した後、後添えに迎えた吉原の遊女・お島を主人公に構成されている。お島が品川にいたときに熊さんが言った言葉、「ここ(遊郭)は嘘ばかりだ。でも本当のことを言われて傷つくよりも、嘘を言われて喜んだ方が幸せだろう」。そして、吉原で二人が再会したときの「嘘ばかりの吉原で、ここで会ったのは本当だよ」。そう言ってくれる熊さんがお島は本当に好きだった。だから、身請けしにやって来てくれたときは、本当に嬉しかったに違いない。
だけど、お島は吉原に居るべき人間だった。長屋の連中からは「吉原の女」と後ろ指を指され、朝起きるのも苦手だし、おまんまも炊けない、針仕事もできない。最初のうちは幸せだったが、段々と苦痛を覚えるようになり、やがて逃げ出すように長屋を出て、また吉原の朝日楼に戻ってきてしまった。
やがて花魁になって花魁道中をするお島の言葉が印象的だ。外の世界は本当のことばかりかと思ったけど、私には嘘だった。私の本当はここ(吉原)にある。だから、私は死んだら骨も皮も、嘘も誠も吉原に埋めるんだ。
「子別れ」をお島の視点から、その遊女の悲哀を描いたつる子さんの着眼点の素晴らしさに感服した。