玉川太福「任侠流れの豚次伝」第1話・第2話、そして真山隼人「徂徠豆腐」

「玉川太福月例木馬亭独演会」に行きました。2017年にスタートしたこの会も、第63回。きょう、5000人目の来場者を記録したそうだ。ちなみに、その方は3000人目のときにも当たっていて、すごい強運の持ち主である。

ちなみに僕はこの月例木馬亭独演会には去年12月以来の参加で、太福先生の2番弟子である玉川き太さんの高座を初めて観た。一所懸命な「阿漕ヶ浦」だったが、次に1番弟子のわ太さんが出てきて「梅花の誉れ」を唸ると、なるほど前座の時期の人たちというのは毎日毎日刻々と成長していくんだなあと肌で実感した。

そして、きょうは太福先生が「任侠流れの豚次伝」全10話を5か月連続で唸る、その第1回である。落語協会の鬼才、三遊亭白鳥師匠の作品だが、全10話というのは、落語の柳家三三師匠しかいないのではいか。去年、その三三師匠が11月に5日間連続で全10話を通しで演じたのを聴いたが、さすが白鳥師匠!という荒唐無稽で破天荒なストーリー展開に毎話ドキドキさせられた。果たして、太福先生の全10話はいかが相成りますか。もちろん皆勤する予定です!

第1話「豚次誕生 秩父でブー」

秩父の養豚場で生まれた豚次は、外の世界はオオカミに襲われるから危険だと母親の豚子に言われていたのだが、ひょんなことから満月に誘われるように森の中へと入り込む。そこで出会ったのはタヌキの狸吉だった。そして、自分は家畜で、やがて人間に売られて食べられてしまう運命であることを知る。

養豚場から母親とともに逃げ出したい。そのためには、番犬のチロをやっつけるだけの力を付けたい。強くなりたい。そう願った豚次は、ツキノワグマの熊五郎を紹介され、任侠の世界に入って、男を磨かなくてはいけないと教えられる。熊五郎と毎日相撲を取り、狸吉とはボクシングのトレーニング、体を鍛える訓練を一カ月続けた。

そして、縞の合羽に三度笠姿となった豚次は、母を助けるために養豚場へと戻る。そして、番犬のチロと決闘、養豚場の主人に見つかると、母の豚子は「私は置いて、一人で逃げなさい」と言う。そして、これは形見と思ってくれと真珠を渡す。養豚場が売り飛ばした豚子の子どもたち、すなわち豚次にとって兄や姉の魂が籠った真珠だという言葉を添えて。見送る母の声を後ろに聞きながら、豚次は任侠の旅に出る。

第2話「上野掛け取り動物園」

豚次は旅の途中、練馬保健所に野良豚として捕獲され、上野動物園へ送られてしまう。あわや、トラの虎夫の餌になるところだったが、威勢の良い啖呵が気に入られて、白黒一家のパンダ親分の子分として仕えることになる。

しかし、パンダ親分は悪質な金貸しをしていて、アライグマのラスカルは50万円の借金を抱えていた。大晦日、掛取りのコンドルのジョーが現われ、利子がついているから300万円を返済しろと要求にきた。そんな金はないと断ると、アライグマの娘を吉原に身売りすると脅す。そこへやって来たのが、正義感の強い豚次。そんな悪質な取り立ては許されないと、コンドルのジョーを一撃。空へ飛ばしてしまった。

すると、総元締めのパンダ親分が怒り出し、厳しく300万円の返済を求める。豚次は母親から渡された真珠を差し出し、「これは上野の大黒屋で300万円と査定された」と言って、それで問題を解決しようとする。だが、それだけでは許さないパンダ親分は、毎日の餌代を払えと言う。

そんな弱い者いじめを許せない豚次は、自分がこの上野動物園を去るから、その分の餌をアライグマ親子に回してほしいと頼む。白黒一家を抜けるためには、落とし前をつけろというパンダ親分に対し、豚次は自分の尻尾を千切ってみせる。これには認めざるを得ないパンダ親分だった。

だが、凶状持ちとなってしまった豚次はどこの動物園も引き取ってくれない。すると、流山動物園では受け入れているという情報をアライグマの娘が教えてくれる。弱きを助け、強きを挫く、任侠の男・豚次は流山へと向かうのだった。

「真山隼人ツキイチ独演会」に行きました。澤孝子師匠が急逝したのが去年5月。隼人さんが澤師匠から頂いた外題、「徂徠豆腐」を掛けた。澤師匠が大変にご機嫌で、澤一門が居並ぶ前で、「あなたにあげるわよ」とおっしゃって、一瞬戸惑ったという。一門にとっては大切な演目であるだけに戸惑いは当然だが、澤師匠は今後の浪曲界のことを思い、隼人さんにあげたのだと思う。だからこそ、毎年5月には今後も不調法ながらも、この「徂徠豆腐」を掛けていきたいという隼人さんの言葉を頼もしく思った。

一丁4文の冷奴を5日、「細かいのがないから、後でまとめて」と誤魔化していたが、ついに無一文であることを告白した荻生徂徠。彼に対し、部屋に積まれた大量の本を見て、これを売り払えばいいのでは?と上総屋七兵衛が問うたときの台詞がカッコイイ。本は武士の魂。浪人はしていても、魂を売ることはできない。

上総屋もそういう徂徠を気に入って、明日からは握り飯を届けてあげると進言すると、徂徠の返す言葉がまたカッコイイ。恵んでもらうと、乞食になる。商売物であれば、いつか自分が世に出たときに返すことができる。

ますます徂徠の心意気を気に入った上総屋の、おからを煮て、味付けしたものを届けてあげるという人情もまた素敵だ。それが、後日徂徠が柳沢様に召し抱えられて、20両と普請した店を御礼に返したときの徂徠の言葉に繋がってくる。あのときの20文は、黄金の山よりも尊い。情けこそ人の心の鑑なり。

澤師匠の「徂徠豆腐」は、赤穂事件と絡めてあるが、徂徠は見事仇討本懐を遂げた赤穂義士たちの処分として、切腹を命じた。このことに対し、上総屋はきちんと徂徠に、「なぜ、切腹させるのか?」と問うている。徂徠の答えはこうだ。仇を討ったは良いけれども、法を犯した罪は罪。そのことは末代までも残さなければならない、と。忠臣蔵を美談のみにするのではなく、きちんと非は非として描くところに、池上勇作、澤孝子師匠の「徂徠豆腐」の魅力があるのではないかと思った。