国立名人会、そして如月の三枚看板

「国立名人会」に行きました。

「扇の的」神田鯉花/「チュウ臣蔵」桂枝太郎/「くしゃみ講釈」春風亭柳太郎/「らくだ」林家たい平/中入り/「二月下旬」林家彦いち/曲芸 鏡味正二郎/「御神酒徳利」春風亭昇太

鯉花さんは日本講談協会では今月に二ツ目に昇進しているのだが、もう一つ所属している落語芸術協会の方では3月上席から昇進なので、それに合わせたのだろう。きょうは前座として働き、開口一番も勤めた。ハキハキとした気持ち良い高座で、芸もしっかりしている。これからが楽しみだ。

たい平師匠は安定感がある。ただ、前半の屑屋が丁の目の半次に脅かされて月番、家主、八百屋と廻るところ、時間短縮なのだろう、かなり地で処理していた。だけどカンカンノウを踊らせてみせるところ、大家とその女房のリアクションが全くないのには驚いた。これはこの噺の肝ではないか。

おそらく、後半の屑屋が三杯目を飲むところから、酒乱に豹変したところに時間を割きたかったのだろう。「兄貴と呼べ」と丁の目に対して立場を逆転させ、丁の目も屑屋の胸に飛び込むという演出は独自の工夫だ。人間は生まれるときも独り、死ぬときも独り、皆淋しいんだ。だからと言って、悪に走ってはいけない。真っ正直に生きなくてはいけない。そう屑屋が説教するのがこの高座の一番の聴かせどころだと、たい平師匠は思っているのがよく伝わった。

彦いち師匠はネタ出ししているのだから、この噺を中途半端で終わらせてほしくなかった。たい平師匠の「らくだ」が延びたと言っていたが、余計なマクラが多すぎた。

小学6年生の息子を連れた父親が自分の小学校時代の担任に会いに行って、それまで未提出だった卒業文集の原稿を届けるという新作で、その父親の書いた原稿が実に泣かせる噺なのに、今回はそこまでいけず。移動途中の電車の中で息子が色々な大人たちと会話をするという、前半の面白いところで「この後、この親子があるところに行って、あるものを届けるという…噺ですがお時間です」と降りてしまったのが非常に残念である。

昇太師匠はその点、さすがの高座だった。マクラも面白いし、本編もきちんと演じて客席を大いに沸かせた。占い八百屋の型。八百屋が意地悪された女中の仕返しをするところとか、何でも自分の意思や希望を「算盤に出ています」と叶えてしまうところとか、三島には行きたくなくて逃げていたのに、女房が金に傾いて亭主に「行きなさい!」と説得されるところとか、昇太師匠特有の愛くるしい八百屋のキャラクターが前面に出ていて楽しい。

小田原の宿での50両紛失の件も、天が見放していなかった!女中が「病気の母親の薬代を旦那に頼んだら断られたので盗んだ」と告白してくるというラッキーに恵まれ、機転を利かせて「白幡稲荷のお祀りをしていないだろう!それで神様が怒ったんだ!」と宿屋主人を𠮟りつけ、ついでに「味噌汁が薄いんだよ!」と付け加えるのも、愛すべきキャラクターの八百屋である。

夜は新富町に移動して、「如月の三枚看板 喬太郎・文蔵・扇辰」に行きました。橘家文蔵「道灌」、柳家喬太郎「牡丹燈籠から本郷刀屋」、仲入りを挟んで、入船亭扇辰「二番煎じ」の順番。

文蔵師匠、本寸法のロングバージョン。前座噺だが、きちんと演るとこうなるという見本を見せた。いきなり「山吹の葉」の絵から入らずに、まずは本多と真柄の一騎打ちの絵からはじまる。徳川四天王は、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政。これに関連して、貝の四天王、雨具の四天王で笑わせ、最後は「ねえちゃん、いいケツ、してんのう!」。

喬太郎師匠、前半は酔っぱらって絡む黒川孝蔵の悪態を嫌になるほど描き、後半はこれに対して最終的に成敗を下す飯島平太郎、のちの飯島平左衛門を描く。特に黒川が痰唾を吐き捨て、飯島の殿様から貰った紋服の紋にかかったところで、それまで供の家来を許してくれと頭を下げていた態度から一変し、堪忍袋の緒が切れる心理の変化がよく出ている。黒川を「亀戸の葛餅のように三角に斬り刻んだ」飯島の圧倒的な迫力。刀屋主人がそれを見て腰を抜かし、それまで値切りを渋っていたのが、急に寛容になるというのも興味深い。

扇辰師匠は寒い冬の中、火の廻りで集まった町内連中の人間臭さを巧みに演じていた。伊勢屋さんの口三味線(自分の出囃子の「から傘」)で「火の用心」を口ずさむ楽しさ。それを受けて、鉄っつぁんが吉原仕込みの「火の用心」をうなる声の良さ。月番さんが、酒宴になってから「あなたたちを一の組に選んだのは、一緒に飲みたい人だから。二の組の長にした尾張屋さんは嫌いなんだ」という本音。黒川先生が初めて食す猪の肉が美味いもんだから、一箸どころか何口も食べてしまい、挙句には「番小屋の猪の肉煮るグツグツと」と一句ひねり、「駄句ですな」と笑ってごまかすところ等。本当に美味しそうで、お腹が鳴った。